レーシングドライバー塾 2016 冬期講習
一貴、可夢偉、石浦が若手に伝えたい言葉 2時限目
2時限目:海外でレースキャリアを磨くために大事なこと
講師:小林可夢偉
<小林可夢偉先生キャリア>
9歳からカートを始め、フォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)のスカラシップを獲得。15歳でフォーミュラトヨタに参戦してシリーズ2位。TDP支援を得て2004年からは海外でレース修行。その後2010年から2014年までF1で活躍。昨年は日本に戻り、スーパーフォーミュラでタイトルを争った。
−−それでは授業再開です。2時限目は小林可夢偉先生が担当します。
昨年はスーパーフォーミュラに参戦してタイトルを争った小林先生ですが、フォーミュラレースのキャリアのほとんどを海外で積み上げ、外国人ドライバーに気後れしないアグレッシブな走りで世界にファンがいる実力あるドライバーです。言うのは簡単ですが、海外のチームで実績を残すのは、とても大変だと思います。そこで小林先生には、『海外でレースキャリアを磨くために大事なこと』というテーマでお話をしていただきます。小林先生、よろしくお願いします。
海外の生活では理不尽なことが降りかかる
小林
はい、よろしくお願いします。
こんな言い方をするのはなんだけど、海外でレース活動をするっていうのは"めんどくさい"。何がめんどくさいかっていうと、自分の生まれ育った国とは違うところに住むっていうことは、すごく理不尽なことがよく降りかかるんです。その理不尽な中で、自分がいかにうまく生きていくか......。僕の場合はまず、ムキになって怒ることが減りました。
小林
僕が最初に住んだのはイタリアなんですが、着いて3日目くらいにして、夜中に警察に呼び止められ、真冬のマイナス2〜3度の中でずっと拘束されたんです。その理由が、チームから借りた原付バイクにミラーが付いてなかったから......。イタリア語も英語もちゃんとは喋られへんから、その時は何がなんだかわからなくて、とりあえずチームスタッフが来てくれるまでおとなしく待ってたんです。で、朝の6時くらいに迎えに来てくれたんだけど、なんでか僕が悪いっていう話に進んでいて、チームの上層部に報告されて、僕、怒られたんです。でも、よう考えたら、僕が悪いわけではないでしょう? チームのスタッフがちゃんとミラーをつけておいてくれたらこんなトラブルは起きなかったのに。
こんなことから、僕の海外生活が始まったんです。基本的にイタリア人は人の話をあまり良く聞かない(笑)。だから、僕が最初に大事やなと思ったのは、人に理解させること。単純なことやけど、どういうふうに自分を理解させるかっていうのを常に考えないといけない。例えばクルマに関して説明するときでも、相手が理解するまで、何度でも丁寧に説明するっていうのが大事なんです。それをすることによって、僕の人間性も理解してくれるから、それが人としての信頼にもつながった。結果的には、それがヨーロッパでの生活ですごく大事だったなって思います。
小林
そのあと、僕はフランスに住むことになりますが、フランス人はもっと理不尽でしたね(笑)。洗濯屋さんで洗濯物を間違われたことがあるんですけど、どう見ても僕が頼んだシャツじゃなくて、XXLぐらいの特大シャツが戻ってきた。「これ僕の服ちゃうやろ、僕のを返して!」って言ったんだけど、「いや、これがアンタのよ」って全然話が進まない。それでも、絶対俺のじゃないって言い続けたら、とうとうその店員さんが泣き出して、「警察を呼ぶぞ」っていうような騒ぎになってしまった。僕は泣く泣く自分のシャツを手放して、XXLのシャツを持って帰ることになったんです。
......理不尽だよね。でも、そんなことで怒ってたらアカンなって。そんなことも笑って話せるようになったから、あの時のシャツ代は安かったなって、今では思えています。
レースでも人の信頼が大事。そのためにも互いに理解するまできちんと話す
小林 怒るエネルギーって不必要。そんなエネルギーは他の方面で使ったほうが断然いいじゃないですか。レースでいいクルマを作るにも、レースでうまくやるにも、人の信頼っていうのはすごく大事で、自分の言葉をいかにうまく伝えるかっていうことをやっていかないといけないんだけど、そんなところで怒りにエネルギーを使っていても、「こいつ騒いでるだけやな」っていうふうにしか見られない。人として信用を勝ち取るっていうのがすごく大事なんです。
小林 あとね、外国人からすると日本人て少し変だと思われている。だから日本人らしく大人しくしてると、向こうもかしこまった感じで来るから、結局本音で話せなかったりする。そこで(日本人としては)ぶっ飛んでるくらいの方が受け入れてくれる感がありますね。
山下 小林先生はあまり怒らないって言いますが、チームメイトとぶつかり合いとかもないんですか?
小林 僕ね、まったく喧嘩したことはないんですよ。仲が良くない人はいるけど、喧嘩はしない。しても意味ないでしょ。文句を言う人はいるけど、冷静に考えたら「こいつ子供やな」って見られるだけのことが多いし。それって別にレースに関してだけでなく、怒らない方が、人としていろんなことを全体的に見られるようになると思っているし、小さい人間にはなりたくないしね。
−−それでも、エンジニアとセッティングを詰めている時に、意見が合わないということも出てくると思うのですが?
小林 もちろんエンジニアとは突き詰めて話しますが、喧嘩したことはないし、やりとりで言葉がきつくなることもないです。それは、理解するまできちんと話すから。僕もしつこいので、向こうがわかってくれるまで絶対言いますからね。だからといって「絶対こうでなければいけない」っていうことは言わない。「俺はこう思うんだけど、お前がそれだけ言うんだったら乗ってみるよ。だけど乗ってアカンかったら、その後で絶対にこれをやらせてね」っていうギブ・アンド・テイクなんです。そうやってお互いに信頼を掴んでいくんです。
日本では遠すぎたF1が、欧州からは見えてきた
坪井 小林先生は、海外に出たときはF1が目標だったんですか?
小林 そもそもの話をすると、F1なんてあまりにも遠すぎて、見えていませんでした。フォーミュラトヨタに出た年、「(年齢の問題で)来年お前はF3には乗れないから、この海外のオーディションに受からなかったら、来年はVitzのレースにしか出られないぞ」って言われて(苦笑)。Vitzレースが劣っているというのではなく、当時の自分としてはやっぱりフォーミュラしか視界になかったんです。それでがんばって海外のレースに出ることになったんです。
小林 それが(海外に出た)本当のきっかけでした。それで実際にヨーロッパでレースできるようになったら、そこからF1というのはすごく近い印象でしたね。ヨーロッパに行って1年半ぐらいでF1のテストにも乗れたし、TMG(トヨタの欧州本拠地)に行けばF1関係者はいっぱいいたし。F3(ユーロシリーズ)に上がった年はセバスチャン・ベッテルがチームメイトやったんやけど、彼はF1の金曜フリー走行とかに出て、トップタイムを出したこともあったし、「(自分でも)全然いけるやん」っていうぐらい身近にあった。日本にいたらまったく違う印象だったでしょうね。
中嶋 僕も海外に行く時点で、F1に乗れるとは思っていなかったかな。ただ、日本にいてもF1には繋がらないし、とりあえず『行きたい』って希望したんですよ。
小林
ただ、今後のF1に本当に速いドライバーが集まってくるだろうかって考えると、僕はこの先はどうなるか分からない気がします。速いと言われるドライバーがF1に上がれていない気もするし、今の若手が上位ドライバーたちに勝てているかというとそうでもないしね。
僕は、速いドライバーと戦いたいっていう意識があってここまでやってきているけど、そう考えるとF1という選択肢だけでなく、"世界のトップレベル"で戦うにはどうすればいいのか? っていうのを考えながら自分を磨いていったほうがいいのかもしれない。その結果、世界と戦えるトップカテゴリーで活躍できるように思ってがんばってください。
休み時間(フリートーク)
山下君は、スタートを練習せなアカンな(小林)
−−可夢偉先生、ありがとうございました。では、休み時間とします。3人の先生も一緒に歓談の時間にしましょう。せっかくの機会、山下君、何か聞いてみたいことはありますか?
山下 昨年の全日本F3では、チームメイトのニック・キャシディ選手とタイトルを争いました。彼はとても速いドライバーだったので勝てないかなと思っていたのですが、意外と離されなかったし、それほど負けていなかったかなと思います。ただ、やっぱりスタートの悪さはずっと課題で......。
中嶋 確かにニックはなかなかのドライバーだったね。キャリアはそれほどでもないのに速かったし、たぶんこれから上に行けるドライバーだと思うので、彼と一緒に戦えたっていう意味ではすごくいいシーズンを送れたんじゃないかな。シリーズでは負けてしまったけど、彼と同じくらいに自分を評価してあげてもいいんじゃないかな。
小林 でもスタートは練習せなアカンな。
中嶋 チームメイトのスタートをよく研究して、自分も同じことができるようにしないと。フォーミュラをやっている以上、スタートは絶対重要だからね。コツをつかめば、あとは毎回同じことをするだけだよ。
山下 中嶋先生は、コツをつかむのにどれくらいかかりましたか?
中嶋 一昨年は波があったから、去年ぐらいからかなぁ。
石浦 あれだけスタートがよかったら、毎回楽しいだろうねぇ(笑)
FIA-F4の最終戦。あの最後の戦いはみんなしっかり評価してくれている(石浦)
−−坪井選手は、昨年中盤まではなかなか苦しい戦いになりましたが、中盤に7連勝を飾りましたね。
坪井 FIA-F4選手権は新しいシリーズだったので、最初の頃はポイントの仕組みがよく分かっていませんでした。なので、あまりランキングとかは考えずにレースを走っていました。中盤の連勝でポイントを重ねることができたので、最終ラウンドでは勝てませんでしたがなんとかチャンピオンになれました。
石浦 FIA-F4はおもしろかったですよね。(SUPER GTの)ミーティング中とかでも、みんな話はそっちのけでレースを見てましたから。特に坪井はねぇ(笑)。
坪井 なんかよく、僕の周りでいろいろ起きてましたね(苦笑)。
石浦 僕は若手のアドバイザーをしていて、FCJの頃から坪井を見ていますが、当初はアンダーステアとオーバーステアを逆に伝えちゃうような状態で(笑)。速く走れるものは持っているんだけど、経験が足りないから間違った方向から自分で元に戻ってこられないって弱さがあるなって思っていました。でも去年の姿は全然違いましたね。特に最終戦の追い上げから、牧野選手とのトップ争い※。ウチのホスピタリティテントでも大盛り上りでしたよ。
小林 あのバトルは確かに。結局、優勝できなかったけど、タイトル獲るために単に2位で走って終わるよりも良かったね。
石浦 あの最後の戦いは、みんな、レース関係者もファンもしっかり評価してくれていると思うよ。タイトルも価値あるけど、坪井君と牧野選手は素晴らしかった。FIA-F4はそういうところを見るレースだからね。
※:FIA-F4選手権の最終戦、坪井選手は9番グリッドからトップを行く牧野選手に追い付き、終盤に激しいバトルを展開。3位でもタイトル獲得で、リタイアしたら無冠だけに、坪井の周囲では2位でOKという声もあった。だが、「牧野に勝ってタイトル」という坪井と「タイトルは逃しても坪井には負けない」という牧野による意地のバトルは、非常に見ごたえあるものとなった。
−−では、もう少し休み時間をいただき、最後の授業、3時限目は「チームとマシンを強く鍛えるドライバーになるために」というテーマで、昨年のスーパーフォーミュラのチャンピオン、石浦宏明先生に登壇していただきましょう。
- ホームルーム
- 1時限目:国内外、複数のカテゴリーで活躍するには?(2016年2月5日公開)
- 2時限目:海外でレースキャリアを磨くために大事なこと(2016年2月11日公開)
- 3時限目:チームとクルマを強く鍛えるドライバーになるために(2016年2月19日公開)