週刊連載コラム「クルマとモータースポーツの明日」9人の提言 「9人の提言」トップへ戻る

第2の提言

第1回「日本人宇宙飛行士の凱旋パレード」株式会社童夢代表取締役/日本自動車レース工業会会長 林みのる氏

は、華々しく報じられる日本人宇宙飛行士の活躍ぶりを見るたびに苦々しい気分になると共に、日本の自動車レースの現状が重なって見えてくる。
いくら日本人宇宙飛行士がメダカを飼育したり紙飛行機を飛ばしてみたりしても、その日本人宇宙飛行士が宇宙に行けるだけの技術は外国に頼り切っての話で、宇宙に行くだけならロシアに行けば20億円でソューズのシートが買える。
スペースシャトルが日本製でないことや、パソコンの中身が全て外国製であることや、自衛隊の戦闘機がアメリカの技術で作られている事などを恥と感じたりプライドを傷つけられたりする感覚は、最早、日本国民としては古き良き時代の遺物なのだろうか?

HONDAは過去において2回もF1へ挑戦してエンジンの優秀性を世界に知らしめたものの、その挙句の選択が、3回目のF1挑戦における海外技術への丸投げである。
TOYOTAも自社の社員だから独自技術と称しながらも、その実体は、全てを外国人の経験者に頼ってのスタートだった。
私は未だに、この両社がF1に求めたものが何だったのか理解できていない。しかし結果的に、この両社が今まで海外に流出させた莫大な予算の対費用効果がほとんど無に等しいであろうことは想像に難くないし、海外の産業を潤し技術の向上に寄与した貢献度は計り知れないが、その一方、日本の技術と産業をないがしろにして疲弊させていった愚かなる施策のつけは、現状、じりじりと国内のレース界の体力低下として表面化しつつあり、そのうち、外国製の同じ形のレーシングカーで走り回るだけしか能のない日本の自動車レースもどきの見世物は、その存在理由の説明すらおぼつかなくなって、自動車レースそのものの価値を貶める最大の要因となっていくだろう。

ップガンのパイロットが手を前後させて離陸の合図をするシーンはたまらなくカッコいいが、それは国家の安全を担うという重責を負っての必然だからで、これが遊覧飛行のパイロットなら、カッコつけていずに早く飛べ!ということになる。
近年のルマン24時間レースではヂーゼルエンジンしか勝てない状況が定着しており、AUDIやPeugeotが勝ち続けている。
これは、元をたどれば、温暖化やエコに対してヂーゼルエンジンの優位性を主張するヨーロッパのプロパガンダと言えるが、案の定、ヨーロッパではヂーゼルエンジンへの評価は大きく変化している。そういう国家戦略とも言える重大な任務をもって戦うからこそ、レーシングカーにもドライバーにも重大で揺るぎのない存在理由が生じ、自動車レースという産業構造も成立する。一方、外国製の同じ形のレーシングカーで走り回るだけしか能のない日本の自動車レース界では、ドライバーのスタート前の近寄りがたい緊張感すらも滑稽に見えて、「しょせんお遊びなんだからリラックスしろよ」としか言いようがない。
その上、ハイブリッドで勝てるレーシングカーを開発する技術も(童夢以外には)無く、ACOに、ハイブリッドが勝てるレギュレーションを導入させるような政治力やロビー活動のノウハウも育っていない、何ともあきれ果てるほどのドライバー天国が日本の自動車レースの現実だ。

は、一貫して「自動車レースは自動車開発技術の戦いである」と言い続けてきたが、一方、レース界も自動車メーカーも、ドライバー育成ビジネスだけを自動車レースと思いこんでお金をつぎ込んできた結果が現在の日本の自動車レースの実態であり、国内の産業の発展や技術者の育成なども全く度外視した、単にドライバーが走り回るだけの非常に傲慢なレースとなってしまっている。
掲載を断られなかったら、次回から、もう少し核心に触れた話をしたいと思うが、私がこういう話をするとドライバーと技術者の覇権争いのように受け止める人が多いのは困った事だ。そもそも、そのように問題を矮小化すること自体が見識不足であり自動車レースの本質が見えていない証左であるが、私の願いは日本の自動車レースの発展振興であり、そうなれば、真っ先に恩恵を受ける立場にあるのがドライバーであるということは忘れないでほしい。

【編集部より】
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Profile:林みのる氏
1945年生まれ。
幼少の頃から物造りが大好きで、模型、ラジコン、オーディオ、バイクを経て、16歳からは車に没頭。19歳の春、鈴鹿サーキットで知り合った浮谷東次郎の依頼で HONDA S600を改造したレーシングカーを製作することになり、デビューレースで優勝する。
それからレーシングカーを造り続け、1975年に童夢を創業、現在に至る。
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