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第2の提言

第2回「日本自動車レース工業会が400億円を稼ぎ出す日」株式会社童夢代表取締役/日本自動車レース工業会会長 林みのる氏

が「ドライバー育成」だけの日本の自動車レースを批判し、「自動車レースは自動車開発技術の戦いだ」と主張するようになってから20年弱の歳月が流れたから、また言っているとアホの一つ覚えのように思われるかも知れないが、私がいくら叫び続けても、日本の自動車レースの実情は揺るぎもせずに変わることはない。
だから、ただ一人で叫び続けるしかなかった訳だが、そんな我が国にも、レーシングカーを作れるコンストラクターは存在するし、レーシング・エンジンを開発できるチューナーもいる。レース用のECUやダンパー、シートベルト、ギアボックスなど、レーシングカーを構成する部品やそれらの開発能力において日本で出来ない事は無いくらいだ。しかも、ほとんどの製品においてその性能品質は外国製品に比べても勝るとも劣らない。
どこの国でも、およそ自国の産業を育成するためには法外の関税や付加金などで自国の産業を保護してでも競争力を育てるものだ。昔、台湾でHONDA車のコピーを生産していた会社を見学したことがあるが、当時は、運転席のドアを閉めると反動で助手席のドアが開いてしまうような粗悪品だったのに、それらの手厚い保護のおかげで、今や押しも押されもしない主要産業に成長している。
それら日本の自動車レース界の「物づくり」に携わる人たちにとっての日本の自動車レースは、黎明期の希望に満ちた輝ける未来からは想像もつかない「ジャンク・スポーツ」となり果て、未だに、レース結果は五大新聞にもほとんど掲載されず、テレビの中継も無く、街中でドライバーがサイン攻めに会うこともないマイナーな現実は、まるで悪夢を見ているように納得しがたく耐えがたい状況だ。

を含め、これら「物づくり」に携わる人たちだけが強く持つ違和感や危機感は日増しに大きくなり許容の限度を超えつつあった。顔を合わせれば、自動車メーカーがドライバー育成だけに貢ぎ続ける構造の不思議を愚痴り合っていたが、このままではジャンク・スポーツのそのまた裏方で終わってしまうという絶望感はつのり、どうせならとみんなで最後の悪あがきを試みることにした。そして創立されたのが「日本自動車レース工業会(JMIA)」だ。

『日本自動車レース工業会は、「自動車レースは自動車開発技術の戦いである」ことを理念とし、日本の自動車レースに技術の戦いを取り戻すことに努め、レース界に生産性と工業力による経済効果を喚起し、それにより、日本の自動車レースを発展振興させることを目的とします。最終的には、現在、約1200億円とも言われている海外に流出しているレース関連の購買を国内需要に振り向けるだけでなく、輸出を拡大して、貿易収支を改善するところまでを目標としています。』
これは設立趣意書の一部だが、つまるところ、自動車メーカーが海外に垂れ流しているレース予算を国内消費に振り替えろ!という事だ。そうすれば、その資金は国内のレース産業を還流し、たちまち日本の自動車レース産業は活気づくだろうし自動車レースの存在感も一気にクローズアップされることになるだろう。1/3の400億円が日本のレース界に流れ込んだ状態を想像してほしい。ドライバーたちも、このような充実したインフラの土壌の上で戦ってこそ存在価値が発揮できるというものだ。

本自動車レース工業会も、当初はそれほど具体的な戦略を持っていた訳ではないが、その後、身近に観察してきたFCJへのフォーミュラ・ルノーの採用やFNのスイフト導入の経緯はとても衝撃的で、これらの決定に至る特異なロジックや決定権を持つ人たちの決定的な見識の欠如は、我々の今までのあらゆるまともな努力を嘲り笑っているようにも思えるほどの違和感に満ちたものだった。絶望というよりは、一気に肩の力が抜けたような脱力感をおぼえたものだ。

これからも、自動車レースにおける技術の育成と産業の振興には変わらず努力したいと思っているが、これはまともな交渉とか努力という話ではなく、そもそも、「自動車レース」の何たるかを理解してもらうための努力となるだろうから、タクシーの運転手に道順を教えるような煩わしい作業となるだろう。
しかし、それはそれとして、やはり何か「物づくり」をテーマとした自動車レースで思いっきり戦いたいという願望は強くあるし、JMIAの主張を具体的な形でアピールできて、その効果を広く知らしめる妙案はないものかと協議に協議を重ねた結果、生み出されたのがF20のコンセプトである。詳しくはJMIAのホームページ(http://www.jmia.info/)を参照していただきたい。特に、画期的な廉価版CFRPモノコックにご注目を。

【編集部より】
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Profile:林みのる氏
1945年生まれ。
幼少の頃から物造りが大好きで、模型、ラジコン、オーディオ、バイクを経て、16歳からは車に没頭。19歳の春、鈴鹿サーキットで知り合った浮谷東次郎の依頼で HONDA S600を改造したレーシングカーを製作することになり、デビューレースで優勝する。
それからレーシングカーを造り続け、1975年に童夢を創業、現在に至る。
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