第3の提言

第1回「子供たちに夢を!」レーシングドライバー/スーパーGTドライビング・スタンダード・オブザーバー/2009-2010日本カーオブザイヤー選考委員 服部 尚貴 氏

ず今回の「9人の提言」を書くにあたって、今の率直な気持ちは「なぜ?この諸先輩方の中に私が入っちゃったの?」です。とても恐縮しています。ホント場違いじゃない?と思っています……しかし、受けちゃったからには何も飾らず背伸びせず私の言葉で書かせて頂きます。レーシングドライバーとしての目線とドライビングスタンダードオブザーバーとしての目線、それ以上にモータースポーツが大好きな人間としてスーパーGTを中心に語らせて頂きます。

初に、私が子供の頃クルマに興味を持ったのは小学生の頃だった。最初はミニカー集めに始まり、プラモデル作り・ラジコンと大きくなっていく過程にはステップアップがあったが、すべてクルマだった。中学生になり、そんなある日、鈴鹿の隣である四日市に住んでいた私は、友達と自転車で初めてナマで鈴鹿サーキットにレースを観に行った。その時のショックは今でも忘れていない。F2レースをグランドスタンド席で観たのだが、マシンが目の前を風きり音と共に通過してそれを爆音が追いかけて、その音がグランドスタンドの屋根を震わせていた。その瞬間、私は自動車レースに魂を持っていかれてしまった。『カッコいい!レーサーになりたい!』この時が私のスタートだった。時は流れて高校を卒業して自動車免許を取り、ダートトライアルを中心にナンバー付のマイカーでエントリーできるスピード競技に出場していたが、夢を諦めきれずにレースへの挑戦を決心する。この時の障害は金銭面で、その部分は親に頼るしかなかった。まったくレースへの理解が無い昭和ヒトケタ生まれの両親を前に、生まれて初めて『3年間だけレースをやらせてほしい!3年経っても芽が出なかったらキッパリ諦めるから…』と真面目なお願いをしてみた。なんとか親への借金の了承も経て、愛車も諸経費込み5万円のオンボロサニーに換えてレース資金に廻し、当時の登竜門であるFJ1600にデビューする事ができた。これは私のデビューまでの過程ですが、80年代中盤~後半にプロドライバーを目指すごく一般的なスタイルであろう。そこには毎回80人以上の同じ『夢』に向かい、4ラップしかできない予選にドキドキしながら24台の決勝グリッドを勝ち取り、1つしかない『優勝』に向い荒削りなドライビングで争っていた。私にとってすごく懐かしい時代です。

 この時代の『夢』には「世界一のレーシングドライバーになる!」と言う大変ハードルの高い夢以外に「プロとしてレーサーとして食っていく!」と言うのも含まれていた。現に、両親に『3年経っても……』とお願いした中には、3年でプロとして乗車手当てを貰える目途が立たなかったらと言いう意味合いが大きかった。また当時はバブル時代絶頂期で、全日本F3選手権であってもスポンサーの数よりドライバーの方が少ないんじゃない?と思ってしまう程の盛況ぶりだったので登竜門のFJ1600でシリーズチャンピオンさえ獲得すればファーストステップがクリアーできると確信して走っていた。実際、当時の各地方選手権FJチャンピオンはF3チームの目に留まり、契約金付でステップアップしていったものだった。言わばFJ1600はプロを目指すドライバーの甲子園。アイルトンセナ人気も重なって、レーシングドライバーには色々なチャンスが転がっている最高の時代だった。
 バブルはとっくに過ぎ去り、金融破綻で大変な事になっている今、レース界に『夢』を追い求める甲子園はあるか?私の答えは「ない!」だ。あえて言うならFCJ(フォーミュラーチャレンジジャパン)というカテゴリーだ。このFCJについてはまた次回に書かせてもらうとして、今のレーシングドライバーは「いつから自分がプロとしてやっていけるのか?」と不安を持ちつつスーパーGTやフォーミュラーニッポンに出場しているドライバーもいる。もちろんプロフェッショナルとして確立しているドライバーもそこには少なくないが、国内トップカテゴリーであるS-GT(500クラス)とFポンでもレースだけでは食っていけないドライバーが存在することも事実だ。トップカテゴリーのドライバーが普段はコンビニでバイトしています!って可能性も無くはない。せめてこのトップカテゴリーだけは最低限のスターティングマネーを払えるようなカテゴリーにしましょうよ!じゃないと『レーサーへの夢』を持つ子供達が減っちゃうのはあたりまえでしょ!職業の一つとしての選択じゃ無くなってきている状況ですから。

私はS-GTレース運営の中で接触や違反行為のジャッジをお手伝いしている。同一クラスのバトルで相手を尊重し、ドライバーのコントロール下での接触は、以前よりかなりレーシングアクシデントとして処理しているつもりだ。争っているドライバー達がペナルティーを恐れ、消極的なバトルにならないように考えている。いいバトルを魅せる事はレースファンを増やす要素になると思っています。今の私に出来るモータースポーツ発展へのお手伝いはこんな小さな事しか出来ないのだが、これをスタートに、認知度アップ・メジャー化を目標に参加して、最終的に子供たちへの『夢』の選択のひとつに復帰できる事を夢みています。

【編集部より】
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Profile:服部 尚貴 氏
1966年生まれ 三重県四日市市出身
GTA ドライビングスタンダードオブザーバー、TeamLeMansフォーミュラーニッポンチームテクニカルディレクター、フォーミュラーレーシングドライバーアソシエイション(FRDA)顧問、トヨタGTドライバーズアソシエイション(TGDA)顧問、2008-2009日本カーオブザイヤー選考委員、DVD ベストモータリング レギュラーキャスター
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