週刊連載コラム「クルマとモータースポーツの明日」9人の提言 「9人の提言」トップへ戻る

第2の提言

第4回「ドライバーの育成のみに興じてきた日本のレース界に、今、出来ることって何?」株式会社童夢代表取締役/日本自動車レース工業会会長 林みのる氏

て、愚痴りまくっているうちにコラムも最終回になったが、正直言って、毎度、同じ事を言い続けるのも気恥ずかしくなっているし、なによりも飽きた。
一見、私は自動車レースに関係している者の一人として、自動車レースの現状を憂い明日に向けての発展振興を願っているように見えるが、そういう一面もあるにせよ、本質的には、自分の生きてきた世界があまりに脆弱で世間的な評価も低いから、このままでは自らの人生の足跡すらも儚くうつろなものになってしまいそうな危機感や、今までの努力や苦労といったものと、その成果としての現状があまりに釣り合わないことに焦燥感を覚えての悪あがきというところが本音だろう。
まあ、童夢チームが優勝したウィークエンドに我が家にたどり着いても、私が言わない限りは誰もその日の出来事には気が付かないし、次の日の朝刊にも何も載っていないし、TVのニュースで流れることもないような状況だから、とてもモチベーションを保つことすら難しいが、一方、レース関係者が「どうせプロレスだから」と自嘲するような出来レースに熱くなれるほど勘違いしている訳でもない。
たぶん日本のレース界で、私が最も自動車レースを過大評価していて、だから、その理想とする姿と現実とのめっぽう大きなギャップに大いに困惑し失望している部類の人間であり、他の多くの人たちの不平不満というのは、「もう少しメジャーになったら嬉しいな」程度のささやかな望みなんだろうと思う。
つまり、サラリーマンの給料に例えれば、俺は100万円もらえるだけの能力があるのに何で20万円なんだ!と憤慨している人と、あと2万円多かったらローンの支払いが楽になると思っている人の違いのようなもので、同じ種類の不満であっても、前者は転職するしかないが後者は粘り強い交渉で解決する可能性もあり、まるで同床異夢だ。
私の常々の主張は転職の勧めのようなものだから、2万円のベースアップを望む人たちにとっては極論のようにしか聞こえないのだろうし、私から見れば、2万円のベースアップを夢見る人たちのささやかな希望にはもどかしさが募るばかりだ。
もとより接点もなかったのだろうが、いつの間にか勤め先の会社の業績が悪化して、その20万円すらおぼつかなくなって来た時、ふと、「こんな会社に未来はない!」と言い続けていた変わり者の言葉を思い出す時が来るのかもしれない。

んだか結論じみた話になってきたが、せっかく自動車メーカー系のサイトに掲載していただいているのだから、少し、自動車メーカーと自動車レースの関係について考えてみよう。
日本の自動車レースのほとんどの資金源は自動車メーカーであり、各自動車メーカーの担当者がその使い道を裁量するが、これらの人は数年で配転となるからたえず素人が采配を振っていることになる。一方のレース界には何十年と経験を重ねている人が大勢いるから、土台、話は噛み合わないはずなのだが、なにしろ、片や金を出す方で、片やそのお金が無くては生きていけない立場なのだから最初から勝負にはならない。
結果、「子供たちに夢を」とか「公平に勝とう」とか、自動車メーカーの素人の担当者が理解しやすいような安易な提案の出来る人が重宝され、小難しい話は敬遠されがちだから、おのずから日本の自動車レースは「ドライバーの育成」と「プロレス」だけになってしまった。
自動車メーカーにも、レース畑に長くとどまっている人もいるのに、どうしていつまでもこのような素人っぽい発想しか出来ないのかと不思議でならないが、自動車メーカーと長く付き合っていると解ってくるのが大企業のサラリーマンの特性だ。
彼らは、出過ぎたことをして汚点を残したくないものの、何もしないと評価もされないというジレンマの中で絶えず揺れ動いているから、本質的に、勝敗と責任の所在が明確な勝負事が苦手だ。だから、自動車レースに対しても、ドライバーの育成というようなワンクッションおいた取り組み方を好むようになるし、レースでも真剣勝負を避けるように複雑怪奇なシステムを考え出し勝敗の行方をあやふやにする。
つまり、自動車レースが歴然とした勝負事であるにかかわらず、勝敗という本質的な要素から逃避した形でしか取り組まないから、自動車レースは自動車レースで無くなるし、そんなレースをいくら続けていても、素人はいつまで経っても素人だ。

う言うと、「こちとら長年F1の現場で戦ってきたプロだ!お前なんかに素人呼ばわりされる筋合いはない!!」という声が聞こえてきそうだが、では、もし今、自動車メーカーのトップから自社マシンによるルマン必勝の命令が下ったとしたらどうするつもりなのだ?いままで、自らの力で戦ったことも無ければ、技術とインフラの構築を度外視してきたおかげで為す術もないだろう。
何らかの理由をこじつけて、車体は外国性を採用したほうがあらゆる面で有利だというような流れを作り、またぞろ、外国の適当なコンストラクターとチームを探すところから始めることになるのがオチだ。
日本の自動車メーカーが、今後、どんなレースに挑戦することになろうとも、すべからく外国頼りを前提としての話にならざるを得ない現状を鑑みるに、この点だけを見ても、充分、自動車レースの本質を理解しない素人だと言える。

は、自動車メーカーを含めた日本のレース業界に最も欠落しているのは見識だと思う。
もし私の言うように「自動車レースは自動車開発技術の戦い」だとしたら、その肝心の技術分野に疎いのだから、自動車レースを全く異なった視点から見ていることになりトンチンカンな発想しか出来ないのは当然だろう。
TOYOTAとHONDAがF1に参戦開始する時に、両社に日本の技術での挑戦を熱心に提案したが、多分、検討すらされなかっただろう。
もしも最初から、自らの力で戦うという当たり前の選択をしていたら、そしてそのチームにいままで垂れ流してきた潤沢な資金の半分でも与えていたなら、そして7~8年という時間の余裕を与えていたら、現在、日本人の英知と日本の工業力による純日本F1チームは、100%F1の頂点を極めていただろう。
そうして、日本の青年たちにF1の第一線で経験を重ねるというチャンスを与えてやる事が出来ていれば、その環境で成長した日本人技術者たちは、F1に限らず、自動車レースそのものに精通した一流のプロフェッショナルとして活躍し、彼らの実践から学んだ経験と知識は、今、自動車レースを正しく理解し見識を高める有効な手立てとなっていたはずだ。

んだん八つ当たり的になっていくが、だいたい、F1マシンというもの自体が気に食わない。究極のレーシング・マシンの割には、何で空気抵抗の塊のようなタイヤ丸出しなの?タイヤ噛み合ったら飛んでいくよ、とか、コースなんかゴミだらけなのに、今どき、ドライバーの頭、吹きさらしで走らせて良いの?とか、そもそもオープンホイールって自動車レースの黎明期にフェンダー外して走った名残で、単なるレトロ・ファッションじゃないの?とか、いちゃもんはいくらでも付けられるが、何といっても、最早、形状的に自動車としての美しさを失い、危険な香りを売り物にしただけの野蛮な乗り物だ。
しかし、今も若いドライバーの終局の目標はF1であり、それを目指す若手ドライバーのF1に対する憧れは強い。だから初心者もフォーミュラの形に憧れるが、同列の安全性のマシンながら、片や世界から選ばれたトップ30の天才が操り、片や初心者なのだから危険なことこの上ない。
だから、JMIAではかねてより、初心者のためのFCJやFJ、F4のシャーシに高度な安全対策の導入を説いているが、日本のレース界は、このような提案に対しても消極的かつ排他的で、まともに検討すらされない。
そうこう言っているうちに、ジョン・サーティズの息子が亡くなり、フェリペ・マッサが重傷を負った。彼らが自分または友人の息子だったら、貴方もきっとフォーミュラが大嫌いになっているだろうよ。

08年にJRPに提出したFCJシャーシ企画書のイラスト。高度な安全対策を訴えている。

う飽きたと言いながらも言いだしたら止まらないほどうっぷんは溜まっているが、最近の私はマイクロ・ボートの開発に夢中になっている。
(詳しい内容は「OCEAN FRY」を参照)

CFRP製で船体26㎏。簡単にエンジンごと1.3×1.1×0.5mに収納可能で
離島まで宅配便で送れる。免許/船検は不要。

これらのボートには、レーシングカーの開発技術が惜しみなく投入されているが、ECOLE DOMEプロジェクト(詳しい内容は「ECOLE DOMEPROJECT」を参照)や童夢カーボンマジックのもろもろのプロジェクトとともに、いままでレーシングカーの開発によって培ってきたテクノロジーが、このように実用面やエコロジー技術に活用できることに、いままでの人生が無駄でなかったという証を求めようとするかのごとく熱中している。
ドライバーの育成だけを錦の御旗に掲げてきた日本の自動車メーカーを含めたレース界の人たちに聞きたい。その育成されたドライバーにどれほどの名誉と収入と未来を用意しているのだ? 今、ドライバーを集めて何かエコロジーに貢献できるような手立てがあるのか? 何か、ドライバーを使って実業界で稼ぐ方法があるのか? こんなことをしていて後世に何が残せると言うのだ? 今まで、君たちはいったい何をしてきたのだ?と…。

おまけその1 正しいF1の戦い方。
日本人から選抜した100人に、年間60~80億円を提供し(エンジン除く)、純粋な日本の技術でF1を戦わせる。自動車開発技術の松下政経塾のようなものだ。

おまけその2 レース界は不必要悪と決別せよ
自動車レース界は天下りの利権構造とは一線を画す矜持を保つべし。日本の自動車レースは日本の自動車レースを一番よく知るレース界の人たちが自らの手で構築すべきだ。

おまけその3 ルマンタイプのレースを導入せよ。
近未来の日本の自動車レースは、①トップカテゴリーとしてルマンタイプのレース ②その下にFIA-GT ③開発競争型フォーミュラ・レースを柱として再構築すべし。
こうすれば、世界と戦える道が開けるし技術と産業の発展振興も望めるしマシンの交流も始まる。

おまけその4 自動車レース専門会社を作るべし。
自動車メーカーは、ノウハウと経験をプールし、過去からの経緯を熟知したうえで将来の展望を描けるような自動車レース専門会社を作るべき。
人材を固定し実戦で鍛えることによって、自動車レースに対する実力や見識を育てプロ化を目指すべし。

おまけその5 日本自動車レース工業会(JMIA)に協賛すべし。
一応、自動車メーカーには支援金のお願いはしているものの現状ゼロだ。ドライバーの育成には陰ひなたに多大な支援を行っているのに、技術と産業の振興には無関心というのは自動車メーカーの方針としてはおかしい。ただちに支援を開始すべき。

おまけその6 日本でのF1の開催を止めるべし。
自動車メーカー系サーキットが、F1の為に大金を投じてどんどん設備を改善していくのは見るに堪えない愚策であり無駄遣いだ。日常のレースとあまりにかけ離れた豪華な設備との大きなギャップは地に足の着いていない新興国のサーキットそのもので恥ずかしい。

おまけその7 「日本自動車レース研究所」を創立すべし。
自動車メーカーの出資によるレーシングカー開発を支援する「日本自動車レース研究所」を創立すべし。風洞、クラッシュ・テスト、ポストリグ、各種設計ソフトなどを設備し、プロ、アマを問わずレーシングカーを開発したい人を支援する。設備関係については各メーカーで休眠しているものを活用。管理運用はJMIAに委託。

おまけその8 レーシングカーの安全基準を規格化すべし。
日本の自動車レースを主導しているのは自動車メーカーなのだから、安全基準に関しても独自の制定/運用をすべき。現在の責任回避のようなFIA任せでは対応として不十分だ。
安全性を追求することによって自動車レースの何たるかについて見えてくることは多い。

おまけその9 ドライバーOBを活用すべし。
競技長や審査員など、レース現場の管理的役職に優先的にドライバーOBを採用することによって、リタイア後の人生設計にひとつの可能性を与えるとともに、いつまでも同じ顔がサーキットに集える環境を作るべし。ドライバーOBを野放しにしておくと、彼らの頭で考えられるリタイア後のビジネスとして、必ず「ドライバーの育成」を訴え始めるので始末が悪い。

おまけその10 自動車レースをスポーツと呼ぶな。
これは本当のおまけだが、GAZOOのコメント欄にもあったように、私もモータースポーツという言葉は大嫌いだから私の原稿には一切出てこないはずだ。 まあ私の場合はスポーツそのものを理解していないから、北島康介がいくら頑張っていても「イワシよりも遅いのに?」と思うくらいだから、一緒にしないでくれと言われそうだが。

【編集部より】
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Profile:林みのる氏
1945年生まれ。
幼少の頃から物造りが大好きで、模型、ラジコン、オーディオ、バイクを経て、16歳からは車に没頭。19歳の春、鈴鹿サーキットで知り合った浮谷東次郎の依頼で HONDA S600を改造したレーシングカーを製作することになり、デビューレースで優勝する。
それからレーシングカーを造り続け、1975年に童夢を創業、現在に至る。
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