第7の提言

第4回「親から子へ伝承していきたいこと」CAR GRAPHIC編集部 副編集長 大谷達也 氏

終回となる今回は、モータースポーツの構造を主にソフト面から考えてみることにしたい。
 ときどき「日本のモータースポーツはまだ発展途上だから」という言葉を耳にする。本当だろうか?わが国におけるモータースポーツの夜明けは、国内初の本格的レーシングコースである鈴鹿サーキットがオープンした1962年だったとされる。翌1963年には、この鈴鹿サーキットで第1回日本グランプリが開催され、2日間でのべ20万人の観客を集めた。単純に2で割っても、1日平均10万人の大観衆である。これが今から40年以上も前のことなのだから、驚くしかない。その後、日本グランプリは1966年から富士スピードウェイに場所を移して実施されたが、国内自動車メーカーの積極的な関与もあって、こちらも満員御礼の大盛況だったと聞く。さらに、1976年と1977年に同じ富士スピードウェイでF1グランプリが開催されたときには、付近の道路が完全に麻痺する賑わいを見せたというし、国内最高峰レースのひとつである富士グランチャンピオンレース(通称:グラチャン)は、1970年代から80年代にかけて社会現象を引き起こすほどの人気を博した。その後、1987年から鈴鹿サーキットでF1日本GPが行なわれるようになると空前のF1ブームが沸き起こり、これは1990年代初頭まで続いた。つまり、鈴鹿サーキットで第1回日本グランプリが開催されて以降、約30年にわたり、わが国ではモータースポーツが脚光を浴びていたのだ。

 30年の長きにわたって関心を集めていながら、まるで風船がしぼんでいくかのように人気が衰えていった理由はどこにあったのか?私は、その30年の間にモータースポーツを文化として定着させることができなかったからだと考える。以下、プロ野球や大相撲などと比較しながら、モータースポーツが文化として定着しなかった理由を推論することにしたい。

年はいくぶん人気に翳りが見えているとはいえ、野球と相撲はわが国の国民的スポーツであり、これが文化として定着していることは論を待たない。我々モータースポーツ関係者が、野球と相撲を参考にすべき点は多々あると思うが、ここでは特に以下の3点を挙げておきたい。
1)誰もが手軽にプレイできる環境が整っていること。
2)親から子へと、スポーツ観戦の伝承が行なわれていること。
3)元選手を中心とする層の厚い解説者が揃っていること。
 以下、それらをもう少し具体的に説明していこう。

1)誰もが手軽にプレイできる環境が整っていること。
 相撲くらい簡単かつ手軽に楽しめるスポーツも他にあるまい。使用するスペースはごく狭く、道具も不要。男の子であれば、小学生くらいまでに必ず経験するスポーツが相撲といえる。野球はどうか?キャッチボールであればちょっとした空き地でも楽しめるし、学校の校庭や運動公園の片隅に野球場を用意しているところは少なくない。ボール、グローブ、バットといった野球を楽しむのに最低限必要な道具はどこにでも転がっているし、買おうと思ってもさほど高くない。野球も、よほどの運動嫌いでない限り、男の子なら一度は親しんだ経験があるはずだ。
 競技に参加した経験は、そのスポーツを観戦するときの目を養ううえで極めて重要な意味を持っている。野球で遊んだことのある男の子であれば、プロ野球選手の投げるボールがいかに速く、いかにコントロールが正確かを即座に見抜けるだろう。大相撲の力士の、あの巨体を投げ飛ばすのに、どれだけの腕力と技術が必要になるかも、相撲を一度でもしたことのある男の子であれば肌で知っているはずだ。ゴルフ、テニス、水泳……、どんな競技でもかまわない。自分がプレイしたことのあるスポーツであれば、ひと目見ただけで、競技のレベルが高いか低いかがわかる。それが、もしも世界トップクラスの技術であれば、彼らの目が釘付けになったとしてもおかしくない。憧れの気持ちもおのずと生まれるだろう。つまり、わが国における野球と相撲は、多くの人々に受け入れられやすいという点において絶大なアドバンテージを有しているのだ。
 では、モータースポーツはどうか?JAFの統計によれば、競技に参加するのに必要なドライバーライセンスの発給件数は5万件を下回っている(平成20年度)。ライセンスだけ持っていて競技に参加していない人も少なくないと推測されるので、実際の競技人口はさらに減ると見ていい。いっぽう、何らかの形で野球や相撲を楽しんだことのある人は数百万人から数千万人に上るはずだから、その差は歴然としている。「でも、自動車運転免許の保有者は7000万人を超えている」という指摘もあるだろう。けれども、タイムを競う運転の楽しみは、公道上で経験することができない。そして、この「楽しみ」を知っているかどうかが、観戦の目を養うのに効くのだ。どんなに簡単なものでもいいから、ドライバーとして競技に参加することがモータースポーツの振興を図るうえで重要だと私が主張する最大の根拠はここにある。

2)親から子へと、スポーツ観戦の伝承が行なわれていること。
 プロ野球好き、もしくは大相撲好きの父親がお茶の間でテレビ観戦をしている。その隣に子供が腰掛け、父親と一緒に観戦する。昔から、日本の家庭でごく当たり前に見られてきた光景だろう。このとき、「うーん、いまのカーブは切れ味が鋭かった」とか「あんなに小さな身体で、よく横綱を投げ飛ばせたなあ」などと父親がつぶやく声を聞いているうち、野球や相撲を見る子供の目はどんどん養われていく。こうした経験の蓄積は本物のファンを育てるのにとても重要であると同時に、子供の頃の強烈な印象は終生忘れがたい。しかも、この親から子への伝承は世代を超えて繰り返されていくので、歳月が経てば経つほど、より目の肥えたファンが育つようになる。
 ところが、日本では親子が一緒になってモータースポーツをテレビ観戦するケースは極めて限られている気がする。それは、モータースポーツ観戦が各家庭で“市民権”を得ていないことに理由があるのかもしれない。また、プロ野球や大相撲と違って、小さな子供が起きている時間帯にモータースポーツ関連番組があまり放映されていないことも理由のひとつだろう。これでは、野球や相撲のように世代を超えて「見る目が養われる」ことは期待できない。文化として定着しない所以といえるかもしれない。

3)元選手を中心とする層の厚い解説者が揃っていること。
 上述の2)では、テレビ観戦するうえで父親(である必要はないが……)の存在が重要だと指摘したが、同じことはテレビ解説者にもいえる。なかでも、試合中にこれから何が起きるかを予測したり、選手の心境を推測してみせたりできるのは、現役経験のある解説者だけだろう。この点、元選手の優れた解説者がいるかどうかは、競技の理解度を高めるうえで見逃せない効果をもたらすはずだ。プロ野球や大相撲では元選手の解説者が数多くテレビに登場しているが、モータースポーツの世界にも優秀な解説者はもっと多くいていい。ちなみに、イギリス、フランス、イタリアなどのF1中継には、必ずといっていいくらい“名物解説者”が存在している。

こまで4回に分けて私の提言を説明してきた。いずれも原理原則的なものが中心で、具体性に欠けていたかもしれない。しかし、関係者のひとりひとりが、人々に感動や共感をもたらすにはどうしたらいいかの大原則を忘れることなく、日々の業務のなかでその思いを具体化していく以外に、モータースポーツを再興させる道筋はないだろう。そうはいっても、モータースポーツに吹きつける逆風は時代と共に強まるばかりで、なかなかファンは増えないかもしれない。現在のような経済情勢を考えると、競技車両や競技場を作るのに莫大な経費がかかることもモータースポーツが抱えた本質的な弱点といえる。それでもなお、我々には前進する道しか残されていない。なぜなら、それがモータースポーツを愛し、職業としている我々の宿命であり、生きがいであるからだ。

【編集部より】
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Profile:大谷達也 氏
1961(昭和36)年9月2日生まれ、48歳。
神奈川県平塚市出身。川崎市在住。
大学卒業後はエンジニアとして電気メーカーの研究所に勤務していたが、29歳にして、かねてより憧れていたCAR GRAPHIC編集部への潜入に成功する。現在は同誌副編集長兼モータースポーツエディター。日本モータースポーツ記者会の会員でもあり、2009年末まで会長を務めていた。
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