前号ではS-GT開催コースによってレース・レスキューの対応が微妙意に異なっていた事に対してレース・レスキューの統一を図るため、「GTA FROシステム」を導入したところまでお話しをした。
10年以上GT専属のレース・ドクターを務めてきた高橋の目から見れば、特にモータースポーツ・セーフティーに関しては「日本のレース界ではまだまだその優先順位が低い事は否めない」、と、申し上げておきたい。若い読者の皆さんには理解できないことかもしれないが、第二次大戦の「ゼロ戦とグラマンの作り方の違い」が文化的にも政治的にもそしてレース界でもまだ残っている、と言ったら叱られるだろうか、、、若い読者の皆さんの為に若干の説明を加えると、我が日本のゼロ戦はその飛行性能は世界に名だたるものがあった、アメリカのグラマンは飛行性能を若干犠牲にしてパイロット・アーマー(防弾機能)を確実なものにした。と、だけ、お話しておく。
さて、今回は戦闘機パイロットならぬS-GTに参戦するドライバーに対するレクチャー(教育)の内容に関して少しお話しをしようと思う。読者の皆さんはめったに見聞する内容では無いのでさぞ興味がおありの事であろう。
ドライバーに対するレクチャーはドライビングに関するルールやレギュレーションの話もあるが、もう一つ大事な事は「モータースポーツ・セーフティー」に関する内容である。今回は、メディカルとレスキューを主体にした「モータースポーツ・セーフティー」の部分をお話ししたいと思う。S-GTでは必ず全ドライバーがこの講習を受けなければ、S-GTのテスト走行さえも禁止である。シーズン途中で参戦するドライバーもその都度「ルーキー・ドライバー」としてこの講習を受ける事が義務付けられている。
以下にその内容の一部を簡単に御紹介するが、S-GTドライバーでなくとも、モータースポーツに興味のある方々には是非読んで頂きたい事ばかりであると思う。内容は、現時点のモータースポーツ・セーフティーは勿論のこと、近未来のモータースポーツ・セーフティーに関してもお話をする事にしている。なぜならば、ドライバー自身に「安全意識を啓蒙」する事はレース界全体のモータースポーツ・セーフティーの発展には必要不可欠な事である。
- (1) Gセンサーに関して: 先号で御紹介した。
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(2) 熱中症予防・トレーニングに関して:
この部分は長くなるのでドライバー講習では割愛し、S-GTのウェブ・サイトを見るように勧めているが、モータースポーツでの熱中症は水分補給が不足した脱水から引き起こされる事が多いので、以下の脱水と熱中症のグラフを見せてドライバーには「常に水分補給を怠らない様」に注意を与えている。
図中、赤丸で囲んだものは熱中症で病院送りになったドライバーである。「喉の渇きを覚えた時には脱水は相当進んでいる事」、「バトル中は水分補給を忘れてしまうので、常に水分補給をすること」などを説明している。また以下のように文章でも通達をしている。
「*水分補給(スポーツドリンクを水で薄めたもの)をレース前に1 リットル、レース中には2 リットル、レース後に2 リットルくらいを補給してください。(以上の熱中症に関してはドライバー生理と大きな関係があるので、次号で詳しく述べよう)
*コクピットの換気に注意を払い、環境の温度、湿度を下げる工夫をしてください。
*車両のクーリング対策、エアーコン、ヘルメットクーリング、に関しては積極的に採用してもらい、決して「俺は熱に強い、などと見栄を張らない事」は重要な事である。」 -
(3) クラッシュに際して(FIAとほぼ共通の部分)の注意を「メディカル通達」からそのまま引用する。
「*FIA 認可の装具を身につけてください。特にアンダー・ウエアーはあなたの皮膚のすぐ上を覆うもので、火災の場合にはあなたの最後の砦となります。火災からあなたの皮膚に対して熱、溶解、そしてウエアーが皮膚に貼り付くことを防止します。
*Accidents if you see an accident coming…クラッシュしそうになったら…
- フロントあるいはリアークラッシュに備えて: 前方=HANS のストラップを張るようにヘルメットをやや前屈させる。後方=頭部をヘッドレストに押し付ける
- 側面あるいは斜めクラッシュに備えて:もし出来ることならば、頭部と下肢を衝突する方向のサイドヘッドレストあるいはサイドパッドに押し付けてください。逆の方向に逃げないで下さい=衝突時の衝撃が大きくなります。
- 両手はステアリングに置いたままにしますが、親指は(ステアリングの)外側に外すこと。
- 自分の筋力でインパクトに逆らおうとしないで下さい。」
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(4) また、レースドライバーはスポーツ選手であるのでアンチ・ドーピング・レギュレーションが適用される。「重装備で高熱の環境にいるドライバーとショートパンツで運動をするアスリートと何でもかんでも同一に考える」事の是非はまだ結論が出ていないが、レースドライバーで問題になるのは心拍数を低下させるような作用の薬や興奮剤、麻薬、アルコールなどがターゲットである。病気などで病院を受診する場合は下記「ドーピングコントロールに引っかからない薬剤一覧」を持って行き、担当のドクターに見せることを指導している。
全国のドクターが「ドーピング・コントロール」に精通している訳ではないのだから。 -
(5) 火災に関して:
また稀な事であるが、何らかの理由で、もしガソリンがドライビング・ウェアーに浸み込んだら、直ちにウエアーを脱いで、皮膚に着いたガソリンをシャワーと石鹸で洗い流して下さい。さもないと、ガソリンによる強い皮膚炎を発症する事があります。それはまるで深い火傷の様になる事があります。(ガソリンによる「化学熱傷」は正確には強い「皮膚炎」なのですが、病態が「熱傷」と同じようにひどいので、「炎症」よりも「熱傷」とした方が一般的に理解され易いのでその様な言い方をします。)また、一度火がついたノーメックスに代表される耐火ウエアーは「ミクロの耐火構造」が破壊されている為に「耐火性」は保持できませんので、捨てるように指導しています。勿論、これはピットクルーの耐火スーツやグローブも同様です。 -
(6) シートのヘッド・サイド・サポートの重要性とHANSの装着の義務化:
HANSはGT用とフォーミュラー用があり、シートバックの角度によりHANSの角度も異なるので、例えば、フォーミュラ・ニッポンやF-3とGTの共用は不可。ただし、最近のS-GTカーはそのドライビング・ポジションがどんどんフォーミュラー・カーに近くなって来ている事も事実で、共用している選手も多い。しかし、あまりシート・バックが寝過ぎたポジションは後方衝突時には危険である(→後述)。また、サイド・インパクトに対するサポートの検討も大事です。以下のようなサイド・プロテクション・ネットも自主的に採用するように話はしているが、レギュレーション化しないとなかなか装着したがらない事も事実である。
その他の注意点、特に近未来のモータースポーツセーフティーに関して:
- 後方衝突と脊椎損傷:後方衝突が多くなっている。60㎞/hの後方衝突では頸椎が約12cm以上延ばされる。シートベルトで固定されている胸椎、腰椎には逆に「圧縮=コンプレッション」が発生する。→脊椎損傷の確立が高い。
- シートバックの角度(寝かせ角度)と脊椎の受けるストレスに関して。→角度が浅いほど頚椎損傷発生率が高い。
- 脊椎損傷とその予後のシェーマ(模式図)。→頚椎損傷はドライバー生命に関わる。
- KEL(脊椎固定用インナーシート)の導入の推奨と、KELを使用してドライバー救出ができる開口部の規定。
- “Helmet Removal System”や “Hats off”などヘルメットを脱がす時に頚椎に負担がかからない様にする小さなエアーバッグをヘルメット内に装着する事の推奨。→これは2010年からS-GTではレギュレーション化されます。
- 脳震盪とレース復帰までのプロトコールの徹底とクラッシュ後に飛行機で帰宅することの注意点(=機内の気圧は0,6気圧になるので、患部はよけいに腫脹する)など。
また、更に講習時間に余裕があれば、
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既存ガードレールとバリアーに関して。特にコンクリートウォール+タイヤ―バリアーは衝撃が強い事を知っておく事。
→新しいバリアー(USA)やTECPROバリアーの紹介 - MERVの紹介:ゴルフカートを改造した簡易患者輸送車である。込み合うパドックやピットレーンなどへのMedicalTeamが急行する場合やメディカルセンターへの患者搬送などに有用。
是非各サーキットで導入の検討を願いたい。
等々、「ドライバー講習会」だけでなく、パドックやピット、あるいは「夜のお食事会」などでも、都度、説明、啓蒙しているのです。意見の言える「ゼロ戦パイロット」否、若い「S-GTドライバー」を教育する事が日本の近未来の「モータースポーツ・セーフティー」を考えた場合、一番手っとり早い、、のではなかろうか…??? 時には「おい、そこの若ぇ衆、ちょっと俺の話聞いてくんナ」状態でいきなり呼び止めたり、思い立った時にいきなり携帯に電話したりする事もあるが、、、でも、皆、ちゃんとお話を聞いてくれるところが我がS-GTドライバー達の素晴らしいところである。
次号は「GTドライバーの生理学」の予定である。乞う、ご期待。
【編集部より】
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- 1950年3月生まれ 西台整形外科理事長。専門は救急・外傷外科。
1998年までS-GT(当時はJTTC)GT300クラスに参戦。参戦中から「GT専属レース・ドクター」の必要性を訴え続け、1998年シーズン終了とともにGTA専属ドクター。以来GTレースやテストに常に帯同し、GTドライバーの安全対策とレース・メディカルやレース・レスキューシステムなどの統一性の構築などをアピールしてきた。本人はレースから引退したつもりは全く無く、S-GTのシーズンオフには現在でもチームからお誘いがあればDaytona24時間などの長距離レースには時々参戦している。