第4の提言

第3回「GTレースの隠れた敵」その1:熱中症対策の研究 GTA専属ドクター 高橋規一氏

S-GT、FIA-GT、ルマン・シリーズなどのクローズド・コクピットのレース・カーではドライバーの熱中症対策が欠かせない事は既に皆様良く御存知の事である。我々S-GT(スーパーGTシリーズ)の Medicalと参加チームは2004年より本格的に「熱中症対策」に取り組み始め、コクピットの強制換気などを改善してきたが、それでもレース中に熱中症に陥るGTドライバーは後を絶たなかった。それは、諸外国でのレースに比較して、日本およびアジア圏内では、高温に加えて湿度が異常に高い事も原因である。
 S-GTでは「GTカー・ドライビングと熱中症」の対策をするために、S-GTに参戦するトヨタ、日産、ホンダ、GTAのレース首脳陣と高橋との5人で「S-GT熱中症研究チーム」を結成(勿論、本稿トップバッタ-の柿元氏もそのメンバーである)、S-GT戦の実際のレース時やテスト時における車両とドライバーの種々のデーターを採取し、スポーツの中でも特異な「GTカーと熱中症」の研究とその対策を講じるべく2005年から積極的に行動を開始した。
 また、この間、S-GT参加チームはコクピットへの強制通風*、ヘルメットへの強制換気*やシート通風*、そして水冷式クール・スーツ・ユニットの凍結防止と効率アップ*に向けた種々の改良なども同時進行として、「見えない敵=熱中症の対策」に取り組んで来たのである。*

 GTカー・ドライビングでは激しいスポーツと同様の自己発熱量があるにも関わらず、「耐火安全ドライビングウェアーなど放熱を妨げる装備」を着用せざるを得ず、彼らは極めて高体温・高脈拍下での運動を強いられている。その生理学的原因を探るべく実際のS-GTカーのドライバー・スーツ内とヘルメット内の温度・湿度の変化を2006年から4年間に亘って測定、記録し、同様にドライバーが置かれている生理学的環境の検証のため血液化学検査や24時間連続心電図記録装置「ホルター心電計」によってS-GTドライバーのドライビング中の心電図解析を行い、また「血中酸素濃度」や「鼓膜温度測定」もドライバー・ロガーとして計測した。*
 灼熱のマレーシア・セパン・サーキットや高温多湿の夏季の日本国内サーキットにおける温度・湿度計測、血液化学検査、長時間心電図記録などの結果から、一般スポーツに比べて、自動車レース・ドライバーは高温・多湿の環境下でドライビングを強いられている事が数字の上ではっきりと表すことができ、更にF-1をはじめとした「オープン・コクピット」のフォーミュラーカー・ドライビングとクローズド・コクピットのS-GTカー・ドライビィングとは明らかに異なった結果が得られたのである。*
 そして熱中症対策として更なるアドヴァンスの装備として(当然のごとく)、レース・カーにエアー・コンディショニングの導入が真剣に模索されたのである。これはS-GTに限った事では無く、FIA-GT、ルマン・シリーズでも同様である。
 2006年FIA-Instituteの報告ではWRCラリー・カーにエアーコンを装備、コクピット内の温度と湿度を下げる事を模索、検証したが、たった20分のドライビングでも、ドライバーのコア(Core)温度(体幹温度)は38.5℃まで上昇してしまっていた。これはエアーコン無しの車両と大差なく、コクピットの冷却だけではドライバーのコア(Core)温度低下の効果が無い事が証明された*(下図)。
以上*印は「S-GT熱中症対策」で何度も配信している。
WBC Cars Cabin Modifications

図1:2006年のS-GTのドライバー環境の測定結果 (*3)National Athletic Trainer’s Association:Journal of Athletic Training 2002, 37より引用改修。 <計測結果>
 図1は2006年のS-GTのドライバー環境の測定結果をNATA*のレポートにある「スポーツに適した温度湿度環境」に当てはめてみたものである。S-GT ドライバーの環境は楕円で囲ったゾーンにあり、温度・湿度環境が極めて劣悪な環境である事が解る。
 これは耐火性のアンダー・ウェアー(長袖上下)やレーシング・スーツ、フルフェイス・ヘルメットなどの重装備によるものである。

図2:体幹温度の推移  図2に示すのはマレーシア・セパン・サーキットで2008年1月に行われた3社合同テストのデーターである。20~30分前後のテスト・ドライブ時のドライバーのコア(Core)温度(体幹温度)の変化を示す。
 乗車前、下車直後、30分後、60分後に鼓膜温度を測定したものである。最高で39.3℃、を示すが、ドライバーは「眩暈、痙攣」と言った「中等度熱中症」の症状は全く訴えていない。エアーコンで冷やされた涼しい環境の下、大量のドリンクを摂取しながらアイスパックでの冷却を行っても30分後にはまだ体幹温度は高く、ドライバーによっては60分後でも37.5℃以上を示す。これは、ドライビング後の「クーリング・ダウン」の方法を模索するには有意義なデーターである。

図3:ヘルメット内、温度湿度とコクピット温度  同様に、コクピットとヘルメット内の湿度環境の経年変化を図3に示す。2006年1月と2008年1月のマレーシア・セパン・サーキットでのデーターで比較する。
キャビン温度は2006年と2008年ではほとんど差はない。これは既に十分なコクピットの強制換気が為されている証拠である。

 2007年から各チームが試験的に導入した「ヘルメット強制換気装置」が効率よく作用し、ヘルメット内の湿度を95%から60%以下に低下させることに成功している。2006年のヘルメット内の湿度が100%の飽和状態であった事を考えると、実に40%以上の改善が為されている。

ホルター心電計(完全防水)、ドライビング後の写真S-GTドライバーの自己発熱量が高い事は先ほども述べたが、その原因を探るべく、実際のレース・ドライビング時の生理学的問題点を探った。
 以下は、長時間心電図記録装置「ホルター心電計」による解析であるが、一般的に理解されやすいように「心拍数」のみのデーターを示す。

ほとんどのドライバーが200bpm前後の高い値を示すが、そのドライビング・パターンはロングテスト・ドライブ、ショートテスト・ドライブ、アタック・モード、と様々であるが、アタック・モードで心拍数の増加が顕著である。最高心拍数が190以下のドライバーはたった2名のみであった。

図5:Test Driving時の心拍数 図6:心拍数とSPEEDのグラフ 図5は25分間のテスト・ドライビング中に、心拍数が200bpm以上で20分間以上持続する事を示す。他のドライバーも総じて同様のグラフを示す。これはF-1やF-3ドライバーの170~180bpmと比較しても生理学的最高心拍数(220-年齢と言われている)をはるかに超えている。

 これはドライバーのトレーニング方法にも影響を与え、最高心拍数に近い脈拍でトレーニングを続けざるを得ない状況であるが、筆者は「それは危険なトレーニング」と言わざるを得ない。

 図6はマレーシア・セパン・サーキットの各コーナー・スピードと心拍数の変化を表したものである。スピンアウトや事故の多いコーナー、長いストレートからブレーキングを開始するポイントで心拍数の増加を認める事がお解りいただけると思う。

 これらの心電図解析に関して、最高心拍数発生時、被験者全員に何らかの不整脈が認められている。これらの不整脈には放置して良いものと、医学的に治療が必要な「病的不整脈」の発生も認められているが、短時間なので問題は無い。
 また、例年、ル・マン24時間レース後、翌週にS-GTマレーシア戦が開催されるという過密なスケジュールの下、ル・マンから炎天下のマレーシアに直行し、S-GTレースに引き続き参戦するドライバーが多い。これらのドライバーの中からボランティアを募り、ル・マン24時間レースの1週間後と1か月前後の血液・尿のサンプルをマレーシアと日本で採取、その解析を行ったのでこれらについてお話したいと思う。

血液検査データー:
 重度熱中症や激しいドライビングを長時間続けた場合には、筋組織のダメージの指標であるCK(クレアチン・キナーゼ) が上昇することが解った。CKの上昇はドライビング直後では無く20時間以降に上昇する(図7)。この酵素は医学的には心筋梗塞発症時にも上昇し(その値は1300前後)、同疾患を疑った場合に行う通常の検査項目であるが、サブユニット(CK-MB)の形が異なる。当然、我がドライバー達のデーターではCK-MBは上昇していない。

 そして、医学的に急性心筋梗塞などではこのデーターの異常は5~7日で消失するといわれているが、これら高値を示したドライバーのCKが正常化するには(ダメージの程度によるが)約3~4週を要する(図8)。その理由は不明であるが、ドライバーが自覚症状の無いまま、レース・インターバルにもトレーニングを欠かさない事に起因しているのかも知れない。

 症例が少なく、誰もこの様な検査をしていないので今後の追試の結果が待たれるが、現時点ではCKの推移を見れば、24時間レース後に地球を半周するような長距離移動をして、2~3日の短いインターバルで再び炎天下のマレーシアでのGTレースを行うようなスケジュールに関して筆者らは警鐘を鳴らしたい。

図7 図8:血液検査データーのグラフ

最後に:  F-1をはじめとした「オープン・コクピット」の車両(フォーミュラー・カー)のドライビングと「クローズド・コクピット」のGT車両のドライビングには、大きな差がある。フォーミュラー・カーに比べて車重が約500㎏以上も重いGTカーのドライビングはドライバーに与える精神的ストレスがより大きいといえる。
 重たい車重は、「止まらない」、「曲らない」、「滑りだしたら飛んで行く」と言った「過酷な条件」をレース・ドライバーに要求し、「生理学的最高心拍数」を超えた心拍数の高さとそれが数十分も続くことから見ても解るように、ドライバーの精神的ストレスは非常に大きいものがあり、それに伴って自己発熱量も高い。また一方、空気力学的に徹底的に絞り込まれた車両特性から、コクピットやヘルメット内へのフレッシュ・エアーの導入には限りがあり、自己発熱量の多さに加え、厳重な耐火ウエアーにより「熱と湿気の放散」が大幅に制限されるため、「クローズド・コクピット」のS-GTドライバーは「オープン・コクピット」のフォーミュラー・カー・ドライバーよりも「熱中症」に陥る頻度は高くなっていた。そして、温度・湿度のドライバー環境を考えてみると、GTカーでは湿度を下げる工夫が「熱中症対策」として有効であり、スーツ内、ヘルメット内の換気を良くする事が重要である事も解って来たのである。
 それに対応すべくS-GT参加各チームはヘルメット換気装置、スーツ内換気として通風式シート、あるいは通風式スーツなどを採用、ドライバーも熱中症対応のトレーニングを取り入れ、脱水や軽度熱中症改善に有効なドリンクの検証を行い、2008年2009年のマレーシアや鈴鹿1000㎞レースを乗り切る事が出来た。
 そして、NISMOではコクピット内全体を冷却するのではなく、ドライバー・スーツ内とヘルメット内を直接冷やし、湿度を下げること、そして「ピットイン&ドライバー交代」という必須条件を短時間でクリアーする為にはドライバーと接続するホースやコード類(の、コネクター)を可及的に少なくするために、シート通風システムを開発したのである。勿論、これには最小限のパワーロスで効率よく冷やす方法や、シートやホース類の接続もFIAのレギュレーションにパスしたシートでなければならず、当然「ホモロゲーション」を得るためには多くの時間と経費が割かれたのである。レース・カー用のエアーコン開発に関しては別の機会に医学的検証も加えて、お話しする事とする。
 また、血液検査のCKの値の時間的推移を見ても、他カテゴリーと掛け持ち参戦をする場合には「レース・スケジュール」と「体調回復のインターバル」を十分に考慮して臨む事が必要であろう。

最後に、多くのGTドライバー達(セパンではワークス系のほとんどのドライバー達、日本では300クラスのトップドライバー達)とエンジニアの皆さんがボランティアで「採血」など苦痛を伴う検証に参加してくれた事に改めて感謝する次第である。

以下次号は「隠れた敵 その2」として「一酸化炭素中毒」のお話をしたいと思う。

【編集部より】
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Profile:高橋 規一 氏
1950年3月生まれ 西台整形外科理事長。専門は救急・外傷外科。
1998年までS-GT(当時はJTTC)GT300クラスに参戦。参戦中から「GT専属レース・ドクター」の必要性を訴え続け、1998年シーズン終了とともにGTA専属ドクター。以来GTレースやテストに常に帯同し、GTドライバーの安全対策とレース・メディカルやレース・レスキューシステムなどの統一性の構築などをアピールしてきた。本人はレースから引退したつもりは全く無く、S-GTのシーズンオフには現在でもチームからお誘いがあればDaytona24時間などの長距離レースには時々参戦している。