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2013年のキーパーソンに聞く
伊藤大輔(LEXUS TEAM KeePer TOM'S)

レースを知り「僕に向いてる」と確信した

第1回 レーシングドライバーを志す(2/2)

認めてくれた人たちに支えられた下積み時代

−−見るべき人が見ていて、実力を評価してくれたわけですね。

伊藤: ありがたかったですね。それから全日本GT選手権(現在のSUPER GT)のGT500クラスに上がるまで、百田さんのところでフォーミュラトヨタやF3で走らせてもらいました。
 今のようにデータロガーでセットアップを進めていくんじゃなくて、コースサイドからクルマの走りを見ながら(セッティングの方向性を)判断するようなやり方で、厳しかったけれどもずいぶん鍛えられました。それが今にも生きていますね。
インタビューに答える伊藤大輔
 ただ、資金的にはとても厳しくて...。あれはF3時代ですが、スポンサーなどまったくなくて、活動費も百田さんと一緒に自前で戦っていたんです。当然、クルマは(ステッカーなど何も貼っていない)真っ白のボディでした。で、MINEサーキット(山口県にあったサーキット。2007年営業終了)でレース前の練習をしていた時に、たまたまその練習走行を見ていたスピードマスターの社長さんが「あの白いF3は、スポンサーがなくて白いのか、それとも(白いカラーリングが)好きで白いままなのか?」と疑問に思ったらしくてスタッフの人がピットにまで訊ねてこられて。もちろん、何も好き好んで白いまま走っていたわけじゃないのでそう話したら、その場でポンッとお金(スポンサー資金)を用意してくれて...。そんなこともありました。嬉しかったですね。
 でも、SUPER GTに上がるまでは持ち出しが多くて、最終的には3000万円くらいの借金がありましたよ。

−−3000万円ですか!? でもGT500に参戦してからは楽になったでしょう?

伊藤:でもGT500クラスで走り始めた当初は、ギャラもそんなに多くはなかったんですよ(苦笑)。完全に返済を終えるまではずいぶんかかったように思います。まぁ、何とか返済を終えたので、今では笑い話になりました(笑)。

−−子供の頃からカートで活躍して今に至る人も多いですが、伊藤選手は自分で資金も得て始めたので苦労も多かったようですね。

次回はトップクラスのレーシングドライバーとして行うトレーニングについてお聞きします。(03.21掲載)