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ル・マンへ挑むレーシングハイブリッド開発ストーリー
トヨタ自動車 ハイブリッド プロジェクトリーダー 村田久武

第1回 電気嫌いに託されたレーシングハイブリッド開発(1/2)

2012年6月。デビュー戦となったル・マン24時間レースで一時トップを走り、世界を驚嘆させたTS030 HYBRID。その後はWECで計6戦3勝を挙げ、"ハイブリッドのトヨタ"を印象付けた。そして今年は、宿題として残った"ル・マンでの勝利"に挑むことになる。
世界的なビッグレースに挑むレーシングハイブリッドはいかに開発され、何を目標にしているのか? 開発の指揮を執る村田久武ハイブリッドプロジェクトリーダーに話を聞き、7年に渡るストーリーを3回の連載で紹介する。

突然言い渡されたハイブリッドでのレース活動

2006年7月、十勝24時間レースに参戦したレクサスGS450h
2006年7月、十勝24時間レースに参戦したレクサスGS450h
 ハイブリッドプロジェクトリーダーを務める村田久武(以下 村田)が、上司から「ハイブリッドシステムを使ってレース活動をしろ」という指示を受けたのは2005年の12月だった。トヨタ自動車入社後、主にモータースポーツ部でレースに関わる仕事していた村田は、エンジン部で3年にわたり市販車の開発に従事した後、モータースポーツ部に復帰したばかりだった。
 指示を受けた村田は面食らった。指示はそれだけで、レース用のハイブリッドシステムなど存在せず、出場するカテゴリーもなく、どういうシステムにするのか、どういうカテゴリーに出て行くのかを含めて自分で企画しなければならなかったのだ。
「モータースポーツ部で受ける指示は、いつもそんな感じなんです」。2013年4月早々のある日。TS030 HYBRIDの開発拠点であるドイツ、TMGに向かう前に行われたインタビューの席で村田は笑いながら語ってくれた。

電気嫌いが挑んだ未知の世界だったが......

 大学時代から電気が嫌い。電気の仕事をしたくないから自動車会社に入って機械的な仕事に就いたという村田は、モーターや蓄電という分野の前ではまさに門外漢。ハイブリッドシステムについて技術的なミーティングを開いても、専門家が何を言っているか理解できなかった。
「『日本語でしゃべってくれ...』というような状態でした。それであきらめて、必死になって電気に関する本を読みました」
 だがそのうち村田はあることに気づいた。基本的な法則は機械も電気も実は同じ、扱っているモノが違うだけで、何か問題が生じたとき未知の世界にアプローチする仕方に変わりはなかったのだ。
「トヨタ自動車に入社して、一番最初に勉強させられたのが『問題の解決の仕方』で、最初の5年くらいで徹底的にたたき込まれたんです」
2007年の十勝24時間レースの記者会見に臨む村田久武(写真右)
2007年の十勝24時間レースの記者会見に臨む村田久武(写真右)
 こうして村田は未知の「レーシングハイブリッド」の世界へ踏み込んでいった。まず2006年7月にスーパー耐久シリーズの1戦である十勝24時間レースにレクサスGS450hを持ち込んで走らせた。市販車向けに作られているトヨタのハイブリッドシステムをサーキットで走らせ、どこの部分がレースに向いていてどの部分がレースに向いていないのかを確かめるためだった。
「何が起きるかを実際に自分の目で見ないと、どっちを向いて走ったらいいのかまったくわからないですから。参戦してみて、適しているところも適さないところもあることがわかりました」
 村田はその経験を基に、翌年は自分たちなりにレーシングハイブリッドシステムのあるべき方向を考え、前年用いたGS450hのシステムを発展させてGTレース仕様のスープラに移植し、再び十勝24時間レースに参戦すると総合優勝を果たした。