ル・マンへ挑むレーシングハイブリッド開発ストーリー
トヨタ自動車 ハイブリッド プロジェクトリーダー 村田久武
第1回 電気嫌いに託されたレーシングハイブリッド開発(2/2)
ハイブリッドで自動車の進化に貢献したい
レクサスGS450hのシステムを発展させ、
翌2007年のGTレース仕様のスープラに移植。
十勝24時間レースで総合優勝を飾った
開発の方向性が間違っていないことを確かめた村田は、次にレース用のハイブリッドシステムというものを社内、社外に認知してもらう仕事に力を注いだ。
「そこに将来性があるんじゃないかと思ってもらわないと応援団が出来てこない。技術的にはもちろんですが、仲間を増やす事も大事でした」
当時、トヨタはハイブリッドシステムの展開を推進している時期であり、関連の開発部署は多忙をきわめていた。そこに「レースに協力してくれ」とかけあっても容易に賛同は得られなかった。
「『どうしてオマエはそんなことをやろうとするのか?』とあちこちで言われたので、自分なりに一所懸命考えました」
なぜハイブリッドシステムを使ってレースをしようとしているのか、と村田は自分に問いかけた。レースには様々な自動車メーカーが関わっている。だがスポーツカー専門メーカーと違って、フルラインナップの製品を開発販売するトヨタ自動車にはトヨタ自動車として目指すべき目的があるはずだ。そして村田がたどり着いた答えは「自動車と言う乗り物の進化に貢献する」という目的だった。
「ハイブリッドシステムは、先輩たちが二十何年もかけて開発してプリウスとして世の中に出てきたけれども、自動車には百年以上の歴史があって技術として相当こなれているのに対し、ハイブリッドはまだまだ育っていかなければいけない分野なんです。そこには絶対新しい発見や進化がある。レース活動によってそこを追求しようと......」
初代プリウス
しかも村田は、それを自分たちの手でやろうと考えた。技術を外部の企業やレース部品開発会社から持ち込んでレースをすれば苦労は減るかもしれない。しかし"自分たちでつくる"というトヨタ自動車のDNAが、村田の背中を押した。
しかしもしハイブリッドという旗を掲げながら失敗すれば、トヨタ自動車にとって重要な財産になったハイブリッド自動車の足を引っぱる事にもなりかねない。当然覚悟が必要だった。
「ハイブリッド技術で負けることは許されない。レースに出る以上は勝たなければいけない。参加することに意義はないんだ」と、心を決めた村田は、熱心に社内を廻って協力を募った。情熱は通じ、徐々にではあるが忙しい社内にもハイブリッドによるレース活動を応援し手伝ってくれる人々も増えていった。こうしてハイブリッドシステムは、ル・マンへ向けて走り出したのである。
このように村田ハイブリッドプロジェクトリーダーの下、レーシングハイブリッド開発が進み始めた。だが、その前には高い壁が立ちはだかることになる。第2回では、困難な開発の過程とル・マンへの挑戦のストーリーをご紹介する。(05.09掲載)