ル・マンとは?
ル・マンの歴史を支えるもの(2/4)
町全体がお祭りになる1週間
毎年6月のある一週間になると市内の様子が一変する。日曜日に市の中心部で行われる公開車検に始まる「ル・マン24時間ウイーク」だ。カフェにはレースのポスターが貼られ、店のショーウインドウにはチェッカーフラッグやミニカーがディスプレイされて大いに賑わいを見せる。世界中からたくさんの人々がル・マンを訪れ、駅やレストランなどでは普段あまり耳にすることのないフランス語以外の言語が飛び交う。地元の人たちにとって、ル・マン24時間は年に一度、一週間続く祭りなのである。
2012年、第80回大会を終えたル・マン24時間。その長い歴史は、このレースが地域に密着し、地元の人々の高い支持を得ていることの証である。運営には多くの市民がボランティアとして参加し、人々の支援のもとにレースが成り立っている。公式予選が午後7時からスタートするのも、仕事を終えた地元の人たちが観戦できるように配慮した、とも言われている。臨時駐車場の案内係が毎年同じ人、というのはよくある話だ。1000人を超えるマーシャルもボランティアだ。「我々はル・マン24時間への情熱でこの仕事を請け負っている。報酬を受け取るべきではない」と、コース上で旗を振る、あるマーシャルは言う。メディカルセンターに勤務するドクターのひとりは、なぜ休暇を取ってまでここに来るのかの問いに、「この24時間レースへの情熱」と答える。そうした地元、そしてフランス中の情熱が「ル・マン24時間」の80回もの開催を可能にしたのだ。
コースの大半は公道。村の名前がコーナー名に
レースの舞台、サーキットのメインゲートは市の中心にあるル・マン駅から約6キロ、車で15分ほどの距離にある。ゲート横には自動車博物館が併設されていて、レーシングカーのみならず、自動車発展の歴史を今に伝える様々な展示がなされている。
このメインゲートは1965年に完成した常設のブガッティ・サーキットへと続くゲートで、ル・マン24時間を運営するAutomobile Club de l'ouest (ACO = 西部自動車クラブ)の本部もこの敷地内にある。
ブガッティ・サーキットではACOのレーシングスクールや様々なイベントが行われている他、国内規模のレースも開催されている。二輪の「ル・マン24時間」や二輪のロードレース世界選手権「moto GP」も同じくここで開かれている。
90年代にはパリから近いという好立地と当時最も近代的だったピットまわりの設備などから、F1フランス・グランプリの開催を打診されたこともあったが実現していない。
「ル・マン24時間サーキット」は1周13.629km。ピット、コントロールタワー周辺、パドックなどはこのブガッティ・サーキットの施設を使う他、同サーキットの一部も走路として使われているが、大半は市内の公道だ。だが公道といってもモナコやマカオのような市街地はほとんどなく、その大部分は村々を結ぶ田園地帯の一般道である。ミュルサンヌ、アルナージュなど、コーナーの名称に村の名前が使われているところもある。
そして公道を用いているが故に、ル・マン24時間は事前の走行ができない。「テストデー」が設けられるようになったのはそのためである。
- P1:パリから200kmほどのフランス地方都市
- P2:町全体がお祭りになる1週間
- P3:24時間を戦うということは揺らがない
- P4:参加することすら厳しい条件がある