2014年注目ドライバー インタビュー
石浦宏明 〜技巧派ドライバーの仕事術〜 前編(3/3)
鈴鹿でのGT500優勝で"プロで行ける"自信がついた
--TDPに加わった時には年下の子が多く、同期の大嶋和也選手は6歳下ですけど、その歳の差はどう感じていましたか?
「フォーミュラトヨタの頃は年齢を言わないようにしていたし、プログラム(のプロフィール)とかも見られたくなかったですね。だって、21歳って一般的に言ったらまだ若いのに、僕は21歳という年齢が理由でレーサーになれないかもしれなかったわけですから。そんなに悔しい思いをしたことがなかったので、なるべく年齢の話は自分からはしないようにしてました。
ただF3も2年で卒業して、3年後にはフォーミュラ・ニッポンとSUPER GTのGT500クラスに乗ったので、そこまでいったら僕の年齢が普通になったんですよ(笑)。その当時は27歳だったんですけど、結構若い方になって"やっと年齢が言える"と。恥ずかしくも思わなくなりました。最近はトークショーでそれをネタにできるようにもなりましたしね」
--27歳でフォーミュラ・ニッポンにデビューして、同じ年にはGT500にも乗っています。
その前の年にはGT300でチャンピオンを獲っていますが、プロとしてやっていけると実感した瞬間はいつでした?
「正直に言っちゃうと、2007年にF3で戦ってGT300でチャンピオンを獲った時は、周りが(何をすれば良いか)決めてくれる環境だったんですよね。例えば、GT300のトイストーリーのMR-Sに乗ることを知ったのは、オートスポーツの記事でしたし(笑)。勘違いや育成プログラムに入った安心感みたいなものがあったので、もうプロになれると思っちゃったんです。それが次の年、自分でチームと直接交渉することになって、高級ホテルのロビーで話し合いをしたんですけど、"プロってこういう世界なんだな"と思いました。
その後、GT500で在席したチームが解散することになって、僕は2009年のシートを失ってしまったんです。その頃、大嶋もヨーロッパから帰ってくることになっていて、彼もシートがなかった。それが、1月の11日くらいに"体制が変わってお前たちふたりを乗せることにした"と言われて。その東富士研究所からの帰り道、クルマの中で大嶋とふたりで大騒ぎしました。しかもその足でシェイクダウンテストに向かったんですけど、"できることはなんでもやれ!"と言われていたので、タイヤを自分たちでガレージに運んだりしてました。GT500のドライバーなのにね(笑)。
でもそれって、本当に1年だけのチャンスだったと思うんですよね。"結果が出なかったらもう終わり"という状況のなか、その年の鈴鹿700kmで優勝して、その時に"プロでやっていける"という自信がつきました」
モータースポーツ自体に触れるのは早かったものの、レーシングドライバーの道を歩み始めたのが18歳と遅かった石浦選手。それでも"なりたい"という信念が、周囲の人や流れを呼び寄せたのかもしれませんね。後半では、トップドライバーとなった石浦選手が開発ドライバーとしてこだわったこと、後輩指導でのポリシーなど、レース以外の仕事をお話ししてもらいます。
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目次ページ
- 前編:18歳からでもトップドライバーになれる(2014年7月17日公開)
- 後編:車両開発と後輩指導に見せるこだわり(2014年7月24日公開)