原動力は“好きだ”ということ、そして“夢を持つ”こと
● 右京さんは登山はもちろんのこと、いろいろなレースやラリーに出たりして、ものすごい行動力だと思います。そういう風にご自分を駆り立てているものというのは何なのでしょうか?
「まず、個人として挑戦することが好きだということだね。それに自分にもまだ夢があり、まだその夢の途中だから努力もできる。若い頃は彼女に振られたり大学受験に落ちたりしたことを逆にバネにしてがんばっていたこともありますよ。今は両親のいない子どもたちとか、病気の子どもたちを励ます活動をやっていて――日本だとチャリティが売名行為のように思われる部分もあるけどね――そういった子どもたちに言っているのは、“人生に失敗なんてない。仮にあったとしても結果よりももっと大切なことがあるんだ”と伝えています。そこで挑戦することが大事なんだということを知ってもらいたいですよね」
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強烈なパワーを誇るTS020はグッドウッドでも堂々たる走りを披露。 |
● では右京さんの今の夢は?
「2つあるんです。ひとつはみんながもっと優しくなれること――そのためにはすごく強くならなければならないんだけどね。当たり前のことなんだけど、階段で前の人が転んだら支えてあげるとか、横断歩道でお年寄りが困っていたら手を貸してあげるとか、目が見えない人が困っていたら声をかけてあげるとか――そういった意味で人に優しくなれることだね。そういったことが広まれば、モータースポーツにしても、街の中で練習して事故を起こして迷惑をかけるとか、そういったことは起こらなくなるはずだし――人との関わり合いの中でお互いに優しくなれればいい、そういったことに力を注いでいきたいですね。これが環境問題を含めた“エコ”の部分だとするなら、もうひとつはもっと“エゴ”の部分の夢だね。誰かが褒めてくれるわけでもないし、金メダルをもらえるわけでもなく、純粋に自分のためなんだけど――厳冬期に無酸素で世界で一番高いところに昇りたいとか、8000メートル級の14座をすべて登頂成功した日本人がいないので、それを実現したいとか――子どものころからずっと抱いてきた夢だけど、これをなんとか成し遂げてみたいですね」
● 最後に、右京さんにとってモータースポーツとは何でしょう?
「それは僕のね……、存在証明かな。日本でチャンピオンになって世界に行ったとき、“世界は全然違うんだ”というほどの大きな世界を見せてもらえた。小さなことで言えば、それこそモナコに住んで年収数億で税金はいらなくてクルマもたくさん持って、っていう世界を実現できたけど、でもそれ以上に重要な意味があったのは、セナやマンセル、シューマッハーと一緒にF1を走ることができたこと。相模原のちっぽけな田舎で育って肥だめに落ちて一週間くさかった自分がね、根性でがんばって歯を食いしばって闘えば、何か光明が見えてくる世界なんだという、そういうものを見せてくれたもの――ある意味で僕にとっての人生の教育システムだった。みんなが真摯な態度で目標に向かっていたしね。僕は凡人だったけど、あるとき“神風”と呼ばれてセナやシューマッハーについていこうと思った自分を誇りに思う。F1レーサーとしての秒針は止まっているけど、自分の中にある火は全然消えていない。だからまだまだこれからも、がんばりますよ」
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