特集 > 2005年特集 > グッドウッド・フェスティバル > 3.時代を駆け抜けたドライバーが語る“あの頃”と“今”
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toyota-f1.comインタビュー
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北原豪彦――「すべてがゼロからのスタートだった1960年代」
日本のプロレーサーの草分け的存在ともいえる北原氏に、当時のレース界の様子をうかがった。
(2005年6月25日(土)グッドウッド・フェスティバル内ドライバーズクラブにて)
北原豪彦(きたはら・たけひこ)

1936年5月21日生まれ。69歳。1964年5月、第2回日本グランプリにトヨタ・パブリカとクラウンでデビュー。TMSC(トヨタモータースポーツクラブ)のメンバーとして、トヨタスポーツ800、パブリカ、カローラ、スプリンター、2000GT等を駆って活躍。

楽しいレースを数多く体験した1960年代
● 今回は40年近い時を経てS800を実走されたわけですけれども、やはり昔のことを思い出されたところなどありましたでしょうか?
「そうですね。私がドライブしていたのはこのクルマだけではなくてね、当時のトヨタのクルマはほとんど乗っているんです。このクルマに関しては、けっこう私自身いろいろとエピソードがあるんです。当時のライバルはホンダのS800でしょ? これはね。GT1のクラスでしたから、ほかになかったんです。一時、ダイハツさんがP5なんか走らせていたことはありましたけどね。あの当時は、ほかにないから、ほとんどはホンダ対トヨタみたいでした。このクルマ(S800)のいいところは、絶対に転倒しない、という部分でした。スピンはしますけどね。あの当時はまったく負けなかったですね。それこそ100戦100勝でした。その後ホンダさんもチェーン駆動をやめて通常のプロペラシャフトにしたものですから、それとホンダさんのS800は120馬力でしたが、こちらは75馬力でしたから、そうなると勝てませんでしたね。向こうがまともに走ってしまうとね。でも私たちは本当に楽しいレースをやらせてもらっていましたよ。まあ相手がね、S800しかないんですけど。でもこちらも一番多いときには3台も4台もプライベーター含め、出走していて、いいレースができていましたね」

  パドックからコースへと向かうS800。

● 60年代のレースとなると、やはりすべてがゼロからのスタートで、それこそ手作りだったのではないかなと想像します。
「ええ、そうなんです。だからちょっとアイディアを持っている人がスタッフにいると、突然速くなったりするんです。運転技術に関して言えば、トヨタさんがね、いち早くほかのメーカーに先駆けて、ピエロ・タルフィさん(*元F1/F2ドライバー。船橋サーキットの設計者)をね、船橋サーキットに呼んでいただいて、私たちトヨタのドライバーだけが直接指導を受けたことがあるんです。クラウンに一緒に乗って、自分で運転するわけですけど、彼がここはどうだこうだとイタリア語でね、指導してくれました。真っ白な髪のおじさんでしたけどね。でも彼もヨーロッパチャンピオンで偉い人でしたね。あの人が書いたドライビングテクニックの本がバイブルでしたね」

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