特集 > 2005年特集 > グッドウッド・フェスティバル > 3.時代を駆け抜けたドライバーが語る“あの頃”と“今”
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toyota-f1.comインタビュー
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北原豪彦――「すべてがゼロからのスタートだった1960年代」

夢を引き継ぐためには環境作りも大切
● そういったゼロからの積み重ねがあったからこそ、今のレースがあるわけですね。
「そうです。当時は日本もね、東京オリンピックを開催するようになって経済力もどんどんついてきました。そうすると若い人たちもオートバイに乗りたいとか自動車に乗りたい、と思うようになってきて、そういった時代の波に乗った形でしたね。だけどね、若い人たちとっては、今のようなゲームもパソコンもない、とにかく遊べるおもちゃがなかった時代ですからね。オートバイならオートバイだけ、自動車ならそれだけに賭けちゃおう、という人がね、最終的にプロになっていったという流れがありました」

デモ走行からパドックに戻る北原氏とS800。耐久レース仕様ということで、今回はヘッドライトを点灯しての走行だった。  

● 情報もテクノロジーも限られていただけに……
「そう、すべてを自分で作っていかなければならなかったわけです。それでやっているうちに面白くなって、やめられない、となっていくわけです(笑)。財産投げ打ったりしてね(笑)」

● ところで、こういったフェスティバルやF1日本GPなどから刺激を受けて、レーサーになりたいと思う子どもたちもでてくると思うのですが、そういった環境作りの面についてはどのように思われますか。
「日本でも環境作りは進みつつあると思いますよ。ただし、親の意識の面がね、モータースポーツというのがスポーツという文化、あるいはカテゴリーとしてね、まだ認識が薄いですからね。社会的にもまだまだでしょう。もうすこし時間がかかると思いますね。しかし、子どもたちがこういった現場に足を運んで、モータースポーツに対する関心や意識をもってくれれば――そういった人がたくさんいればいるだけね、ドライバーとかこのモータースポーツの世界が拡大していくと思います。それがないとね、厳しいですよね。たとえば当時はチャンピオンになっても関心が薄かったですよね。もちろん現役のときはあちこちにサイン会やラジオのゲストなどに呼ばれたことは何度もありました。メディアでももっと取り上げてもらうことなどもね、重要だと思います。当時はサンデースポーツという名目で、ジムカーナの講習にかり出されたりもしたんですが、そういった番組をテレビで放映していたんですよ。子どもたちの目に触れる機会を増やすようなね、そういう扱いをしていかないといけないでしょうね。それからモータースポーツの先輩たちにももっといい環境を作っていくべきでしょう。たとえば若い人をつれてサーキットを訪れたときに、パスひとつで入れるような仕組みとかね。つまり、そういった周囲からの認知がないと、先達としての指導力などもなかなか発揮できないんですよね。そういった環境が整っていけば、若い人たちもドライバーになることへの夢やあこがれ、期待などを現実的に持てるようになると思います。また、そうなれば私たちのほうも一肌もふた肌も脱ごう、となりますしね」

大切なのは精神的な財産
● 当時トヨタのエースドライバーだった北原さんの目からご覧になって、その後、現在のF1に至るまでのトヨタのモータースポーツ活動についてどういった印象をお持ちでしょうか。
「60~70年代の日本の自動車メーカーというのは、世界の中では隔離されたような状態でした。つまり高い関税をかけて安いものが入ってこないようにしていた時代でしたから。ですから、外国がどうこうというのはあまり気にしないで、国内のライバル同士がしのぎを削っていましたね。それよりも乗用車が売れるのか売れないのかといったそんな時代でしたからね。レースはそのためのPR活動の部分もあったようです。若い人たちにアピールするためにね。最初にレースに誘われたときには、私としても“まずはどういうものなのか、様子を見させてほしい”という気持ちでした。だから第1回のレースは見学でしたね(笑)。当時のメーカーは本当に命運をかけていましたね。」

● つまりレースに出ることの意味合いも今とは全然違ったわけですね。
「そうなんです。スポーツがどうのこうのではなかったです。最初はやはり販売促進のための活動でした。その後、スポーツの部分がついてくるわけです。当時はレースを統括する団体もありませんでしたし。JAFができたのものそれからなんです」

● 40年の時を経て、イギリスのこうしたフェスティバルに参加されて、そして身体の方から自然に反応してくれるというのは、とても感動的な体験なのではないかなと思います。
「確かにね、お金という意味での財産は失ったりもしましたけど、そういった自分の精神的な財産というのはね、消えずに残っていますし、身体も動きますからね。だからまだまだそういった分野で役に立てることがあれば、手を貸していきたい、という思いはありますよ」

  真横から見ると、車体のコンパクトさがよくわかる。

● ドライバーの皆さんはお年を召されてからも闊達な方が多いような気がします。
「そうかもしれませんね。ある程度のレベルを極めてきたドライバーは、肉体の面でも精神の面でもやはり強いものを持っていると思います。そうじゃなかったらここまで来ませんからね。勝負の世界は勝つことばかりではなく負けることもあるわけで、それが日常ですからね。そうすると強くなっていくわけです。つまりは、それが好き、勝負が好き、レースが好きなんですよ。自分の手でなんとかできる、何とかしよう、という世界だからいいんですよ。自分の手で自分をトップへ持っていこう、というね。それができるからこそ意義があるんです。それに尽きますね」

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