忘れたころ突然に、不思議なメールが届く。それはまるで迷惑メールであるかのような怪しげな雰囲気を漂わせながら・・
【闇ラリーのお誘い】
タイトルがまずいかがわしく、しかも文面は簡素だ。競技日と目的地と、それがゴールだというのか、目的地到着予想時間が記されている。詳細なルートが案内されているわけでも競技規則もない。参加の有無を問うこともなく、好きならどうぞ勝手に走ってきてくださいといった冷たさが行間から滲み出ている。
差出人はおおかた察しがつく。いつものクルマ好きな奴らのうちの誰か、とでもしておこう。
忙しければ無視しても許される。マウスを削除の位置に導いてドロップすればいいだけだ。だが、そのメールは意外に強い吸引力を秘めているようで、抗いながらもその日をソワソワと待ちこがれ、クルマを走らせることになるのだ。
ラリーといっても、速さや正確性を競うものじゃない。闇とうたうのは、設定された目的地到着時間がたいがい深夜1時頃だからなのだろうが、僕にはむしろ、大の大人が夜中にする行為としては幼稚であり恥ずかしくて公言がはばかられる、というのが語源だと思っている。そう、僕らは夜な夜なクルマを走らせどこかに集まり、そのどこかはたいがい公園だったり浜辺だったりというアウトドアで、ただただ夜が開けるまで無駄話をするだけなのだ。そう、それぞれが走らせてきたクルマの傍らで無駄話をすることに無意義がある。まるでそれは免許証取り立ての学生が、クルマに接していたくて我慢ならない、といった印象に近いのだ。
その日の目的地は、伊豆下田の足湯だった。下田・まどが浜海遊公園の一角で24時間足湯だ。東京から100kmほど離れた場所だったから東名高速から小田原を経由してくる者、相模湾の海岸線をひた走ってくる者、海岸線を避けて有料道路を使ってくる者と様々だった。誰もが連絡し合わずに、ただやってくるのがこのラリーの暗黙の趣旨だ。周到に準備するっていうより、なんとなく集まるという会の趣旨に、それがあっている。その晩は、およそ 15名ほどのクルマ好きが集まった。
足湯といっても、海浜公園の片隅にぽつんと、たらいほどの小さな桶にゆるいお湯が浮かんでいるだけで、照明らしいものは一切ない。まさに闇の中。しかたなく、自らの愛車達を車座にならべてライトで照らすことで、お互いの表情を確認することにした。
ところで、この闇ラリーにもふたつ決めごとがある。ひとつは男のみの参加であること。もうひとつは、それぞれがひとつの公約を掲げ、それを次回のラリーまでに実行せねばならぬというルールがあるのだ。それはたいがい、雨の日でもオープンカーの屋根を閉めないだとか、ひと月にガソリンを3000リッター使ってやるだとか、固形ワックスを使い切るだとか、そんな幼稚かつ無意味で自虐的な内容が多いのだが、自らが課した公約、これだけは厳格に守られる。
証明するために、豪雨の中、体をびしょびしょにしながらたたずむ自らの写真を持ち寄ったり、3000リッター分のガソリン領収書を束にしてきたり、空のワックス缶を持参し、そのたびに拍手したり笑ったりバカにしたりしながら無駄な時間を費やすのだが、下田の足湯に集まったその晩は、あるひとりが果たせなかった公約に同情が集中した。
その公約とは、ある新婚の男の反故された一件。「愛車で北海道まで新婚旅行をする」が公約であり、「こんなボンコツでは嫌だ!」という新妻の抵抗が反故の理由だったのだ。 断られた理由には、おおかた納得した。彼が所有する愛車は、1996年式の軽トラだったのだ。彼は魚屋の二代目だ。生臭い匂いがついて離れない。一生に一度の新婚旅行としては相応しくはない。
「せっかくの旅行があのクルマじゃ、彼女が可哀想だぞ」
我々を照らすいつくかのライトの中、風に揺れるローソクの火のように心細く点灯しているのが軽トラのものだ。
「海外は無理でも、グリーン車で熱海旅行とか・・・」
「それじゃ、思い出にならないから・・」
「せめて、高級なスポーツカーをレンタルしたら?」
「愛車でいくことに意義がある」
意外と頑固な男なのだ。
「でも、ETCもつけた」
「それでも無理!」
「カーナビも買ったんだぜ」
「ぜったい無理!」
「レーダー探知機も装着したんだぜ」
「ますます無理!」
「万全だろ?」
「あのクルマでオービスが気になるっていう考えが無理!」
彼は軽トラをこよなく愛している。錆だらけのクルマなのだが、アルミホイールに太いラジアルタイヤを装着していた。
闇ラリーの公約は厳格に守られるのが決まりだし、反故されればペナルティが待ち受けている。だがこの時ばかりは、彼の公約が果たされるなどとは誰も期待はしておらず、むしろ無理な提案を断った彼女を評価する意見が大勢だった。
「まっ、今回ばかりは彼女の意見も聞いてやれよ」
埒の開かない議題にまとめるように、ひとりがそう言った。もう朝日が昇ろうとしていた。
その数ヶ月後、【闇ラリーのお誘い】というメールが届いた。差出人は、軽トラにのる新婚の男からだった。目的地は前回と同じ、下田の足湯だった。 文末にこう記されていた。
(今回の闇ラリーには、家内が同行します)
それが新婚旅行になるような気配が行間に滲み出ていた。 とりあえず、盛大に祝ってやるつもりだ。夜中に、ロウソクの火のような彼の大切な愛車が照らす足湯で・・・。