スーパー耐久2013
スーパー耐久とは -身近なクルマでサーキット最速を競うモータースポーツ-
GAZOO Racing TOYOTA86のマスタードライバー影山正彦。彼の86との出会いは突然だった。
2011年10月、ドイツ、ニュルブルクリンクへ飛ぶ。出発前に影山に与えられた情報は「プロトタイプ車両でVLN9(2011年ニュルブルクリンク耐久選手権第9戦)に参戦」ということだけ。何も伝えられないということを、不快に思うこともあるだろうが、その時の影山は、極秘プロジェクトに参加することへの期待に胸が膨らんだ。
ドイツで待っていたのは、なんとシルエットを隠すために、唐草模様を施されたプロトタイプのFT-86(TOYOTA86のプロトタイプ)。うすうす予想していたものの、実際に対面した時は、更に胸は高鳴った。それが、86との出会いだった。
VLN9のレースウィーク水曜日、初めてクルマと対面。
ブレーキローターが焼けてない、フェンダーに飛び石の後もない。ということは、出来立てほやほやを持ち込んだのか?否が応にも気持ちが昂る。
レースウイークにシェイクダウン、そのままレースデビュー!?なんとも大胆。
エンジニアはそこまで自信を持ってこのクルマを持ち込んだのか?影山は大変驚愕した。
時計の針は、そんな驚きとは裏腹にどんどん進んで行く。
TOYOTA86が、世界で初めてレースに参戦。その歴史的第一歩を踏み出すシーンに、ステアリングを握ったのが、影山正彦だった。ここから、GAZOO Racing TOYOTA86の歴史はスタートし、同時にマスタードライバー影山正彦が生まれた瞬間である。
2012年春のVLN2、VLN3を経て、5月のニュルブルクリンク24時間耐久レースに参戦。前年秋のプロトタイプのFT86デビューから、2月の86正式発売を経て、86はさらに進化していた。GAZOO Racingは、VLN2から2台のGAZOO Racing TOYOTA86を投入。86のマスタードライバーとして、影山はすべてに参戦した。VLNでは、実戦を通じてチームと共に、クルマ作りを推進。走れば走るほど、またクルマの改良を要求すればするほど、86の成長する度合いが手に取るようにわかった。
5月の24時間耐久レースには、満を持して参戦。もちろん、ミッションやエンジンの耐久性は、VLNで4時間、6時間と試し、ともに完走していたが、世界で最も過酷なサーキットといわれるニュルブルクリンクでの24時間耐久レースは未知の世界。多少の不安はあった。
GAZOO Racing TOYOTA86は、1台がハイペース、もう1台は安全なペース配分で完走を目指す走行と、2台それぞれの戦略が功を奏し、1台はクラス優勝、2台目も完走かつ6位入賞という最高の結果をGAZOO Racingへもたらした。
これは、チームメンバーが予想し、かつ密かに狙っていた結果でもあった。
86でレースに参戦する意義は、量産のクルマを鍛え、同時にカスタマイズパーツの可能性を広げること、と影山は考えている。
久しぶりに走りを楽しむ事のできるクルマをメーカーが世に出し、いろんなレースシーンでこのクルマに対して高まっている期待に応えるために、レーシングカーとしても86が活躍して行けるように開発するのが、マスタードライバーとしての影山の役割だと考えている。それは、「クルマ好き、クルマファン」の方々に「新たなクルマの楽しみ方を提供」することにつながっていくことでもある。
スーパー耐久シリーズへのデビューは本年8月、高温で酷暑のシリーズ第4戦岡山国際サーキットとなった。シェイクダウンから間もないGAZOO Racing TOYOTA86は、フリー走行からマシントラブルに苦しみ、予選もフラストレーションがたまる結果となった。決勝日、朝のフリー走行で、いったんトラブルは解消されたが、3時間の決勝レースを完走することはかなわず、1時間30分経過時点で無念のリタイアとなった。ニュルブルクリンクの過酷な路面を完走した86にとっては悔しい結果ではあるが、比較的寒冷なニュルブルクリンクと違って、ここまで暑い気温で戦ったことがなく、それに対してのデータが沢山取れたことが収穫であった。
10月、鈴鹿サーキットで行われたシリーズ第5戦は、WTCCの併催レースとして1時間のセミ・スプリント・レースが2ヒートで争われた。GAZOO Racing TOYOTA86は、まだまだ初期トラブルに苦しんだが、ようやく2レースとも完走を果たすことができた。
11月の最終戦は、スーパー耐久が九州に初上陸となる大分県オートポリスで争われた。決勝日朝から、断続的に雨と霧が続く中、ほほ1時間30分遅れでスタートした決勝レースで、GAZOO Racing TOYOTA86は悪天候によるセイフティーカーの合間にドライバー交代を行った幸運にも助けられ、ST4クラス3位、嬉しい初表彰台を獲得した。
この3戦を通じて、サーキットという過酷な状況での走行データが豊富に収集できた。
そのデータをいかして、カスタマイズパーツの開発や、一般の方がクルマを楽しむことへのお手伝いができると影山は考えている。
これまで影山は、全日本F3選手権チャンピオンを皮切りに、トップフォーミュラやルマン24時間レースでCカーに乗るなど、速く走ることだけ追い求め、勝つためだけの道具を選び、勝つ為だけにクルマを走らせてきた。
86との出会いは、市販車がさまざまなステージで活躍できるような開発を担うという、新たな生きがいを影山に与えた。とんがった部分だけではなく、一般ユーザーや市販車開発の為にフィードバックする事など、クルマの新たな楽しみ方を伝える活動へ参画する機会増えている。このことは、彼自身とても光栄と感じているという。そんな役割を果たしていくのが、これからの影山正彦であり、クルマの楽しさを伝える伝道師として、これからの半生を歩んで行くことだろう。