レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム クルマ・スキ・トモニ

人とクルマの、ともすれば手の平から溢れてしまいそうな素敵な思いを、丁寧にすくい取りながら綴っていくつもりです。人とクルマは、いつまでも素敵な関係でありたい。そんなGAZOOが抱く熱く溢れる思いが伝わりますように…。
レーシングドライバー 木下隆之氏


11Lap 「サウンドは耳に、バイブレーションは体に・・・」

「ずいぶん前から聞きたいことがあったんだけど・・・。この前もその前も、たしかに同じアルバムを流していたようだけど、聴き飽きない?」

先日、友人を自宅まで僕のクルマで送り届けたとき、彼は僕にヤレヤレというような表情でそう言った。

実は僕のクルマのオーディオシステムに差し込まれているCDは、いつもある決まったアルバム一枚だけなのだ。ポップスだったりクラシックだったり、時おりド演歌が混じっていたりするように、ジャンルにこれといった脈略はないのだが、その時の気分や感情にピッタリだと思う楽曲を、ただひたすら、聴き続けることにしているのだ。

連続再生のスパンはおよそ3ヶ月周期。1年がすぎてもまだ4曲にしかならない。時には、その一年をたった一枚のレーベルで過ごしたなんてこともなかったわけではない。そりゃ友人達が呆れるのも理解できる。

一枚のアルバムにこだわって聴き続けていると、不思議なことに、その旋律であったり歌詞であったりが、記憶の片隅に深く擦り込まれていくことになる。たいがい1年に4曲なわけだから、奇しくもそれは四季の移り変わりとも重なり、思い出の背景にBGMを敷いてくれるのである。

サザンの歌声を聴くと、夏の浜辺でたわむれた彼女のことが思い出されてドキドキするなんてことあるでしょ?矢沢永吉の語るような歌詞を聴くと、反抗期に身悶えしていた自分が思いおこされるなんてことも・・。親友達と朝まで笑い転げたあの夏。失恋に涙したあの冬。そこにはなんらかの曲が響いていたはずだ。大人になったふりをして踊りまくった学生時代は、マイケルジャクソンオンリーだっけ、なんてこと・・・。


キノシタのお気に入りのアルバムである。DEENの『NEXT STAGE』。これがテープだったら擦り切れてしまうのではないかと思うほど聴いた。


DDDL2009には、鮒子田寛さんや細谷四方洋さんといった往年の名ドライバーと、現役ドライバーが音楽とのコラボを勤めた。マシンは「トヨタ7」から「レクサスLF-A」まで・・。歴史の重みを感じさせてくれた。


会場は、お台場のメガウェブ。多くのレースファンだけでなく、音楽を聴きに訪れた方や、単純に遊びにきた人達の前で9000rpmサウンドが響いた。サーキットだけではなく、こうした都会の真ん中で走ることの意義は大きいと思う。

音楽には不思議な効能があるようで、脳裏に擦り込ませるとそれは、記憶が輪郭をともなって浮かび上がってくる。そのために僕はいまも、あるアルバムにこだわり、記憶のページに擦りつけるようにひたすら聴きまくっているのだ。誰の心にも「思い出のあの歌」があるはずだ。つまりは、それをもとめて、である。

たとえば、DEENの「このまま君だけを奪い去りたい」は、レーシングドライバーとして僕の思い出を彩る大切な曲となり、青春と重なっている。「このまま・・」がミリオンヒットしたのが1993年のことであり、それはDEEN結成とも重なる。当時の僕は日産契約ドライバーとして活動しており、ひたすらサーキットとの往復の日々を過ごしていた。その行き帰りのクルマの中で聞いていたのがDEENのアルバムなのだ。

理由がなんだかわからないけれど、なんだかその頃の僕の耳にそのサウンドは心地良く響いた。ボーカルである池森秀一の透きとおるような声が、サーキットからの帰り道にことさら似合った。レーシングマシンの爆音が残響として叩く耳をそれは、優しく癒してくれた。殺伐とした勝負の世界からの帰り道に、男心を切なく歌い上げる池森秀一の言葉の一粒一粒が、ハートを揉みほぐしてくれるようだったのだ。

いまでも僕のクルマには、DEENのアルバムである『NEXT STAGE』がかならずある。心のひだを整えたいと願ったときに、僕はこの歌を聴くことにしているのだ。

先日、お台場で開催されたDDDL2009 (DREAM DRIVE DREAM LIVE 2009)というイベントに招かれた。“レーシングカーと音楽のコラボレーション”と副題のつけられたそのイベントは、ステージ上でミュージシャンが歌うそのそばで、レーシングカーを走らせるという趣向だった。僕の役目は、レクサスLF-Aを走らせることだった。傍らでは、藤澤ノリマサが個性的なポップオペラを歌い上げる。ステージ上の曲にシンクロさせ、僕がレクサスLF-Aの9000rpmオーバーの、空に抜けるようなエキゾーストノートを高めるという趣向だ。

「サビのパートにさしかかったら、ブリッピングを3回してください。その後空吹しでリミッターにあてたまま5秒ほどキープ、その直後、フルスロットルで走り去ってください・・・」

ディレクターからは秒単位の指示が、インカムをつうじて僕に届けられた。だが、そうタイミングよくいくわけもなく、最終的には僕のセンスとタイミングで、アクセルペダルを踏み込むことにした。


フィナーレでは、藤澤ノリマサが歌い上げるステージの目の前に、レクサスLF-Aが停止した。トヨタF1マシンと並べられると迫力がある。

僕は、体ごと楽器になったような錯覚に陥った。僕の操作に忠実にレクサスLF-Aはサウンドを高め、地を振るわせるようなバイブレーションを響かせたのだ。僕の感覚は、クルマを操作するドライバーから楽器のように研ぎすまされたものに移り変わり、ついには楽器の奏者というより、楽器で揉まれているサウンドそのものになったような気持ちになった。体の奥底で、何かがうごめいていた。その変化は初めて体験したものであり、刺激的だった。

実をいえば、この日まで僕は藤澤ノリマサという歌手の存在を知らなかった。彼のヒット曲も耳にしたことはなかった。レーサー鹿島プロデューサーが、藤澤ノリマサとレクサスLF-Aを組み合わせたというだけであり、僕と彼と、そして彼の楽曲の間にはそれまでなんの接点もなかったのだ。

だが、オペラを学んだという彼が朗々と歌い上げる「ダッダン人の踊り」や「VINCERO―ビンチェロ」は、不思議なことにレクサスLF-Aのサウンドと見事にシンクロし、その瞬間に僕らはなんだか深くつながったように感じたのだ。


藤澤ノリマサの『VOICE OF LOVE ~愛の力~』。クルマと音楽の出会いって、こんな些細なことでもいいと思う。理由は必要ない。ただそれだけで、思い出の一曲ができあがるのだ。

レーシングマシンのもっとも大きな魅力は、サウンドとバイブレーションだと思う。それが多くのレースファンを惹き付けてきたのだと思う。音楽ももちろん、サウンドとバイブレーションが生命線だ。このふたつには宿命的な接点がある。そして何かと何かを惹き付ける求心力がある。何の接点もなかった僕と藤澤ノリマサの歌は、サウンドとバイブレーションをきっかけに、だから結びついたのだと思う。クルマスキと音楽は、相性がいいのである。

イベントは薄暮の中、華やかなまま終わった。

僕は不覚にも、藤澤ノリマサ君と挨拶せずに、別れてしまっている。「今日はとっても良かったね」なんて言葉をかけるべきだったかもしれない。それを心のどこかで後悔しながら、だが僕はその帰り道にレコードショップに寄り、一枚のアルバムを購入した。

藤澤ノリマサの『VOICE OF LOVE ~愛の力~』が僕のオーディオで、激しくリピートしている。それは僕の2009年の記憶を色鮮やかに増幅してくれるに違いない。

キノシタの近況

ミニカー収集癖のあるレーシングドライバーは多い。この僕もそのひとりで、事務所のキャビネットには43分の1のレーシングカーが数多く並んでいる。ただし、放っておくと際限がないから、自ら規制をかけている。「自分が乗ったマシン以外は買わない」と。ところが先日、hpiからスーパー耐久スカイラインGT-Rシリーズがリリースされた。ああ・・、もう置くところがない・・・。
www.cardome.com/keys/

【編集部より】

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