なにはともあれ、“衣食住” が充実していなければ、生活はなかなか寂しいものである。衣服に包まれ、空腹が満たされ、そして屋根のある部屋で穏やかに過ごす時間は、豊かな生活を過ごすのに欠かせない要件だ。確かに・・・。
“衣食住”を業界用語に変換すれば、“アゴ・アシ・マクラ”となる。アゴは食事のこと。アシは移動手段。マクラは宿泊施設のこと。
「ギャラは安いですが、アゴ・アシ・マクラは用意しますわ」
てな仕事の依頼が、申し訳なさそうに届く。ギャラが高い方が嬉しいのだが、こっちもこっち、贅沢もできず、申し訳なく引き受けるのだが・・・。その中でも特に、“アゴ”は大切である。レースウィークともなると仕事は重労働と化す。サーキットで早朝から深夜までマシンを中心にした時間に追われ、それでも耐えられるのは、美味しい食事が用意されているからだ。特に海外チームの食へのこだわりは半端ではない。しっかりと湯気の立ちのぼる食事がサーブされなければ、だれもスパナなど持とうとはしないのだ。
それが証拠に、ヨーロッパチームは専属シェフを帯同するのが常識だ。F1やニュルブルクリンク24時間レースのように所帯が大きくなるなら当然、専門のケータリングサービスを手配するものなのだが、規模の小さな庶民的なプライベートチームでさえ、「パンにハムでも挟めばいいよ」とはならず、専属シェフがこしらえる熱々の家庭料理を準備するものなのである。
今年ヨーロッパ耐久レースをポルシェ911GT3で転戦したチーム・ラマティンクにも、専属のシェフがいた。チームスタッフは10名。チーム監督ひとり、メカニックは5名、そのほかロジスティックを担当するスタッフが3名、あとは2名のドライバーだけという家族的な小組織。数名のサプライヤーゲストを含めてもそれほど大人数にはならないのだが、それでも3食きっちりと食事が準備されるから驚かされる。早朝からすでにブレックファーストが湯気を立てているし、ランチでさえボリュームたっぷり。ディナーとなれば、もはやレストランのコースにも匹敵する豪華さ。その合間に、午後のコーヒーブレイクだったり、手がすいたときにつまむスナック類にも及ぶから恐れ入りますよ。
たとえば10月17日のディナーメニューはどうかといえば・・・。
【子羊のスペアリブハーブ焼き】※蒸し野菜添え
【合い挽きペンネパスタのボロネーゼ】※チーズ添え
【茹でポテトのアンチョビソース掛け】※インゲンのバター和え
【アイェル地方の新鮮サラダ】※オリーブとマヨネーズソース
【オニオンと野菜たくさんのコンソメスープ】※クルトン添え
【ライ麦のバゲット】※減塩バター添え
【クロワッサン】※イチゴジャム添え
【カスタードクリームのミルフィーユ】※シュガーパウダー添え
【巨大なアイスクリーム】※チョコレートソース添え
【熱いコーヒー】※クッキー付き
といった具合。そりゃ太るわい、といったハイカロリーの食事が、温かく保たれたプレートに山と積まれるのである。これを都内のレストランでオーダーしたら2980円コースですな!
テーブルセッティングもしっかりとなされている。ランチョンマットが敷かれ、フォークとナイフとスプーンが整然と並んでいる。タイヤに腰掛けてスパナを握りながら、黒いかたまり(おにぎり)を口いっぱいに頬張る・・・なんてスタイルではないのだ。さすがに「神様に感謝してアーメン・・・」だなんて儀式はしないけれど、食事は食事。全員が揃ってキャンドルが灯されたテーブルを囲むのだ。欧米の豊かな文化を意識させられるというわけ。
これほどの料理を調理するのだから、それ相応のキッチンがなければ不可能。そこはそこ、しっかりと調理場が用意されている。チームは1台の巨大なトレーラーにいっさいがっさいを満載してヨーロッパを移動するのだが、その1台の貴重なスペースの3分の1の敷地をキッチンにあてがうという贅沢さだ。マシンの収納スペースより、あきらかに広い空間が割り当てられている。
スタッフがくつろぐための対面ソファや仮眠用のベッドルーム、さらにはシャワールームまであるから、キッチンを加えると約半分は生活空間となる。大陸を転戦するレーシングチームというより、巨大なキャンピングカーで放浪する遊牧民といった風情なのである。
チームの専属シェフは女性だった。身長は182cm(自称)という大きな女性で、名はA・ハニー。「オランダでは小柄なほうなのよ」とウインクしながら冗談を飛ばす彼女の作る料理はなかなかの味。オランダ人の食の好みと日本人の舌がマッチするのかもしれないけれど、それほど大味でもなくダシ味もきいていた。甘さも控えめだ。
以前イギリスのチームと過ごしたシーズンは、味も素っ気もないイギリス飯だった。それには閉口したけれど、オランダチームの味はいい。今後チームと契約するのは、口に合うかどうかも重要なポイントだと思った。
「日本人とレースするのは初めてだわ。だから口に合うかしら・・・」と言いながら、あるときには自らの大きな手で握ったという初にぎり寿司の味は、回転寿司のそれよりはるかに美味しかったほどだ。
スタッフ分の3度の食事と、デザートやスナックを調理しなければならないから、彼女はいつも休むことなく動き回っている。サーキット周辺のスーパーで抱えきれないほどの食材を買い込み、ポテトやタマネギやニンジンを剥いたり切ったりと大忙し。トレーラーの片隅で黙々と下準備をしていたかと思えば、テントの設営を手伝い、フロアを掃除し、チームウエアを洗濯する(洗濯乾燥機も常備)。いやいや、調理だけでなく、雑用全般、実に忙しそうに駆け回っていた。
3Kには違いない職場で、長時間勤務をこなしながらレースを戦うのだが、唯一の癒しは食事の場なのだ。なんといっても、手作りの温かい料理ほど、心を和ませてくれるものはない。
人目を盗んでサボりに来る若いメカニックには、こっそりチーズやケーキを配ってやったり、尻を叩いて仕事にけしかけたりと、ハニーはちょっとした保健室の先生のような役回りだ。アタックに向かう前の僕の肩を、そっとほぐしてくれたこともある。疲れがたまったスタッフの気持ちを和らげたり、イライラを解きほぐしてくれるのは常に彼女だ。なんだかこのチームは、ハニーのその温かさで支えられているのだと思った。
チームは家族である。ともにひとつの目標に向かって戦う、家族である。心に強い結びつきがある。その結びつきを支えているのが、“アゴ”を満たしてくれる専属シェフの存在なのだ。所帯が小さくても、立派なキッチンとシェフが欠かせないというそのことの意味が理解できたような気がした。
クルマスキ代表としてお礼を言います。
『サンキュー、ハニー!』
東京モーターショーには行きましたよねぇ?あの『レクサスLFA』が話題の中心。あの天使の咆哮が会場に轟いたときには、実はウルッときた。ニュル24時間を戦ったレース仕様もヤマハブースに展示されていましたし。『FT-86』とともに、エコカーに負けてません!
www.cardome.com/keys/
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