レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム クルマ・スキ・トモニ

人とクルマの、ともすれば手の平から溢れてしまいそうな素敵な思いを、丁寧にすくい取りながら綴っていくつもりです。人とクルマは、いつまでも素敵な関係でありたい。そんなGAZOOが抱く熱く溢れる思いが伝わりますように…。
レーシングドライバー 木下隆之氏


15Lap 「ミニカー」

先日、超レアもののスカイラインGT-Rを発見。まったく迷うことなく即金で購入してしまった。だってそれ、1990年式のバリもので、走行距離“0km”のド新車。しかも当時、市販車最強決定戦として盛り上がりをみせたN1耐久仕様なのだ。この機を逃したら二度と出逢うことのないであろう逸品なのである。

とまあ、写真をチラ見すればバレることだから事実を話せば、モデルカーメーカーのhpi・racingがリリースした43分の1ダイキャストモデルの「♯26ヂーゼル機器GT-R N1仕様」を手に入れたということ。リーマン風邪をこじらせた今のキノシタに1分の1サイズのクルマを即金で買えるほどの余裕があるわけもなく、19年前のスカイラインGT-Rが走行距離0kmで現存しているはずもない。モデルカーがせいぜいなのだ。


  • キャビネット最上段。『ゼクセル・スカイラインGT-R』は24分の1プラモデル。スパ・フランコルシャン24時間を戦ったものです。ナスカー・ウインストンカップ仕様の『バイアグラ・フォード』は、サスペンションも機能するという精巧な作り。ショップに在庫されていたものをすべて見比べて、もっともサスペンションの動きのしなやかなものを選びました。店のオヤジが、怪訝な表情してたっけ。

  • ドラックマシンはたしか、$300(日本円で当時3万6,000円)もした。パイピングの1本1本まで忠実に再現されているのだ。思わず衝動買い!左上のシルバーは、東京モーターショーでワールドプレミアとなった『レクサスLF-Aプロト』。

  • 手前が新製品の「♯26ヂーゼル機器GT-R N1仕様」。相当のレースマニアでなければ記憶に無いでしょうね。ですがこれ、記念すべきR32スカイラインGT-Rの初優勝マシンなのだ。2戦目からは、横に並べた『ゼクセル・スカイラインGT-R』に意匠変更してしまいました。

もっとも本人の興奮度はかなり高い。発売される日を待ち焦がれつづけ、ようやく19年目にして姿を現したのだ。感涙ものなのである。

いやはや、何がレアって、「♯26ヂーゼル機器GT-R N1仕様」はR32型スカイラインGT-Rが世界で初めてレースに挑んだ記念すべきマシンなのだ。ポールポジションと初優勝で彩りを添えてもいる。その後にR32スカイラインGT-Rが記した華やかな歴史を振りかえることも、打ち立てた数々の記録をひもとく必要もなかろうが、GT-R第2黄金期を築いたGT-R伝説の“最初の一歩”はこのマシンだったのだ。そんじょそこらのモデルとは意味合いの深さが違う。


1992年の全日本ツーリングカー選手権仕様の『共石スカイラインGT-R』。国際インターテックで初めて優勝した記念のモデルなんですな。A・オロフソンとコンビを組んでいた頃の1台です。


ニュルブルクリンク24時間に挑戦した『ファルケン・スープラ』。GT500仕様をベースにニュルチューニングを施したものだ。スープラとファルケンのジョイントは1年だけだったから、この勇姿もたった1戦だけのお披露目だ。超レアもの。


『オペル・カリプラDTM仕様』 ホッケンハイムでテストした時のもの。ハイテク満載で、目の玉が飛び出た思い出があるんですよ。

しかも、メインスポンサーの「ヂーゼル機器」は、1990年N1耐久開幕戦での勝利の直後、CI戦略により「ゼクセル」と社名を変更しているのだ。続く2戦目からはカラーリングも新たに「ゼクセルGT-R」として戦っている。つまり、たった1度だけR32GT-Rに施されたヂーゼル機器カラーなのであり、たった1台の初優勝モデルなのだ。レア度はそこにある。

さらに、だ。当時の僕は日産契約ドライバーであり、復活となったスカイラインGT-Rを勝利に導くその重責を担ったのだ。“僕が乗っていた”となれば、感慨はひとしおで、これが実車であっても48回ローンを組んでいただろう。

レースは薄氷を踏むような展開だった。ライバルはクラス違いのシビック勢。オリジナルで280馬力を炸裂させるスカイラインGT-Rは予選で他を圧倒するものの、ブレーキがまったく容量不足で20周ほどもすれば1.6リッターのライバルにラップタイムで並ばれてしまうのだ。デビュー戦にはつきもののエンジン不調も加わり、最後は僅差のゴール。チェッカーをくぐる瞬間に地鳴りのように響いた歓声が、いまでも耳に蘇る。思い出の1台でもある。

本人が興奮すればするほど引かれるのが世の常。だとすると、「♯26ヂーゼル機器GT-R N1仕様」ほどマイナーなスカイラインGT-Rも少ないはずで、そりゃ凄いぜ!などと賛同してくれる人はわずかだと思う。だけど、レアものってものはたいがいマイナーなところからニョキニョキと芽を出すもので、その意味ではまさに超レア潜在力満点の逸品なのだ。将来、高値売買されたりして。

実車に忠実であればあるほど魅力は増す。ステッカーのサイズや位置や、あるいは傷の有無まで再現されていたりすると、眺めているだけで焼酎1本空けられるんですな。hpi・racingのそれは、かなり完成度が高いと思う。


イクリプス・バイパーは全日本GTで優勝した記念に手に入れた。手前のミニカーも実車で戦ったものばかり。順番に説明すると・・・。もういい、くどい?


全日本GT選手権を戦っていた頃の『cdmaOneスープラ』GT500仕様。左が1998型で、右が1999年型。スポンサーが日本移動通信からauに変更になってますね。


ファンに頂いた自作のフィギュア。およそ20分の1サイズです。細字のロゴには感動しますね。実物はもうちょい、足が長いんですけど・・・。(?)

実はキノシタも、ささやかながらミニカー蒐集(しゅうしゅう)癖がある。レアものを逃がすまいとヤフオクにアラート登録しているし、ミスター・クラフトの常連でもある。

ただし、自主規制を敷いている。基本的な購入対象を、自らがドライブした、あるいは携わったレーシングカーに限定しているのだ。そうでもしないと、金と棚がいくらあっても足りなくなる。だというのに、いただいたものや、ついつい掟を破ってコソ買いしたものを加えると100個や200個になろうという有様だ。仲間うちには1,000個級の猛者もゴロゴロいるから、まだまだ蒐集(しゅうしゅう)家を自称するにはおこがましい幼稚なレベルなのだが、小さなキャビネットにずらりと並んだミニカーの眺めは壮観である。収まり切らずに納戸で余生を過ごしている奴らもいる。そう、ミニカーはこれまでの僕のレーシングドライバーとしての歩みの代弁者であり、思い出の重なりである。

まあ、金のある奴は数千万円もする実物大のフェラーリだポルシェだをガレージに集めているわけで、それを思えば可愛いもの。“クォーン”なんて擬音を口にしながら鼻っ先にミニカーを走らせ、ひとり43分の1の世界に感覚をワープさせているだけなのだから、かたわらで妻に泣かれようが、娘に冷たい視線で蔑まされようが後ろめたさはない。クルマスキはいつまでも純粋なのである。

「cdmaOneスープラ」も思い出すだけで感涙ものである。自らのKEY’S・racingで走らせたGT500マシンがそれ。スポンサー活動からチーム編成から、それこそデザインからキャンギャル選定まで、マネージャーとこなした徹夜の日々が懐かしい。こいつも超レアものである。

「キノシタの20分の1フィギュア」も思い出深い。cdmaOneスープラで戦っていた2000年のこと、あるファンからプレゼントされたものなのだ。手作りだというものの、仕上がりは完璧。レーシングスーツのスポンサーロゴさえ忠実に再現されており、完成度は玄人はだし。世界に1体の逸品なのだ。

さあて、次のターゲットはもちろんアレ。アレですよアレ。ニュルブルクリンク24時間を戦った『♯14レクサスLF-A・GAZOO Racing』である。

もし、発売されたあかつきには、大量購入の覚悟ですわ。観賞用に1台、保存用に1台、見せびらかし用に1台、走らせて楽しむために1台、自宅にも1台、将来、破損した場合を想定して部品取り用に1台、合計6台買っちゃいます!

クルマスキはとことんアホなのである。

キノシタの近況

今まさに、ある新記録を更新しようとしている。前後の長期ロードに挟まれたあと2日が埋まれば達成する。そう、「忘年会連続記録」が16になるのである。4年前に14回連続の記録を残して以来伸び悩んでいたのだが、今年は更新の気配濃厚なのだ。あとは肝臓との戦いだ。でも準備は万全。「ヘパリーゼS」と「ウコン茶」をケースで注文済みです。
www.cardome.com/keys/

【編集部より】

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