たしか松尾芭蕉が、奥の細道の旅の途中、岩手県の平泉に投宿していた時に詠んだ句だ。源義経が討伐軍と戦い、破れた地が平泉。それぞれが夢を抱いて戦い、散り破れたその地は、今となっては夏草に覆われている。その無常感を表した。
ぼくはニュルブルクリンク24時間レースを戦い終えた翌日、サーキットを取り囲む観戦エリアに足を運ぶことにしている。毎年欠かさず、それだけはどんなにスケジュールが立て込んでいようとも続けている習慣だ。
自らのドライビングを振り返り、反省し、翌年に思いをはせる。コース上は激戦の傷跡も痛々しく、荒れている。あたりはしんと静まり返ってはいるものの、今にもマシンの咆哮がこだまするようなのだ。
さしずめ、「新緑や兵どもが夢の跡…」である。表彰台の頂点を目指し戦い続け、そして散っていったドライバー達の無常感が、そこにはあるのだ。もっとも、である。
兵どもはなにも、コース上のドライバーだけではなかったことに気づく。1周25kmのコースを取り囲む観客にとっても、それはまさに夢のひとときだったことを知るのだ。その痕跡は、ありありと残っている。
あれほど熱狂していた20万人を超える観客が、一夜にして消え去る。その変わり様は壮絶である。痕跡を残すキャンプサイトのその静寂が、かえって無常感を煽っているのだ。
まあ、「なぜそこまで頑張れるの…?」と感心するほど、ドイツ人の観戦スタイルは熱く烈しい。ドイツ中のすべてを集めたのではないかと思うほどのキャンピングカーがずらりと並び、その空いた隙間にテントが張られる。それにも飽きたらず、観客たちは上へ上へとそびえる木々を利用した即席ツリーハウスを建て、眺望を独占できる特別観覧席まで設けてしまうのである。
レースウィークが始まる金曜日あたりには早くも、レースを待ち焦がれた人々の千鳥足姿をお目にかかることができる。おびただしい数のビール樽が空になり、数十kgもの肉が胃袋の中に呑み込まれていく。持ち込んだオーディオシステムからは、耳をつんざくばかりに大音響のサウンドがビートをきかせる。レース観戦のついでにキャンプをするというより、キャンプを楽しんでいたらその脇でたまたまレーシングカーが競っていた…というふうな情景なのである。
そんなだから、兵どもが去ったあとのキャンプサイトは、ほら、ご覧のとおりなのである。
無造作に打ち捨てられた、本革の豪華なリビングソファー。植えられたばかりの観葉植物。空になった即席ビアサーバー。走り回って廃車となったレーシングカート。兵隊さんの人形。数百本に及ぶビールの空き瓶。破れたテント。コンロ…。まだ火の燻ったままの薪…。
コース上のぼくらは、コースサイドの彼らと、24時間を戦ったのだ…。
6月30日からは、イギリスに行ってきます。セレブの祭典「グッドウッド」にエントリーしたのである。もちろんマシンは「♯50レクサスLFAニュルブルクリンク2010仕様」。あの天使の咆哮を高らかに響かせてまいります…。
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【編集部より】
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