レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム クルマ・スキ・トモニ

人とクルマの、ともすれば手の平から溢れてしまいそうな素敵な思いを、丁寧にすくい取りながら綴っていくつもりです。人とクルマは、いつまでも素敵な関係でありたい。そんなGAZOOが抱く熱く溢れる思いが伝わりますように…。
レーシングドライバー 木下隆之氏


僕がはじめて、成瀬さんに声をかけてもらった時のこと、今でもはっきりと蘇ってきます。だって、とても印象深かったから…。
「うちの若い連中に、いろいろなこと、教えてやって欲しいんだ…」
 いきなりの電話だったというのに時候の挨拶もなく唐突に、テストコースに来るようにと用件だけを突き付けられた。今思えば、いかにも成瀬さんらしいせっかちさが表れていましたね。その強引さに驚いたけれど、でもなんだか嬉しかった。ややぶっきらぼうな言い方には、不器用な正直さが感じられたから。人柄が滲み出ていたんです。ちょっと人見知りの人なんだなぁなんて感じた。でも、だからこそ、自ら電話をよこしてくれたこと、心に響いたんです。あれからもう、20年も経ちました。
 覚えてますか?

その頃の僕は日産契約のドライバーだったから、とても驚いたんですよ。
 トヨタからこんな形で呼ばれるなんて、夢にも思ってなかったんだから。
 そこで成瀬さんは、僕の疑問を先回りするようにしてこう言いましたね。
 「メーカー契約の違い?ボクはそんなこと気にしないよ。バカらしい…」
 そんな成瀬さんのストレートな言い回しが可笑しくて、僕は笑ってしまった。
  成瀬さん:「何かヘンか?」
  木下:「正しいけど、ヘンです」
  成瀬さん:「ヘンでも正しいのなら、それは正しいんですな」
 そしてまた笑ってしまった。
 あれ以来僕は、成瀬さんのそばに寄り添うようになりました。

若かったころの僕、キノシタ

ニュルブルクリンク24時間レースに誘ってくれた時も、いつものようなぶっきらぼうな電話でしたね。
「とにかく、若い連中を鍛えるのに力を貸して欲しい…」
 迷うわけもなく喜んだ僕に、こうも付け加えましたね。
「今年は勝つための参戦ではない。クルマを鍛えることと、人を育てることが目的なんだけど、それでいいのか?」って。
 レースに挑戦するのに、勝敗は二の次だなんて、また僕を驚かせた。

ニュルブルクリンク24時間レースでの成瀬さん。嫌われるのを覚悟で、ぴったりと寄り添っていました

でも僕にとっては、成績なんてどうでもよかった。成瀬さんが心を込めたプロジェクトに参加させていただくことは、つまり、成瀬さんに接する時間が得られたということと同意なんです。一緒に何かができるということだけで、それ以外に理由なんてなにもなかったんです。
 僕はもう成瀬さんに憧れ、深く尊敬していたから、言葉のすべてを聞き漏らさないように必死になっていた。嫌われるのを覚悟で、ぴったりと寄り添いました。でも、嫌な顔をせず、それを許してくれましたね。

でも、成瀬さんからたくさんのことを吸収しようとしていた人は大勢いたから、僕だけが独占することができなくて、ちょっと苛々したことも少なくなかったんですよ。成瀬さんは、慕ってくる人には平等に優しく接していた。それを知って、ちょっとやきもちを焼いていたんです。
 みんな成瀬さんに頼っていたし慕っていた。そしていつでも優しく、頼みごとを受け入れてくれていた。そんな豪気な人、珍しいですよね。
 男が男に嫉妬するなんて、変ですね。電話してもあまり出てくれなかったり、メールしても見てくれなかったり…。そのことで文句を言うと「いいじゃないの、いつでも逢えるんだから…」そういって大きな声で笑いましたよね。
 でももう、逢えないじゃないですか…。

成瀬さんは、期待を掛けた若い連中には、ことさら厳しく接してましたね。「あほっ!たわけ!」
 ガレージにはいつも、成瀬さんの大きな声が響き渡ってました。

成瀬さんがそういって叱るのは愛情の現れだと皆が理解していたから、誰も嫌な思いを抱いていなかった。むしろ嬉しく感じていた。
 「いつまでも人に頼らんで、自分で考えんか、たわけ!」
そう言って尻を叩いていた。でも、気がつくといつも自分でどんどんと作業を進めていました。
いつか僕はこう言いましたよね。「成瀬さんがなんでもやってしまうから、若いメンバーが手を出す間がなくなるんですよ。少しは休んでいてくださいよ」
するとニヤッと笑って、でもスパナを持つ手は休むことがなかった。
 本当は、クルマに触れること好きで好きで仕方がなかったんですよね。クルマを走らせること、大好きだったんですよね。

職人気質だった成瀬さん

GAZOO Racingを中心になって育て上げ、GRMNという刺激的なコンセプトカーを世に問うた。だけど、あのプロジェクトは志半ばです。形はできたけど、でも完成はしていない。ここから先は、僕たちでなんとかしろと?
 それなのに逝っちゃっていいんですか?すこしは休んでいてくださいよとは言いましたけど、ずっと休んでいいなんて言ってないんだから…。

GRMN車両開発に取り組む成瀬さん

レクサスLFAのニュル挑戦は今年、成瀬さんの描いたシナリオどおり、クラス優勝しました。監督として、完璧な公約を達成しました。だけど、これで終わりじゃないんだって言ってましたよね。来年はどうしたらいいと思う?

そう言って相談してくれたじゃないですか。なのに、ずるいですよね。これからどうすればいいんですか?

成瀬さん、豊田章男社長が心の底から成瀬さんを頼っていたこと、もちろん感じてましたよね。まるで父親のように、優しく見守っていていました。
 豊田章男社長の正式な社長就任は、2009年6月23日でした。成瀬さんがニュルで逝ったあの日は2010年の6月23日です。ちょうど1年です。ちょっとずるくないですか?豊田社長は心の強い人だから、成瀬さんが逝った後も気丈に振る舞ってますよ。だけど、ニュルで逝ったあの翌日に、ちょうど1年目の株主総会があって議長を務めねばならなかった。ちょっと意地悪ですよね。

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【編集部より】
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