クルマは工業品である。だが同時に工芸品でもある。これほど作り手の思いや願いや、あるいは“好み”がはっきりと表れるのも珍しい。その意味でいえば、陶芸や絵画などと同質の、“個人の作品”なのである。
シートに座ってみるといい。その瞬間に、作り手の意志が強く迫ってくる。いや、ドアを開けた瞬間にさえすでに、このクルマがどんな思いを抱いて生み出されたかを訴えかけてくる。こんな直球のメッセージなど、工芸品でなければありゃしない。
先日、日産『GT-R』の2011年モデルが発表された。それを眺めていると、その背後に亡霊のように作り手の顔が浮かんでくる。水野和敏氏がその人だ。GT-Rの開発のすべてを担うプロジェクト責任者である。
2010年12月現在の正式な肩書きは、こうだ。
チーフ・ビークル・エンジニア兼
チーフ・プロダクト・スペシャリスト兼
プログラム・ダイレクター
いやに長いこの肩書きにはワケがある。
チーフ・ビークル・エンジニアとは、和訳すれば“車両実験部責任者”である。一方、チーフ・プロダクト・スペシャリストは“商品企画部責任者”となる。
本来この役職は、兼務することはない。
チーフ・プロダクト・スペシャリストは綿密な市場調査から造るべくクルマを企画する部門の長であり、チーフ・ビークル・エンジニアは、その企画どおりに開発する部門の長なのだ。平たくいえば、「300km/hで安定するクルマを1000万円以下で造りなさい」と命令するのはチーフ・プロダクト・スペシャリスト。その命令を具体化させるのがチーフ・ビークル・エンジニア。
ゆえに時として、両者の意見が衝突する。狙いどおりにクルマが仕上がれば平和なのだが、そうでない時には争いが勃発する。チーフ・プロダクト・スペシャリストにとってみれば、「性能が出せないのは車両開発の力不足だ」と考える。一方チーフ・ビークル・エンジニアにしてみれば「無理難題の理想論ばかりかざされても、作るのはこっちなのだ!」となるわけだ。
とまあ、その水と油の長を兼務していることが、日産が水野氏にGT-Rの権限のすべてを委ねていることがわかるだろう。「創造から生産まで、君に任せたよ」というわけだ。しかもさらに、販売や宣伝までを担当するプログラム・ダイレクターという役務も担っている。
豊かな髪をきっちりと整髪している氏は、どこにそんなパワーが備わっているのか不思議に思うほど、華奢な体である。
GT-Rにぴったりと寄り添うように、水野氏はたびたび公の場に登場する。もっとも、氏が存在を露にしはじめたのは、なにもGT-Rが話題をさらったからではない。実はずっと以前からその名は業界で轟いていたのだ。
日産がル・マン24時間で活躍したあのグループCカーは氏の作品だし、日産がV字復活する起爆剤になったV35型スカイラインも氏が音頭をとった。
スカイラインの伝統という呪縛に絡めとられ、時代に取り残されつつあったその名車から、アイキャッチだった丸形四灯のテールランプやサーフラインを捨て去ったのは水野氏である。伝統を潔く捨て去ったことに対しては、数々の非難の言葉が浴びせられたが、それでもV35型スカイラインは北米で大ヒットし、その判断が正しかったことを証明したのだ。
C・ゴーンがCOOになった時、「このスカイラインのプラットフォームを開発したのは誰だ?」といたく感動したようで、全面的な信頼を得たという。コストカッターとして名を馳せたC・ゴーンから、ともすればコストの固まりのように映るGT-Rの全権を託されたのは、そんな功績が評価されたからなのだ。
そんな有能なエンジニアであるからして、業界での風雲児たる言動や行動に事欠かない。
2007年のGT-R発表の席上で「ほんとうのGT-Rは3年後に出します」と言い放った。「じゃ、あなたが発表したその新型車両は未完成なのか?」とツッコミを入れたくなるところだが意に返さない。
先日、自動車専門誌ベストカーのスクープ記事を巡って侃々諤々(かんかんがくがく)やりあった。営業妨害だと一切の取材禁止を突きつけた。一方のベストカーも引き下がる気配なし。誌面で水野氏に宣戦布告。一触即発の事態に発展。ようやく誤解が解けて友好関係が復活したのだが、その事件に業界は騒然となった。なかなか攻撃的な性格のようなのである。
ニュルブルクリンクでのラップタイム計測は、マスコミ立ち会いの元で行うという派手なパフォーマンスを実施。氏が言う、3年後の本当のGT-Rお披露目の仙台ハイランドでは、マスコミの目の前で“公開タイム計測”を実施し、それをメーカーの公表値として告示したのだ。
GT-Rデビュー時には、一切の改造は責任を持てないと言い放ち、一時、チューニング業界を敵に回した。
GT-Rが2008年4月に、ニュルブルクリンクで“7分29秒3”という当時の市販車最速タイムを記録した。しかし、その記録にポルシェが難癖をつけ、GT-Rを購入してテストをしたが“7分29秒3”を叩き出せず、その記録をウソだとポルシェが難癖を付けきた。水野氏は、ポルシェが購入したGT-Rをガレージに運ばせてアライメントの不具合を指摘、調整して納得させたという。
だいたいが、ニュルブルクリンク近郊に巨大な基地を設けて、年間延べ数ヶ月に及ぶ開発テストを続けているのも稀なことだ。それを“合宿”と呼び、全スタッフを帯同させているのだ。
しかも、OEM供給のダンロップとプリヂストンのスタッフも、その合宿には参加している。ライバル同士がともに開発を進めるなど、これまででは考えられない体制である。
V35型スカイラインの運転席周りには、小さなポケットが設けてあった。だがそれは携帯電話を挟み込むには小さく、かといって雑巾を詰め込むには不粋だった。そのポケットの理由を問うと、氏はおもむろに尻のポケットからふたつ折りにした革の財布を取り出し、「これがピッタリと収まるんだよ」と言ったのである。以来それは「水野ポケット」と呼ばれている。
そう、“個性豊かなクルマ”の影には、必ずや“個性的な開発責任者”がいるのだ。いわば強引にプロジェクトを進める力がなければ、魅力的なクルマなど誕生するはずがないのである。
レクサスLFAには、あの故成瀬弘氏がおり、棚橋晴彦CE(チーフ・エンジニア)がいる。レクサスISFには矢口幸彦CEがいる。三菱ランサーエボリューションには藤井啓史プロジェクト・マネージャーがいた。その他、例を上げればきりがないのである。
クルマは工業品である。だが同時に工芸品でもある。作り手の個性が色濃く反映される。そして同時に、“クルマは人が創る”という成瀬弘のことが蘇ってくるのである。
クルマを観るとき、ちょっとだけ作り手の姿を創造してみると、面白いかもしれない…。
今年のレース活動のすべてが終了しました。海外を中心に活動してきた。3度も優勝することができた。勝率3割! けれども、やはりレクサスLFAでのニュル優勝が一番の思い出です。応援ありがとう。来年の計画は…。近日中に発表できると思いますよ?楽しみにしていてくださいな!
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【編集部より】
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