ハーツで借りたオペルを床踏みしながらヨーロッパの街を走っていると、つくづくランナバウトのありがたみを感じるのである。土地勘のない異国の地での不安感は独特だ。目的地まで迷わずに行けるのか?交通の流れにのれるのか?それでもことさら緊張せずにいられるのは、ランナバウトが充実しているからである。
『ランナバウト(Roundabout)』を日本語でいえば『円形交差点』となる。様々な方面から集中してきたクルマが、円形のサークルに流れ込み、旋回をはじめる。順序良く左回りしていたクルマ達は、やがてそれぞれの目的方面に向かってバラバラに分散していく。その様子はまるで、遠心力に耐えきれずに放散するようでもある。円形をハブに、放射状に道路が延びる風景は、自転車のホイールを連想させるのだ。
ランナバウトの走り方は単純だ。基本は左回りの一方通行。旋回するクルマに迷惑をかけないようにラウンドに乗り入れ、目的地方面の“枝”に別れればいい。「あっ、道わかんねぇ…」と感じたら、わかるまで旋回しつづけてもいいのだ。急停止などして後続車に迷惑をかけることはないのである。
ランナバウトが魅力的な理由は、“強制的に一旦停止させない”ことである。あっちこっちからやってきたクルマが、減速こそすれ、サークルに自然に合流していく。そして、それぞれの方角に散っていく。信号機もない。一旦停止もさせない。往来のない交差点で、ただひたすら信号が青に変わるのを待ちわびる…、というような生産性の悪さはないのだ。
ランナバウトのメリットはこんなかんじだろう!
海外のランナバウトでもっとも有名なのは、凱旋門のあるエトワール広場に代表される円形交差点だろう。フランスにも至る所にランナバウトは存在しているのだが、ここは別格。一見するところ無秩序に見えるものの、ルールが存在しているらしい。「ほんまかいな!」とは思うけど…。
ちょっとした隙をこじ開けるように、強引にノーズを突き刺してくるし、車線変更も遠慮がない。躊躇などしていたら、いつまでたっても合流できないし逃れることもできない。旋回中の車線が複数なのもミソ。そこに8本ほどの道が合流してくるのだ。クラクションの嵐でもある。
キノシタも何度か凱旋門ランナバウトレース(?)に挑んだことがある。だが、一筋縄ではいかない。まずはサークルに飛び込むのに勇気がいる。首尾よく旋回をはじめたとしても、すぐに目的の道に逃げられるわけではない。何周も何周も回って、徐々に走行半径を膨らませていき,最後は勇気を振り絞って弾け飛ぶ、って感覚である。はっきりいって、命懸けである。
アメリカはマンハッタンにある、コロンバスサークルも名物ランドマークだろうね。アメリカ初の円形交差点だという。ここは美しい。ランナバウトとしての機能を発揮している。
なぜ、海外ではランナバウトが発達しているのか?その答えは明確だ。“クルマをいかにスムーズに走らせるか”それがヨーロッパの考え。一方、日本の頭の固いお役所は、“クルマをいかに停めるか”が基本にあるのだ。
ドイツの信号機は、“赤”信号のあと、一旦“黄色”が点灯してから“青”に変わる。これによって、ドライバーは発進のタイミングを逃さずにすむ。少しでもクルマを流そうという概念だ。だが日本の場合はというと、“青”から“赤”への移行には“黄色”を挟むものの、“赤”から“青”のチェンジでは“黄色”は点灯されない。停めることが正義であり、発進はほったらかし。スタートが遅れるからクルマは流れていかない。それが損失を生んでいるってことに無頓着。「まずは停めちまえ!」それが日本なのだ。
クルマが移動手段として成熟しているヨーロッパは、クルマだけではなくそれを取り囲むインフラ整備が行き届いている。自動車産業は世界トップレベルに成長したというのに、行政主導のインフラ整備は発展途上国並みだといわざるを得ない。
先日のこと、北海道・帯広に行った。さすがに北海道は広大な敷地に恵まれており、見渡すかぎりの農村地帯。時期によって収穫は、トウモロコシだったり芋だったり、あるいは牧草だったり放牧だったりと様々に色を変える。白黒まだら模様の乳牛が草を食む様子は、みていて心がホノボノする。
だがしかし、クルマで移動をしていると、むやみにイライラするのである。それこそ地平線まで拝めるのではないかと思えるような見渡すかぎりの平地に、突如として設置されている“信号つき交差点”で赤信号停止されている時、あわれな日本的お役所体質を思い、辟易するのである。
誰も来ない交差点に空しく点灯している“赤信号”。
アイドリングの振動と音が、響く。
結局は、たった一台ものクルマに出合うこともなく、信号が青に変わったのを見届けてから走りはじめた。
誰が、そんな必要があってその場に信号機を設置したのかを想像してみたものの、明確な答えは得られなかった。浮かぶのは無能な行政と警察の顔ばかり。嫌がらせ以外の何者でもない。信号機会社は天下り?明快な回答を迫ってもおそらく、「規則ですから…」と答えるのだろう。
ドイツと言えば、速度無制限の「アウトバーン」を思い浮かべるだろう。だけど僕は秘かに「ランナバウト」に感心しているのである。
いまの若いレーサーの話を聞いていると、「レーサーになりたくてレーサーになった」というパターンが多い。子供のころオヤジにつれられて行ったサーキットで観たレースで感動したとか、テレビで観たA・セナに憧れたとか…。
だから、自らの歩む道には明確なヴィジョンがある。どうすればプロとして生活できるか、あるいはどうしたらF1に乗れるのか、といった道筋を決めるヤツらが多いよね。だから計算高い。
だけど、僕はまったく違うんだよね。「レーサーになりたくてレーサーになった」のではなく、「乗りたいクルマが目の前に突然現れたらそれがたまたまレーシングカーだった」のである。F1ドライバーになりたいだとかプロとして生活したいという意識はまったくナシ。
学生生活と決別しなければならなくなった時、「卒業の思い出にレースとやらでも一度やってみようかねぇ」って出場したら勝っちゃった。でも、プロになろうなんて思いもせずにいた。だけど、ちょうど同じ日のパドックに、凄くカッコいい「スカイラインRSターボ(DR30型)」があったんだ。その時こう思った。「あれ、乗ってみたい!」
幸運にもそのマシンに乗れることになったんだけど、その後レースを続けていくうちにまた“乗りたい病”がムクムクと…。「フォーミュラーってやつ乗りたい!」。となると勝たなければチャンスはこないわけで、努力するってことになるわけ。
とまあ、レーサーになったきっかけは単純なものだね。
「あんなクルマに乗ってみたい!!」
つまりは、クルマスキの子供の成れの果てがボクのワケです(!)
地名しりとりさん、答えになっていた?
ふむー、簡単なようで難しい質問だね。猪突猛進、がむしゃらにこの世界で走りつづけてきたからね。根が単細胞だし、これと決めたら後先考えずに突き進む性格だし…。
でも、これだけは断言できるのは、“クルマ関係の仕事”をしていたであろうと思うよ。おそらく“自動車専門誌の編集者”か、いまでも片足を突っ込んではいるけれど、“自動車ジャーナリスト”。もしくは“自動車の開発業務”なんて文言が、僕の名刺には刷られていたかもしれない。
まっ、その中でもっとも有望なのは“ものを書く”という線。最近本腰を入れつつあるんだけれど、“作家”になっていたかも。実は子供の頃からキノシタは、文章を書くことがスキだった。最初の“作品”は小学生の時にしたためたもの。「イタズラなお猿がクルマにのってヤンチャする」という稚拙な内容だったけれど、だから、もしかしたら今頃、売れない小説を書いていたかもね。
昨年『豊田章男の人間力』を上梓させていただいた。そこでは「クルマ」と「物書き」がシンクロしている。過去には、短編小説も上梓した。いまでも、新たな構想を温めている。そろそろ執筆にかからねば…なんて企んでいるのだ。
もっとも、遅かれ早かれレースはしていたはずだから、『日本一速い、売れない作家!』だなんていうのが、僕の肩書きになっていたかも…。
先日、仕事で沖縄に行った。さすがに南国らしく、交通の流れは穏やかだった。東京のそれより、20km/hほどアベレージが低いような…。クラクションを聞くこともほとんどない。「クラクションの頻度と文化的レベルは比例する」が持論のキノシタとしては、ただただ感心したのである、もっとも、そこで見掛けた『看板』には笑えた。写真がそれ!「どんだけ心配性なの?」
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【編集部より】
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