レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム クルマ・スキ・トモニ

人とクルマの、ともすれば手の平から溢れてしまいそうな素敵な思いを、丁寧にすくい取りながら綴っていくつもりです。人とクルマは、いつまでも素敵な関係でありたい。そんなGAZOOが抱く熱く溢れる思いが伝わりますように…。
レーシングドライバー 木下隆之氏


41Lap 2010年12月、“2度目の”ニュルブルクリンク24時間参戦!

リアル&バーチャル!


栄光のGAZOO Racingスーツで武装して入るものの、あきらかに浮いている。クラッシュ時に頸椎損傷から身を守るハンスシステムも空しい…(笑)

12月19日(日) またしても “ニュルブルクリンク24時間レース”に参戦した。マシンは「GT by シトロエン レースカー」である。
 新年早々、毎年一度かぎりの行事に複数回も参加したなどと言えば、初夢にうなされているのか、浴びるほど流し込んだお屠蘇(とそ)で、意識が朦朧(もうろう)としているのだろうと疑われそうだ。しかし、ホラ吹き呼ばわりされようが、事実は事実。
 2010年の5月にレクサスLFAでニュルに挑戦しておきながら、いけしゃあしゃあと、2010年の12月に性懲りもなくふたたび、ニュルの地を攻めたのである。
 もっとも、ニュル24時間は現実ではなくバーチャルの世界の話。グランツーリスモが『5』に進化。
精度がさらに高まったとの評判だったし、最新の3D機能も搭載したという。
 選択した「GT by シトロエンレースカー」は、シトロエンとグランツーリスモを製作するポリフォニー・デジタルとのコラボ企画で形になったマシン。時代に取り残されぬよう必死の僕は、ゲーム音痴であることなど忘れて色めき立った。勢いというものは齢を重ねても衰えることはないようで、「ニュル24時間に挑戦しよう」って発想に辿り着くまでには時間はそうかからなかった。かくして、46インチ大画面TVモニターを設置、専用のステアリングコントローラーとバケットシートをドデンと据えて、24時間連続でモニターと格闘することになったのだ。
 こいつを正確に表現するならば、リアル&バーチャルである。コンピューターでこしらえられたマシンは画面の中でバーチャルに動く。脱輪してもクラッシュしても、傷一つ残さずに何くわぬ顔で走りつづける。だが、操縦するのは生身の人間である。尻は痛くなるだろうし腹も減る。屁をすれば臭くもなろうし、睡魔も襲ってくるだろう。苦痛はリアルに肉体を刺激するのだ。

誘いは一本の妙な電話から…

この珍妙な企画の発起人は、自動車専門誌“ティーポ”である。参戦にいたった経緯は、とりわけ個性的な編集者の突然の電話から始まった。
「ニュル24時間にでませんか?」
「そりゃ、もちろん!」
「では決まりですね」
「そんな簡単でいいのか?」
「いいです」
「本来なら、トヨタから連絡があるはずなのだが?」
「気にしないでください」
「マシンは?」
「好きなのを選んでください」
「そりゃまた安易だな」
「いいのです」
「コンビを組む相棒は?」
「ハシモトとヒキとボクです」
「知らない名だな」
「1日、5時間ほどニュルを走っている男達です」
「アキラやジュイチじゃないのか?」
「アストンマーチンの桂さんも招聘(しょうへい)してます」
「で、いつだ?」
「12月中なら、いつでもいいです」
「こっちの都合でいいのか?」
「いいのです」
 要約すると、こういうことである。
 なんだか狐につままれたような気持ちのまま、“日本のニュルマイスター”というありがたい称号を拝命した僕は、栄えある“世界初の1年間に2度もニュル24時間を戦った男”として名を残すことになったのである。

アイフェル地方ではなく東京都・あきる野市


「ティーポ・ガレージ」はあきる野市の片隅にある。クルマ1台分ほどの小さな倉庫を改造した空間だ。この日のために、ストーブやコンロやまな板や簡易ベッドが運び込まれた。

レース会場となったのはティーポが東京都・あきる野市に借りている「ティーポ・ガレージ」である。と言ってもクルマ1台がようやくという小さな納屋のようなもので、ガレージとは名ばかり。森や林に囲まれている点だけを拾ってみれば、ドイツのアイフェル地方の面影を残すものの、規模や設備は、100万分の1ほどである。
 器材は質素なものだった。小さな納屋の寒々しい片隅に、並べた古タイヤを台座代わりにしたテーブルがあり、そこにTVモニターが乗せられている。設置したというより梱包からほどいてそのまま乗せただけであり、ちょっとグラグラと危うい。ステアリングとシートも、「ただそこに置きました」というだけであり、アクセルペダルを踏み込んだらペダルだけ競り上がって届かなくなった。納屋が納屋だけに、46インチTVモニターだけがいやに神々しく輝いていた。
 それでも24時間を戦うための準備は、おどろくほどチープではあったが整えられていた。ホームセンターで買い込んできたキャンプ用の椅子とベッドと、タマネギやニンジンといった食材とガスコンロ、さらには石油ストーブに、山ほど積まれたスナック菓子の数々。石油用ポリタンクはあっても給油ポンプがなかったり、カレー用の鍋やボウルがあってオタマがなかったりと、にわか体制であることはあきらかなのだが、まずはひととおり揃っている。ゲームの初期化設定すら混乱しているというのに、ニンジンの皮むきをおっ始めるヤツはいるわ、カレーを煮込みはじめるスットンキョはいるわで、ニュル24時間に参戦することよりもむしろ、夜通しバーベキューして過ごそうぜとの魂胆はアリアリだ。


それでも食欲が衰えることはなく、早朝から肉の焼ける匂いが漂う。それだけはまさにニュルブルクリンク。

だが、こういったおちゃらけ企画に関しては、徹頭徹尾(てっとうてつび)真剣に入り組むメンバーだから、ニュルはドイツだからという理由でフランクフルトを山ほど買い込んできていたりする。栄光のGAZOO Racingを身に纏(まと)い、ハンスシステムまで肩に下げている自分が、大いに浮いて見えた。
 もっとも、本家本元のニュルブルクリンクだって、観客のほとんどはキャンパーである。「レースウイークの数日間をキャンプしていたら、たまたま横にレースカーが走ってました!」というノリが彼の地には漂っているわけで、まあここは納得することにした。

超個性派編集集団

実はティーポは、この手の珍妙企画に掛けては前科持ちである。過去には、国内で“ル・マン24時間”に挑んだことがある。
 トヨタから拝借したスープラに、ル・マン24時間仕様のカストロール・スープラと同色にカラーリングを施して挑戦した。といっても、これも日本での話。サルト・サーキットでスタートの火蓋が切られた同日同時刻に、編集部があった東名高速・用賀料金所をスタート。東名高速に乗ったまま一路西に進路を向けてひた走り、名古屋で中央自動車道に乗り入れる。
 そこからは東に向かって東京・首都高速4号線になだれ込む、そのまま環状線経由で3号線へ移り、またあらためて用賀をかすめて周回したのである。日本の高速道路網は、おバカな奴らには実に都合良く出来ているようで、一度も一般道に降りずに周回が可能なのだ。しかもご丁寧なことに、約50kmおきにガソリンスタンドが構えている。これはほとんど24時間レースをするための施設なのだと決めつけたくなるようなインフラが整っているのだ。税金を無駄喰いする所轄と天下り団体の、唯一誉めていい粋な計らいなのである。
 かくしてひたすら高速道路を乗り続け、24時間でラップしたのだ。
 “だからどうした”と言うなかれ、この手のバカバカしい企画は、生産性がなければないほど価値がある。それに向かって真剣に取り組むことに意義があるのだ。

過去にも劇的な幕切れを経験…


深夜になると、ご覧のありさま。地鳴りのようないびきとともに、ただただ空しく、エキゾーストノートだけが響き渡る。参戦を後悔しはじめたのはこの頃だ。

実はすでにグランツーリスモで“ル・マン24時間”に挑戦ずみでもあった。この時はトヨタのル・マン24時間参戦を祝しての行事。ル・マンウイナーの荒聖治君をエースドライバーとして招聘するという念の入れようだったにもかかわらず、なんとゴール寸前の23時間30分を過ぎたあたりでマシントラブルによってリタイヤとあいなった。
 トラブルの原因はステアリング系の破損である。バーチャルの世界では、停電にでもならないかぎりマシントラブルなど起きるわけがない。だがしかし、実際のゲーム用ステアリングが機能しなくなった。
 「24時間連続でステアリング操作するお客様がいるなどとは想定しておりませんでしたので…」 後日メーカーに問い合わせるとそんな返答。なんだか、達成感にニヤリとしたのはこの時である。
 そんなティーポ編集部なのだが、さらなる武勇伝は後日。
 さてと、話をレースに戻すとしよう。
 ただし、レース内容には特に報告すべきハプニングはなかった。スタートドライバーは私であり“GAZOO Racingのエースアタッカー”が努めさせていただいた。
 だが、スタートして数周ですでに決着がついていたといっていい。さして考えもせず選択したマシンが戦闘力不足で、一周につき5分ほど引き離される始末。己のゲームセンスの欠如を差っ引いたとしても、まったく勝負にならないのだ。あとは淡々と周回を重ね、睡魔と戦い、フランクフルトをたいらげ、カレー鍋を空にし、夥しい数のタバコの吸い殻とコーヒーの空き缶をうずたかく積み上げただけなのである。アンカーにアストンマーチンでニュル参戦経験の豊富な、しかもゲームの達人である桂伸一選手を投入しては見たものの、残されたリザルトは以下のとおり。
『総合最下位 総周回数139laps 33lapsオクレ』
 ただただ、筋肉痛と睡魔と、無情の徒労感だけが残ったのである。
 であるからして、コラムの最後の"締め"らしきものを探してみたものの、何も浮かばずに思案に暮れている。なにか優勝でもリタイヤでも、なにか劇的な分界でもあれば救いだったのだが、なんとも平凡なエンディングなのである。
 なんてことを企画の発起人である担当編集者に告げると、こんな答えをよこした。 「レース中、いろいろクルマのことで話が盛り上がったから、それでいいってことで…」
 根っからの「クルマ好き」である奴らにとっては、特にドラマチックな展開など期待してはいなかったようだ。ただただクルマの話を夜通しする。そんな理由さえあれば、それでいいのである。
 あえてテーマを上げるとすれば「無駄な男気」であり「珍妙な企画」であり、そこに執念を燃やすことに意義がある。いまどき珍しいほど「クルマ好き」であり、「絶滅危惧種」なのだ。 

キノシタの近況

 「クルマ・スキ・トモニの32LAPで“嫌に低いトンネル”を紹介した。東京・山手線の高架下は高さがわずか1.5メートル。「低くてルーフが擦れる」って話だ。と思っていると、「東京都が近隣に別のトンネルを計画」と発表された。どうやらこのコラムを読んでいたらしい(?)ともあれ、近い将来あの珍妙なトンネルが閉鎖される可能性大。興味ある人は、急いで通過されたし…。
www.cardome.com/keys/

【編集部より】
本コラムについてのみなさまからの声をお聞かせください。
“ジミーブログ”にてみなさまのご意見、ご感想をコメント欄にご自由に書き込みください。また、今まで寄せられたご意見もご覧ください!