フランクフルトへの旅は、僕をことさら愉快にさせる。速度無制限の道「アウトバーン」を走ることができるからである。
これまでの長い自動車生活でしみ込んだ習慣によって、パトカーが視界に入るだけで顔をそむける癖がある。だがここでは遠慮することはない。草むらに紛れて違反車両を監視するのは日本のお巡りと同様だが、アクセル床踏みでかっ飛ばしても、少なくとも道路交通法的には罰則の対象ではないのだ。ニヤニヤしながらパトカーを追い抜くのは、とてつもなく気持ちがいいのである。
だから、フランクフルト・アンマイン国際空港を降りるやいなや、エイビスのカウンターに駆け寄り、自動車保険をフルインシュアランスで掛け捨て、そのまま空港に直結したアウトバーンに踏み入れた瞬間の興奮はとてつもない。
アウトバーンは、高性能車ヒエラルヒーが厳然と存在する。トラックは路肩側しか走行が許されない。なんらかの事情によって急いでいる人は、中央分離帯側で自由に飛ばせる。それほどでもない方たちは、それに挟まれた車線をスゴスゴと進むのである。
速いクルマは偉い、という文化は、こうして育まれていくのである。
ただし、最近、そんなワクドキな高揚感に冷や水を浴びせかけるような看板が目立つのだ。エイビスで借りたVWポロに鞭打って、高速車線走行の快感に酔いしれていると、そんな日本人を睨むようにしてそれは路肩に佇んでいるのだ。思わず、アクセルペダルに添えた足の力も緩む。
ドイツは、自己責任の国なのである。
自ラノ所行ハ己ノ監督化ニオイテ処理スベシ…。
ドイツ国民のすべてがそんな格言を、耳元で言い含められて育ったかのごとく、徹底して自己責任主義者なのだ。例外はひとりもいない。そう言い切ってもいい。
じゃなければ、アウトバーンなんていう速度無制限高速道路なんて現存するはずがない。
「200km/hだろうが300km/hだろうが、突っ走ってもけっこうですよ。でも、事故はオウンリスクですからね…。」
責任を自分がかぶるのであれば、不粋な速度制限など外してさしあげましょう…、なのである。
じゃなければ、ニュルブルクリンクのノルドシュライフェを一般に公開などしやしない。コースライセンスを取得する必要もない。レーシングスーツの着用義務もない。ヘルメットをかぶっている人すら稀だ。男女4人でトロトロドライブをするBMW330iカブリオレの真横を、250km/hでカウンタージャンプをするポルシェ911GT3がかすめる。そのイン側には、250ccバイクがタンデムでうろたえていたりするのである。
誰にも責任転嫁をしないのであれば、ご自由にスポーツドライビングを楽しんでいいんですよ…なのである。 じゃなければ、ソーセージとフライドポテトを頬張りながら、地ビールを牛呑みなんてしないのである。肥満や糖尿病を覚悟の上ならご自由にたらふくどうぞ…、である。
自己責任の国、ドイツ。
規制でがんじがらめの日本からすれば、じつに羨ましい。
ただし、自由度はとびきり高いといっても、最近はどこか締め付けが強いような気もする。特に、善良な市民を巻き込む交通事故を、自己責任という大義名分によって放置しつづけることは許されないようで、アウトバーンの速度制限法案が国会を通過する気配。規制推進派と放任派に分かれた政権闘争にも発展しているようだが、自動車大国ドイツが、自らの生命線であるアウトバーンに足枷をはめようとしている。そこまで追い込まれるほど事故が深刻なレベルに達してしまったのだ。
だからこのところ頻繁に、物騒な交通事故抑制のための看板を見かける。
まあ、写真をどうぞ…。
すごいでしょ?
露骨でしょ?
生々しいでしょ?
ストレートな表現にあぜんとしますねぇ…。
子どもが色鉛筆で描いたような絵が、アウトバーンのところどころで、こうして威圧しているのである。
一見して、子どもが描いているようだけど、実は大人の筆のよう。わざと子どもらしく描いた形跡がのこる。ともあれ、ストレートな表現に、スゴスゴと車線を譲りたくなる。
すべての看板に共通した文字『ABGELENKT?RISIKO RAUM!』を直訳すると『道路を逸れちゃった?リスク回避!』となる。
直訳では意味不明だが、『ABGELENKT』は『進路をはずれる』という意味と『注意を怠る(よそ見)』という二重の意味を含んでいるから、まあ、勝手に意訳すれば『よそ見するとクラッシュするよ!』といったところだろう。
誰もがよそ見したくなる看板を掲げておいて見るなとは、どこの国の交通安全看板にも共通したジレンマだろう。
『RISIKO RAUM!』はドイツ損害保険機構(DGUV)と農業社会保険(LSV=日本でいうところの農協?)が共同で行っているキャンペーン用語で、交通事故だけでなく労働災害を含む事故を抑えるのが目的なのだ。
それにしても、直接的である。サッカーゴールを内角ギリギリにえぐってくる150km/hシュートくらい厳しい。
実はこのイラストシリーズ以前の事故抑止看板はもっとストレートだった。イラストではなく、写真だったのだ。あまりに衝撃的なので、写真を紹介するのもはばかられるほどの看板だった。
血だらけの父親が包帯ぐるぐる巻きで目を閉じている。おそらく場所は病院の一室だろう。枕元で涙ぐむ娘…。いまにも泣き叫ぶ家族の声が聞こえてきそうなのである。
こんなのもあった。
横転した大型バイクがグシャグシャにひしゃげて横たわる。ヘルメットがかたわらに転がっている。その横で呆然と立ち尽くす女性はライダーズスーツだ。おそらくタンデムでツーリングを楽しんでいる最中の事故だろう。まだ救急車は来ていない…。表現はいたってストレートなのだ。事故防止効果は絶大である。
そう、ドイツは自己責任の国である。だが、勝手にどうぞとばかりに放任主義ではない。びしっと釘を刺した上での自己責任主義国なのである。
「注意一秒、怪我一生」
「お土産は、あなたの安全…」
なんて、日本の標語のなんと甘っちょろいこと、この上ない!
思えば小学生の頃、地元警察の交通標語に全校生徒を挙げて応募したことがあった。入選すれば、街の看板に自分の考えた標語が張り出されるという特典に、真剣に頭をひねったことがあるのだ。
小学生が特典に目が眩んで創った標語だから、今思えば幼稚なものだった。
「右見て、左見て、後ろ見て」
「スピードは事故のもと」
「みんなのために安全運転」
「信号無視は危ないよ」
詳細は忘れたけれど、どれもこれも、手垢のついたものばかりだったような気がする。
その中で、いまでも記憶に深く刻まれているものがひとつだけあった。それは、クラスで最も出来の悪い奴の作品なのだが、それが見事に入選したのである。
『命が欲しけりゃ、交通安全!』
そのまんまやんけ!
だけど、言葉遊びなどではなく、実にシンプルに心理をついているのだ。偽善もない。
交通安全標語やメッセージボードは、人の心にまっすぐに突き刺さるものがいい。アウトバーンがいつまでも速度無制限道路であることを願って、安全運転を心がけようと思う。
『命が惜しけりゃ、交通安全!』
である。
やまださん…
きわめて事故率が低いのが自慢なのだが、さすがに血気盛んな若いころにはヤバい事故も経験しているのだ。記憶にあるのはふたつ、そのひとつは全日本F3選手権菅生サーキットの最終コーナーで起こった。
その日はいやに調子がよく、ノリノリでレースをしていた。たしか6番グリッドからのスタートだったと思うが、4番まで上がりトップ3台も射程距離にとらえたその時、突然の降雨。それまでは完璧ドライだった路面が、最終コーナーで突然ウエットに…。我々トップ集団は何もできずに全車クラッシュ。キノシタもまったくノーアクションのままアウト側のガードレールに突き刺さったのだ。なんとかクルマから降りて、呆然と立ち尽くした。
まあ、こんなクラッシュなら珍しくはないのだが、クラッシュした我がマシンを見て不思議に思った。僕のヘルメットの塗料が、届くはずもないサイドミラーに付着している。かたや僕のヘルメットには、サイドミラーの塗料が傷となっている。頭部とミラーの距離はおよそ80センチ!なぜ?
後日、ドクターに確認したらこう。
「人間の頸椎は、一瞬でしたら80センチ伸びることがある。まっすぐ伸びでまっすぐ戻れば、損傷を逃れられるのだが、捻った場合には、残念なことになるでしょうね…」
ろくろ首は、現実社会にいるようです。
先日、親戚一同がある家に集結した。するとご覧のように、今が旬のクルマが揃いぶみとなった。メルセデスSL500、日産リーフ、レクサスCT200h。この3台が同時に鎮座ましましたのである。かたや大排気量5リッタースポーツ。かたや内燃機関と決別した電気自動車。そしてその中間のハイブリッドである。となると議論百出、侃々諤々になるのはクルマ好きの常。どれが一番なのか、口角泡をとばして酒の肴になった。結局、焼酎が一本カラになったあたりで辿り着いた結論はこれ。
「すべて欲しい…」
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【編集部より】
木下アニキに聞きたいことを大募集いたします。
本コラムの内容に関することはもちろんですが、クルマ・モータースポーツ・カーライフ…等のクルマ情報全般で木下アニキに聞いてみたいことを大募集いたします。“ジミーブログ”にてみなさまのご意見、ご感想をコメント欄にご自由に書き込みください。