レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム ~木下アニキの俺に聞け!~クルマ・スキ・トモニ

人とクルマの、ともすれば手の平から溢れてしまいそうな素敵な思いを、丁寧にすくい取りながら綴っていくつもりです。人とクルマは、いつまでも素敵な関係でありたい。そんなGAZOOが抱く熱く溢れる思いが伝わりますように…。
レーシングドライバー 木下隆之氏


53LAP 草葉の陰から、まだまだニラんでますよ! (2011.7.26)

そこは水鳥が羽を休める小さな池のほとりにある

道を隔てた向こう側に、小さな池がある。誰も踏み荒らすことのない、静かな池が成瀬さんに寄り添っているよう。なんだかかっこ良すぎるよ、成瀬さん。
道を隔てた向こう側に、小さな池がある。誰も踏み荒らすことのない、静かな池が成瀬さんに寄り添っているよう。なんだかかっこ良すぎるよ、成瀬さん。

JAL407便がフランクフルト・アム・マイン空港に降り立つやいなや、僕らはレンタカーに飛び乗って先を急いだ。ターンテーブルを流れる荷物を取るのももどかしく、駆け足でターミナルを移動していた。
目的地は、アイフェル地方にある静かなカーブだ。
空港からはクルマで約1時間30分の距離にある。
ニュルブルクリンクから時間にして約10分弱、トヨタの整備ガレージからは1分ほどに位置するその場所は、ゆるい高低差のあるミドルベントである。内側には、小さな湖のような、美しい池があり、水鳥が喉を潤している。そこがGAZOO Racingの成瀬弘元監督の眠る場所だ。
成瀬さんがレクサスLFAの公道テスト中に事故死したのは、およそ1年前のことだった。今、そこには、牧草地の一画が整地され、砕石で囲われて、春になれば華やかに咲き誇るであろう樹が植えられている。
1本は、日本の桜の木。
もう1本は、ドイツの桜の木だ。
ニュルブルクリンクを訪れた時、ホテルのチェックインをする前に僕はまず、この場所に訪れ、手を合わせることにしているのだ。

いきなりの洗礼?

「まず、オヤジにご挨拶する?」
その日、成田からフライトが一緒だった脇阪寿一を誘った。
「いいッスョ!」
「挨拶しないと叱られるし…」
「オヤジ、スネますからね!」
1台のレンタカーに乗り合わせてやってきたのだが、到着し、車から降りようとしたその瞬間、静かな牧草地帯に不穏な音が響いた。
“プスッ、プッシュー…”
何かが破裂し、空気が抜ける音だ。
「いきなりパンクかよ!」
まだ新しいアウディA4は、大きく傾いている。
僕らは顔を見合わせた。そしてしばらく思考を巡らせたあと、一瞬だけ眉間にシワを寄せ、そして同時に大きく笑った。
「まさか、オヤジのしわざ?」
「それ以外に考えられないし…」
桜の木に目をやると、1年前にはか細かったそれは、太い幹になろうとしていた。
幹から伸びようとしている枝の先には、小さなつぼみが芽吹こうとしている。若木の、生命力に満ちた香りがした。
「ゆっくりしていけ、ってことか?」
「そういうことでしょう…」
「まったく強引なオヤジだよ」
「強引なのは、成瀬さんらしいですね」
「強引じゃなければ、成瀬さんらしくない」
そしてまた僕らは顔を見合わせ、大きく笑った。

日本の味…

日本の桜の木と、ドイツの桜の木が記念樹として植えられている。背後のミドルベントが、成瀬弘元監督が逝った場所。あれ以来、フランクフルトに到着してすぐに、ここに訪れることにしているのです。そうしないとオヤジが怒るから…。やってきても怒られるのだが…(笑)。
日本の桜の木と、ドイツの桜の木が記念樹として植えられている。背後のミドルベントが、成瀬弘元監督が逝った場所。あれ以来、フランクフルトに到着してすぐに、ここに訪れることにしているのです。そうしないとオヤジが怒るから…。やってきても怒られるのだが…(笑)。

翌日、桂伸一さんと一緒に、花を手向けにいった。すでに何束かの花が添えられていたから、昨晩のうちに誰かが訪れたのだろう。みんなの気持ちも一緒なのだ。色鮮やかな花びらが、風に揺れていた。
「実は、オヤジが好きなせんべいを持ってきたんだ」
「日本のお菓子に飢えていたからね」
桂さんは、日本の新聞と雑誌を手にしていた。
「日本の活字にも飢えていたからね」
「根っからの、日本人だったんだよね」
「だから、ひとりで打倒ドイツに燃えていた」
「育ててくれたトヨタへ恩返しだって、よく口にしていたしね」
「だから、日本から遥か離れたドイツでの生活は、寂しかったんだろうね」
「そう言っていた?」
「まさか!そんな弱音を吐く人じゃないでしょ!」
「そりゃそうだ…」
僕らは小さく笑った。
「オヤジ、ほとんどニュルで生活していたでしょ。だから、日本からやってくる後発隊に、土産はせんべいだ、ってうるさかったんだよ。銘柄指定までしてさぁ…」
「持ってきたのは、そのせんべい?」
「いや、違うやつ」
「エビセンのような味で、歌舞伎揚げのようなタイプが好みだったよねぇ」
「『成田空港に売っているから買ってこい』ってさんざん迫るんだけど、すべての店を巡っても売ってないわけ。一周忌だからってことで今回も足を棒にして探し回ったんだけど、どこにもなかった。だから、似たようなせんべいでごまかそうと…」
そういって、小さな袋をちぎった。醤油の甘く焦げるような香りがした。
「日本の味だよね」
そっと、桜の木の根元に添えた。
すると、ヒューッと一陣の風が吹き、桜の木を揺らした。その風は、せっかく買ってきたせんべいをすくうようにして、草むらに呑み込んでいった。
「それじゃ、ダメだってさ!」
「ニセモノじゃごまかされないってか?」
二人で顔を見合わせ、肩をすくめた。
「日本の味じゃないって?」
「味にはうるさかった」
「せんべいとクルマの味に?」
「まったく、頑固なオヤジだよね」
「次回また、成田空港をさまようことにするよ…」
池をかすめるようにして吹き抜ける風が、僕らの頬をそっと撫でた。

僕らは誘われるようにここに来た

成瀬さんが逝ったのが2010年の6月23日。一周忌はニュルブルクリンク24時間レース開催の前日。だから大勢の人達が訪れ、記念樹は華やかになりました。
成瀬さんが逝ったのが2010年の6月23日。一周忌はニュルブルクリンク24時間レース開催の前日。だから大勢の人達が訪れ、記念樹は華やかになりました。

ニュルブルクリンク24時間レースを翌日に控えたその日、携わったスタッフ全員で、成瀬さんの記念樹に花を添えることになった。ビジネスとレースのために訪れていた豊田章男社長も一緒だった。成瀬さんの奥様も一緒。小さなシャベルで桜の木の根元をほじり、小さな苗木を植えることにしたのだ。
ずいぶんと華やかになった。派手なことを好まなかった人だったけれど、それでもこうして育ててきた後輩達が寄り添うと映える。
その日は、成瀬さんが逝ってからちょうど365日後の6月23日。
「ほんとうに都合がいいオヤジだよね」
「本来レースは別の月だったんだ。それが今年、大幅なスケジュール変更があって、不思議なことに6月23日になった」
「開催日が6月にずれ込んだのは、ニュルの歴史で初めてのことだと思う」
「まるで、地球が成瀬さんを中心に回っているみたいだよ。そうでなければ、こんなにたくさんの人が集まることはなかったんだから…」
「一周忌にレーススケジュールを合わせるなんて、ほんとうに都合がいいオヤジだよ」
「都合がいいというより、巡り合わせがいいんだね」
「『オレのこと、まだ忘れはさせんぞ』って声が聞こえそうだよ」
桜の木の根元は、太く逞しく根を張りつつある。

レースまで波乱に満ちた

今年のニュル仕様のカーボンヘルメットには、特別なプリントを施した。バックのその文字が、あの過激なレースを戦う僕の、その命を救ってくれたように思う。「NARUSE LIVES(成瀬は生きている…)」
今年のニュル仕様のカーボンヘルメットには、特別なプリントを施した。バックのその文字が、あの過激なレースを戦う僕の、その命を救ってくれたように思う。
「NARUSE LIVES(成瀬は生きている…)」

レースを終え、これからフランクフルト・アム・マイン空港に向かうそのとき立ち寄ったミドルベントで、僕らは手を合わせた。
「レースは2台ともトラブルで大変だった」
「こんな状況になると、成瀬さんがいないことで不安になる」
「成瀬さんの豪快な笑い声が聞こえるような気がするよ」
「『ほら見ろ、オレがいなくてまともに走れると思うなよ』って?」
「草葉の陰から?」
「そう。あの人、根っからの親分肌だから…」
 1年前の日本で、通夜に参列したその日に僕は、英国に発っている。成瀬さんと行くはずだったグッドウッドに、一人で向かったのだ。機内でしたためた思いを、このコラムの29号で綴っている。
あれから1年。
「ニュルマイスターだなんて祭られて、最優秀監督賞だなんて表彰されて、表彰式のステージでテレて、ニュルで仕上げたレクサスLFAに乗って、ニュルで逝って、1年後の今年、レーススケジュールまで6月23日に変更させて、パンクさせて、せんべいを拒んで、レースではトラブルを誘って、みんな集めて、涙なんて流させて…」
「……」
「……」
「まったく都合がいいオヤジです」
「だとすると、オヤジがニラミを効かせている以上、ニュルを卒業できないってことになる…」
「勝たせてもくれないかもね」
「『ほら見ろ!』って?」
「だけど、成瀬さんが見守ってくれていたことがひとつだけある」
僕らは無事だった。誰も怪我をしないでレースを終えることができた。僕らの命を、そっと手ですくうようにして守ってくれたのは成瀬さんだったのだろう。素直に思うことにした。


今回、成瀬弘元監督の一周忌を報告するに際して、徹底的にバカにしてこきおろし、笑い飛ばしてやるつもりだった。いつまでも塞ぎ込んでいても喜ばないことはわかっていたからだ。だが、筆を進めるうちにまた、感傷的な気持ちになってしまった。どうしても笑い飛ばせない。まだ僕の中では成瀬さんが生きているのだ。
 桜の木の前では決して涙は流さないと誓っていた。だが、まったく意志のとおりにならなかった。筆も、涙腺も…。

「まったく、都合のいいオヤジでした」

そう笑い飛ばすのが、精一杯です。

木下アニキの俺に聞け 頂いたコメントは、すべて目を通しています!するどい質問もあって、キノシタも大満足です!言っちゃダメなことなど。オフレコで答えちゃいますよ!
ニックネーム「ぐろさん」さんからの質問
木下さんの好きな「クルマに関する漫画」を教えてください!
GAZOOでもレーサーの生い立ちを漫画にしたのを連載したらおもしろいかも!雑誌「小学○年生」に載ってる野球選手物語みたいな感じで・・(ふるい?)
『レーサー脇阪寿一物語』とか…

レース漫画は少なくないけれど、僕が一番思い出深いのは、六田登氏の『F』(エフ) (小学館)なんだよね。鼻息の荒い「赤木軍馬」が、親友の「タモツ」とレースを戦うもの。「何人(なんぴと)たりともオレの前は走らせねぇ。」の名台詞は有名だ。群れず、媚びず、信念をもって戦う姿に共感したものだ。その生き様、僕の手本にもなっているのです。
 もっとも、僕は実は、赤木軍馬のライバルでもあったのだ。僕がFJ1600に参戦している時代、彼も将来を夢見るFJレーサーだった。作者である六田登氏はどうやら、漫画にするための資料として現実のレースにやってきて、それを絵にしていたらしく、僕がポールポジションを取った時の写真を元にしたことがあった。僕の横に、赤木軍馬が並んでいたのだ。だから彼と僕はライバルなのである。今でも赤木軍馬は連載を続けている。僕も現役で走っている。だから『F』(エフ)に対する思い入れは強いのだ。
 実は、漫画の原作を書いてほしい…という依頼がある。まだ筆が重いのだが、要望があればいつかは…と温めているところ。乞うご期待!

キノシタの近況

 英国グッドウッドに参戦してきました。マシン?もちろんレクサスLFAのニュル仕様で。1週間前に戦ったそのマシンを、トレーラーで積んできたのだ。ドーバー海峡を渡ってきたマシンは快調で、例の個性的なサウンドを響かせたのだ。
 帰国してすぐにTBSラジオ出演。お題は「ニュルブルクリンク24時間参戦」だったから、写真のようなメンバーがスタジオに集結。TBSの竹内アナウンサーを囲む、有象無象ども…。
www.cardome.com/keys/

【編集部より】
木下アニキに聞きたいことを大募集いたします。
本コラムの内容に関することはもちろんですが、クルマ・モータースポーツ・カーライフ…等のクルマ情報全般で木下アニキに聞いてみたいことを大募集いたします。“ジミーブログ”にてみなさまのご意見、ご感想をコメント欄にご自由に書き込みください。