数ヶ月前、カートップの連載コラムで『日本のデザイナー擁護論』をぶったら、その話、ぜひ聞かせろ!ってことであるメーカーにお呼びがかかった。
もともと専門家ではないから、理論武装していたわけでもない。分厚い資料を携えていたわけでもない。ひとりのクルマスキとしての思いを着飾ることなく語ったにすぎない。つまり、「あたりまえ」のことが出来ない事情を「あたりまえ」のように改善したほうがいいよ、と口にしただけである。
だが、それが、デザイナーが抱えてきた悩みを代弁してしまったようで、たいそうおだてはやされた。最後はデザイナー氏に両手で握手までさせられた。さぞかし琴線に触れたようなのである。
東京モーターショーをはじめとする世界各地のショーでワールドプレミアされるモデルは、概ねカッコイイ!ところが、それが市販化される段になると、あのスタイリッシュなフォルムは醜く変形し、華やかにスポットライトを浴びていた妖艶かつ絢爛とした面影が消え失せる。
その変わり果てた姿を見て、僕らの口をついて出る言葉は悲しい。
「これがあれ?(汗)」
「デザイナーは無能なんだろうねぇ…(怒)」
「ガッカリでモノも言えない…(涙)」
ピカピカに磨かれたうえに、プロの照明師に陰影を演出された華やかな舞台と、醜く絡まった電線を背景にせざるを得ない市街地では、たしかに印象は違うはずだ。だがそれにしても…である。
実はショーモデルがデビューするまでの開発期間に、様々な「大人の事情」が壁となり、フォルムを醜く変形させていく。デザイナーが無能なのではなく(それもあるけれど…)、そうせざるを得ない事情が複雑に絡むのである。
そのひとつに、国土交通省の法規遵守の問題がある。
公道を走ることのないショーモデルは法規を無視した存在である。だからデザイナーは自由に筆をふるえる。だが、実際に市販化を考慮する段階になると、様々な制約が筆を鈍らせる。
欧州では数年前、サイドミラーのサイズ規定が改められた。より後方視界の優れた大型ミラーの装着が義務づけられたのだ。日産GT-Rのミラーが不自然に大きいのは、その規定をクリアさせるための犠牲である。
ボンネット周りが分厚くなり、シャープさが消えてしまうのも「歩行者保護規定遵守」によるデザイン的弊害である。事故の際の加害性を緩和させるために、歩行者頭部への損傷を抑える必要がある。そのためには、ボンネットと、その内側にあるはずのエンジンとのクリアランスを有効確保する必要がある。だからボンネットをいたずらにさげることが許されないのだ。
欧州では、リアストップランプは「ふたつ」と規定されたという。
つまり、GT-Rのような丸形4灯は非合法となる。丸形4灯のうちの内側の4灯のレンズが薄く暗くなったのは、それをストップランプとはせずに「反射鏡」と解釈させるための苦肉の策だと思える。
一事が万事そんな具合だから、デザイナーが真っ白いキャンバスに自由に空想の羽を広げるように具象化するのは簡単ではないのだ。
「社内法規」なるものも足枷となる。
自動車メーカーには、国土交通省が制定した法規とは別に、もっとも厳しい「社内法規」が存在する。これが六法全書より厳しいというのだ。
たとえば「タイヤとフェンダーとのクリアランスは○○ミリなくてはならない」といった規則がしっかりある。
それはユーザーのための「良心」である。だが、社内法規だけが厳格化され、時代に取り残されたものも残る。その弊害も無視できないのだ。
「チェーンを装着した時にも干渉してはならない」といった規定もある。ミニバンやセダンに適用されるのならまだしも、バリバリの純血スポーツカーにでさえ例外ではないというから、デザイナー泣かせである。
シャコタンはカッコイイ。タイヤとフェンダーの隙間は狭いほうがカッコイイ。それがわかっていても出来ない事情があるのだ。
「そんなもの、スタッドレス履かせればいいですやん!」
との心の叫びは、司法の前では無力なのである。
最近デザインが評判の現代ソナタを観察していて思った。
「こりゃ、新興メーカーならではの特権だわな!」と。
たとえば件の「タイヤとフェンダー問題」。ソナタのそれはあきらかに狭い。だからスタイリッシュである。
フェンダーの切り欠きにそっと手を這わせてみた。すると、特徴的な手法が手に感触をついて伝わってきた。ボディ外板の鉄板が折り込まれていたのである。それは「タイヤとフェンダー問題」を回避するテクニックのひとつなのだ。
つまり…
「タイヤとフェンダーの隙間を詰めたい」+「トレッドも広げたい」→「だけどそれではタイヤが上下動した時にフェンダーに干渉してしまう」→「しかたなく、車高をあげる」→「カッコ悪い」
これが悪循環である。
だが現代は、フェンダーを折り込むことでタイヤ干渉を回避していたのだ。
と、そこで、「だったら日本のメーカーもそれをすればいい…」と思いたくなるところだが、そう出来ない事情がある。
まず「コストの壁」が立ちはだかる。
○「フェンダーを折り返す」→「製造工程が増える」→「コストがかさむ」
○「フェンダーを折り返す」→「錆びる心配がある」→「錆び止めを厚塗りする」→「コストがかさむ」
これは木下の想像なのだが、現代自動車にはまだ「折り込むことで錆びる」ことに無頓着であり、だから自由なのだと思う。歴史も伝統もある日本の自動車メーカーには、その歴史の積み重ねの分だけ良心があり「社内六法全書」が厚くなる。自らに課している足枷が自由を奪っているのではないかと想像する。
「新興メーカーならではの特権だわな!」と言ったのはそんな理由によるのだ。
あのエッジの効いたサイドの造形も、もしかしたら社内規定に抵触する恐れがある。「歩行者への安全を考えた場合、可能なかぎりボディから凸起を排除すべし…」という考えが根底にあるのだ。
スカイライン伝統のサーフラインが消えた時、その理由は安全規定なのでは…と囁かれていた。
昔、S14シルビアの開発陣と話をする機会があった。その時僕は、こんな提案をした。
「スポーツカーなのだから、回転計を大径にして、中央に設置すればいい」と。
ところが、返ってきた答えは僕を愕然とさせた。なにやら社内規定によりそれは出来ないのだというのだ。「目線の移動に関する規定」があるのだと…。スポーツドライビングの際の目線の移動を最小限にするための提案だったのに…。役所思想の壁は厚い。
だが不思議なことが起った。なんとフルモデルチェンジとなったS15シルビアには「ピラーメーター」が設置されたのである。
運転席側のAピラーに、エンジン状態を伝えるための「ブースト計」と「油圧計」が組みつけられた。それは凸起になってドライバーに迫っている。
「この安全性は?」
「いや、新しいアイデアなのは社内規定に抵触しないのです」
件のインテリアデザイナーの顔が交通取締官のように見えた。
大径のタコメーターが危険で、ピラーメーターが危険ではないとの論理には驚くばかりである。かくも社内規定は厳格なのである。
ことほどさように、デザイナーの「創造」が自由に具象化されることはまずない。実はさらに深い「お家の事情」がデザイナーの筆を鈍らせる。
クルマはある意味では「芸術品」である。だが、それ以前に「工業品」なのだ。
実は「デザイナー受難」の理由はさらにある。
その話には次号で…。
睡眠?
木下はほとんど寝ないよ。だって、年に1度の大イベントなのだから、寝ていてはもったいない。寝てる間に起った出来事をつぶさに逃さないためにも、夜通し起きているよ。興奮していて、睡魔もどこかに飛んでいったままだし…。
ただし、しっかり睡眠をとるドライバーもいる。チームが簡易ベッドを用意してくれているからそこで横になることも可能。近隣のホテルに戻る人もいる。移動用のバイクが一人1台あてがわれているから、自分のパートが終ったら、さっさとホテルに戻ってシャワーを浴びて仮眠、また戻ってきてドライブ…ってパターンもいる。
食事もチームが用意してくれている。専用のコックが和洋の食事を調理してくれるから栄養管理は完璧。その日のメニューが貼り出されている。それも楽しみなんだよね。
人気なのはインスタント麺やレトルト食品。日清のうどんやラーメン、カレーや親子丼…。ほとんどコンビニのような光景です。
おにぎりやいなり寿司は常備されているから、いつでもパクリとやれる。昔は1レースで数キロも痩せたんだけど、最近ではちょっと太ったりして…。
レクサスGSの試乗のために鹿児島に。そこから大阪・伊丹空港にフライト。観光バスよりも細いプロペラ機が駐機場で待機していてパチリ。離陸直前まで不安だったのだが、いざ飛び上がってみると、旋回特性はシャープだし、加速感とエンジンサウンドのバランスもピッタリ。クルマも航空機も、軽量コンパクトが理想なんだよね。
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【編集部より】
木下アニキに聞きたいことを大募集いたします。
本コラムの内容に関することはもちろんですが、クルマ・モータースポーツ・カーライフ…等のクルマ情報全般で木下アニキに聞いてみたいことを大募集いたします。“ジミーブログ”にてみなさまのご意見、ご感想をコメント欄にご自由に書き込みください。