僕の記憶に深く刻まれている1台のクルマがある。
「ニスモ400R」
かつてニスモが製作発売した初のコンプリートカーがそれだ。
ベースはR33型スカイラインGT-R。内外装はもちろん、エンジンから足回りまで徹底したモディファイを施し、限定99台でリリースした希少作品である。
価格は1200万円。当時としては腰を抜かすほどの高価格だったのだが、それにも理由があって、ただ単に市販パーツを組み込んだだけではなく、オリジナルパーツを丁寧に開発。徹底したテスト走行を繰り返して仕上げた逸品なのだ。
ネーミングとなった400という数字は、最大出力を表す。
僕がこのクルマに忘れがたい記憶を持つ理由は、ほかでもない。この開発ドライバーをつとめていたからである。当時はニスモ契約ドライバーとしてレースを戦っており、開発ドライバーの地位をいただいた。やはり当時ニスモでレースカーエンジニアをしていた竹内君とともに、心血を注いで開発したのがこのクルマだったのだ。
そのクルマに、20年ぶりに出会った。
これも奇縁なのだが、現ニスモ契約ドライバーの松田次生君が極上の400Rを手にしたのだ。その一報を受けたGT-R専門誌「GT-Rマガジン」が、キノシタに試乗依頼をし、回想録の執筆にいたった。
天候が悪かったら試乗を延期してくださいね…というほど松田君が大切にしている400Rは、なるほど、当時の性能や味を忠実に残していた。過ぎ去った月日は決して短くはない。にもかかわず、すべてはまるで昨日の出来事であったかのように、蘇ってきたのだ。
パワーは刺激的である。2.8リッターまで排気量を増やしているから低回転トルクにも余裕がある。だが過給圧を高めているから、中回転域からドカンとパワーが炸裂する。足回りは決して優しくない。だが切れ味は抜群だ。とびきり刺激に満ち溢れているのだ。
現代の柔なスポーツカーに慣れている人には、その刺激に腰を抜かすことだろう。決して甘くはない硬派のクルマなのである。
そう、硬派のクルマ。僕はこのクルマの開発を引き受けるに際して、ニスモに対してひとつの提案をした。開発に携わるスタッフの数を最小限に留め、合議制での開発手法を排除してほしいと、だ。
平たくいえば、わがままに開発させろ、である。
大勢でよってたかって、ああでもないこうでもないといじくりまわしても、牙を抜かれ、個性が埋没し、ごく平凡なクルマに成り下がるだけである。そんなクルマをたくさん見てきた、という寂しさを目の当たりにしていたから、あるひとりのクルマ好きの個性にすべてをゆだねることで、超個性的なマシンに仕上げる必要があるのだと力説したのである。
かくして、木下隆之というクルマスキのレーシングドライバーと、竹内君というクルマスキのエンジニアの、わがままの結晶が形となったのである。
このクルマは、好き嫌いが大きく分かれるかもしれない。だが、これだけは言える。好きな人は心酔するほど惚れるだろうし、嫌いな人は見向きもしないであろうと。つまり、たった99人が惚れてくれればそれでいいのである。
そのひとりが、松田次生君だったことは、開発ドライバーとして光栄である。
はるちゃん…。
何歳からクルマ好きになったかって…?
気がついたらこのとおりでした(笑)。
記憶の糸をたぐってみると、小学校低学年になる。
その時すでに、クルマに興味を持っていたという自覚があるのだ。
父親のクルマに乗ってははしゃいでいたし、次々とすれ違うクルマの車種をあてたりして遊んでいた。
キャンプではない、平凡な休日でさえ、父親のクルマに毛布を持ち込んで宿泊していた。
日曜日は決まって、街道沿いの販売店巡りをしていた。カタログを山ほど集めていた。
ということから察すると、クルマに興味を持ったのは小学生…?
いや、生まれた瞬間…?
いや、僕のDNAに深く刻まれていたのだと思うよ。
【編集部より】
木下アニキに聞きたいことを大募集いたします。
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