レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム ~木下アニキの俺に聞け!~クルマ・スキ・トモニ

人とクルマの、ともすれば手の平から溢れてしまいそうな素敵な思いを、丁寧にすくい取りながら綴っていくつもりです。人とクルマは、いつまでも素敵な関係でありたい。そんなGAZOOが抱く熱く溢れる思いが伝わりますように…。
レーシングドライバー 木下隆之氏


96LAP 徹底的に硬派に…        (2013.5.14)

初めてのコンプリートカー開発!

R32型と比較してホイールベースが延長されたR33型GT-Rがベース。このアングルからの伸びやかなフォルムが際立つ。そのディメンションがもたらす安定性能が根底にあるから、攻撃的なセッティングが可能になった。 R32型と比較してホイールベースが延長されたR33型GT-Rがベース。このアングルからの伸びやかなフォルムが際立つ。そのディメンションがもたらす安定性能が根底にあるから、攻撃的なセッティングが可能になった。

超極上モノを手に入れた松田次生選手。根っからのR33党であり、この他にも数台のGT-Rを持つ。彼のものになった400Rは幸せだ。 超極上モノを手に入れた松田次生選手。根っからのR33党であり、この他にも数台のGT-Rを持つ。彼のものになった400Rは幸せだ。

僕の記憶に深く刻まれている1台のクルマがある。

「ニスモ400R」

かつてニスモが製作発売した初のコンプリートカーがそれだ。

ベースはR33型スカイラインGT-R。内外装はもちろん、エンジンから足回りまで徹底したモディファイを施し、限定99台でリリースした希少作品である。

価格は1200万円。当時としては腰を抜かすほどの高価格だったのだが、それにも理由があって、ただ単に市販パーツを組み込んだだけではなく、オリジナルパーツを丁寧に開発。徹底したテスト走行を繰り返して仕上げた逸品なのだ。

ネーミングとなった400という数字は、最大出力を表す。

僕がこのクルマに忘れがたい記憶を持つ理由は、ほかでもない。この開発ドライバーをつとめていたからである。当時はニスモ契約ドライバーとしてレースを戦っており、開発ドライバーの地位をいただいた。やはり当時ニスモでレースカーエンジニアをしていた竹内君とともに、心血を注いで開発したのがこのクルマだったのだ。

そのクルマに、20年ぶりに出会った。

これも奇縁なのだが、現ニスモ契約ドライバーの松田次生君が極上の400Rを手にしたのだ。その一報を受けたGT-R専門誌「GT-Rマガジン」が、キノシタに試乗依頼をし、回想録の執筆にいたった。

いまでも生き生きと…生きてくれていた

天候が悪かったら試乗を延期してくださいね…というほど松田君が大切にしている400Rは、なるほど、当時の性能や味を忠実に残していた。過ぎ去った月日は決して短くはない。にもかかわず、すべてはまるで昨日の出来事であったかのように、蘇ってきたのだ。

パワーは刺激的である。2.8リッターまで排気量を増やしているから低回転トルクにも余裕がある。だが過給圧を高めているから、中回転域からドカンとパワーが炸裂する。足回りは決して優しくない。だが切れ味は抜群だ。とびきり刺激に満ち溢れているのだ。

現代の柔なスポーツカーに慣れている人には、その刺激に腰を抜かすことだろう。決して甘くはない硬派のクルマなのである。

  • 熱処理だけではなく、ダウンフォースのことも考えながらボンネットまで細工されている。2.8リッターまでスケールアップされ、400馬力までパワーが高められた。だが、耐久性も保証付きだ。
    熱処理だけではなく、ダウンフォースのことも考えながらボンネットまで細工されている。2.8リッターまでスケールアップされ、400馬力までパワーが高められた。だが、耐久性も保証付きだ。
  • エアバックなし…というところが時代を感じさせるが、ステアリング、メーター類、シフトノブ…すべて400Rのために開発された逸品である。
    エアバックなし…というところが時代を感じさせるが、ステアリング、メーター類、シフトノブ…すべて400Rのために開発された逸品である。
  • さらに詳細なデータは、ダッシュボードに組み込まれたメーターから情報収集する。これも当時、話題になった手法だ。
    さらに詳細なデータは、ダッシュボードに組み込まれたメーターから情報収集する。これも当時、話題になった手法だ。

保守性打破のための意地の作品

そう、硬派のクルマ。僕はこのクルマの開発を引き受けるに際して、ニスモに対してひとつの提案をした。開発に携わるスタッフの数を最小限に留め、合議制での開発手法を排除してほしいと、だ。

平たくいえば、わがままに開発させろ、である。

大勢でよってたかって、ああでもないこうでもないといじくりまわしても、牙を抜かれ、個性が埋没し、ごく平凡なクルマに成り下がるだけである。そんなクルマをたくさん見てきた、という寂しさを目の当たりにしていたから、あるひとりのクルマ好きの個性にすべてをゆだねることで、超個性的なマシンに仕上げる必要があるのだと力説したのである。

R33好きな松田君とのGT-R談義は尽きることがなかった。彼はこの先永遠に、400Rを大切にしてくれるだろう。 R33好きな松田君とのGT-R談義は尽きることがなかった。彼はこの先永遠に、400Rを大切にしてくれるだろう。

かくして、木下隆之というクルマスキのレーシングドライバーと、竹内君というクルマスキのエンジニアの、わがままの結晶が形となったのである。

このクルマは、好き嫌いが大きく分かれるかもしれない。だが、これだけは言える。好きな人は心酔するほど惚れるだろうし、嫌いな人は見向きもしないであろうと。つまり、たった99人が惚れてくれればそれでいいのである。

そのひとりが、松田次生君だったことは、開発ドライバーとして光栄である。

木下アニキの俺に聞け 頂いたコメントは、すべて目を通しています!するどい質問もあって、キノシタも大満足です!言っちゃダメなことなど。オフレコで答えちゃいますよ!
ニックネーム「はるちゃん」さんからの質問
何歳頃から車が好きになりましたか。
なぜレーシングドライバーになろうと思いましたか。

はるちゃん…。
何歳からクルマ好きになったかって…?
気がついたらこのとおりでした(笑)。
記憶の糸をたぐってみると、小学校低学年になる。
その時すでに、クルマに興味を持っていたという自覚があるのだ。
父親のクルマに乗ってははしゃいでいたし、次々とすれ違うクルマの車種をあてたりして遊んでいた。
キャンプではない、平凡な休日でさえ、父親のクルマに毛布を持ち込んで宿泊していた。
日曜日は決まって、街道沿いの販売店巡りをしていた。カタログを山ほど集めていた。
ということから察すると、クルマに興味を持ったのは小学生…?

いや、生まれた瞬間…?

いや、僕のDNAに深く刻まれていたのだと思うよ。

キノシタの近況

 いよいよニュルブルクリンク24時間が始まる。すでにエントリーリストが発表された。興奮が高まってくるのがこの時期。キノシタが乗る86は「136」。「いさろー」「イッサンム」「イゾロク」…。必死に語呂合わせしても、気の利いた言い回しにはならなかったけれど、ともあれ、このゼッケンを栄光の記録とするために、頑張ろうという気持ちになる。淡々と攻撃的に…今年はこんなコンセプトで戦おうと思う。応援よろしく。

【編集部より】
木下アニキに聞きたいことを大募集いたします。
本コラムの内容に関することはもちろんですが、クルマ・モータースポーツ・カーライフ…等のクルマ情報全般で木下アニキに聞いてみたいことを大募集いたします。“ジミーブログ”にてみなさまのご意見、ご感想をコメント欄にご自由に書き込みください。