レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

216LAP2018.3.28

火を吐くスーパーシルエット

これまで数多くの過激なマシンに接してきたけれど、スーパーシルエットマシンほどあからさまに過激であり獰猛なマシンも少ないと木下隆之はいう。コンセプトは単純明快。「ばかっ速いツーリングカー」である。とてもじゃないけれど人間が操れるマシンなどではなかった。そんな1980年代の矜持に再び思いを寄せる。

実寸大プラモデルが走る

 僕をこの世界に導いたのは、スーパーシルエットのマシンを観たからだったのかもしれないと思うことがある。
 ド派手なボディはほとんど実寸大のプラモデルに思えたし、性能は桁外れで、化け物の方に凶暴に牙を剥いた。コーナー進入では、排気管はまるで火炎放射器のようになり、長い炎を引きずった。そんな過激なマシンが醸し出す異様な雰囲気が、サーキットの主役に昇り詰めたのである。まだ若かった僕がこんな派手なマシンに惹かれないはずはなく、スーパーシルエットマシンでレースをしてみたいと心躍らせたものだ。

星野一義さん操るシルビア。大きく張り出したオーバーフェンダー。太いタイヤ。恐ろしいパワー。コンセプトは単純で、ひたすら速さを追求した。

星野一義さん操るシルビア。大きく張り出したオーバーフェンダー。太いタイヤ。恐ろしいパワー。コンセプトは単純で、ひたすら速さを追求した。

セントラル20だから柳田春人さんだろう。今こそ絶版車となってしまったバイオレットだけど、かつてはサーキットを華やかに彩った。

セントラル20だから柳田春人さんだろう。今こそ絶版車となってしまったバイオレットだけど、かつてはサーキットを華やかに彩った。

時代を駆け抜けたグループ5時代

 スーパーシルエットレースは、1976年にFIAが定めたプロトタイプ選手権に源流がある。通称グループ5。スーパーシルエットが一方でシルエットフォーミュラーとも呼ばれていたのは、中身はフォーミュラーなのにシルエットはツーリグカーだからであろう。
 その後、グループCカーの流れは日本に伝播し、1983年には日産が3台のマシンを投入。スカイラインターボCと日産シルビアターボC、そしてブルーバードスーパーシルエットを走らせていた。ドライバーはそれぞれ長谷見昌弘さん、星野一義さん、そして柳田春人さんである。そこにプライベーターの長坂尚樹さんがBMW・M1を持ち込んでいた。

 日本はスーパーカーブームを迎えており、圧倒的な人気を誇った。車高はペッタンコ。まるで巨大なプレスで押しつぶされたかのようだった。かたやオーバーフェンダーは可能な限り張り出されていた。これ以上ワイドにしても、装着するタイヤがないだろうってレベルである。
 フロントスポイラーはほとんど人が乗れるのではないかというほど張り出し、リアウイングはタンスか神棚という派手さだ。子供がお絵かきの時間に描くような、典型的なレーシングカーの姿形をしていたのだ。
 実際にそれは、富士スピードウエイに夜な夜な集結した、竹槍出っ歯の暴走族時代のヒーローになる。昭和のひと時代を滑稽に彩ったチバラギ仕様はまさに、スーパーシルエットへのオマージュである。

凶暴で牙を剝く

 一方で、こいつで真剣にレースをしたら死ぬかもしれないとも思った。
 エンジンパワーは極端なドッカンターボだったから、さすがのトップドライバーもコントロールに手を焼く様子は側から見ていても確認できたし、安全を担保するものはほとんどなかった。それでいて、無理矢理パワーだけは絞り出していたから、最高速度は高かった。「これで何かあったら終わりだな」そんな恐怖を感じながらスーパーシルエットのレースを観戦したのである。

トミカスカイラインはまさにシルエットフォーミュラーの代名詞であり、圧倒的な人気を誇った。「スカイラインの長谷見」と呼ばれるようになったのはこの印象が強かったからだろう。

トミカスカイラインはまさにシルエットフォーミュラーの代名詞であり、圧倒的な人気を誇った。「スカイラインの長谷見」と呼ばれるようになったのはこの印象が強かったからだろう。

進化版のスカイラインである。改造はほぼ自由。するとこんな形になる。

進化版のスカイラインである。改造はほぼ自由。するとこんな形になる。

 コクピットを覗くと、そのチープな作り込みの様子がはっきりと確認できる。モノコックは市販車の防音材を剥ぎ取っただけであり、床からはニョッキリと市販車と同じシフトレバーが生えている。インパネは全てが剥がされ、アナログのメーターが無造作に組み付けてあるだけだ。
 印象的なのは、軽量化のために必要のないもの全てが取り除かれているからインパネ裏のパイプやら配線コード類がむき出しであり、今にも折れてしまいそうな華奢なステアリングシャフトが頼りない。これでレースをするのは危険だろうと誰をも想像させたのだ。

ブルーバードもシルエットフォーミュラーに改造された。フロントグリルとテールランプ以外に、それとわかる痕跡はない。ステッカーで必死にブルーバードであることを主張する。

ブルーバードもシルエットフォーミュラーに改造された。フロントグリルとテールランプ以外に、それとわかる痕跡はない。ステッカーで必死にブルーバードであることを主張する。

インパネはいたってシンプル。速く走るために必要のないものは潔く取り外される。パイプにくくりつけられたターボブースト圧計の大きさが、このマシンがトップドライバーも手を焼くドッカンターボであることを物語る。

インパネはいたってシンプル。速く走るために必要のないものは潔く取り外される。パイプにくくりつけられたターボブースト圧計の大きさが、このマシンがトップドライバーも手を焼くドッカンターボであることを物語る。

R382と歴代のスーパーシルエットスカイラインが並ぶ。このころはまだ富士スピードウエイは日産のフィールドだった。

R382と歴代のスーパーシルエットスカイラインが並ぶ。このころはまだ富士スピードウエイは日産のフィールドだった。

その稲妻カラーから「稲妻シルビア」と呼ばれ人気を博した。インパルを設立した星野一義さんが自らドライブ。

その稲妻カラーから「稲妻シルビア」と呼ばれ人気を博した。インパルを設立した星野一義さんが自らドライブ。

「スーパーシルエットへのオマージュ」

 さらにいえばこれ、SUPER GTやDTMの源流だとも思える。マシンのシルエットは街中で見かけることのあるツーリングカーの形をしていながら、作り込みはフォーミュラーに酷似しており、走行性能もフォーミュラー並みという点はSUPER GTマシンと精神で共通項がある。
 スカイラインターボCと日産シルビアターボCとブルーバードスーパーシルエットが、レクサスLC500と日産GT-RとホンダNSX-Rに置き換えられただけとも考えられるのだ。

「バトルなき熱狂」

 そしてスーパーシルエットは、レースとしては驚くほど激しくなかった。そう、激しいバトルが展開されるわけではなく、淡々とレースを消化していくだけ。前後に一列になって、パレードをしているだけなのだ。そもそも、参加マシンは日産の3台と、長坂尚樹さんがドライブするBMW・M1のたった4台である。それが縦に隊列を組んでパレードするのだから、そのレースを激しいとするのには無理がある。少なくとも僕の目にはそう映った。

 実はそれには理由がある。あまりに操縦性が怪しいから、限界ギリギリのバトルなど挑む気になれなかったのだ。
「レース前にくじ引きで順位を決めた」
 ドライバーがそんな約束をしていたと噂されるほど、レースは淡白だったのである。
 コース上を疾走するだけが精一杯で、とてもじゃないけれどバトルなど不可能だった。それほどのジャジャ馬であり化け物だったのだ。

トミカスカイラインはミニカーでナンバー1の売り上げを誇った。

トミカスカイラインはミニカーでナンバー1の売り上げを誇った。

 それでも圧倒的な人気を誇ったのは、マシンが単体で走行しているだけでも、体が震えるほどの迫力があったからである。低くワイドな爬虫類を連想させる異様なオーラを放ちながら加速する姿に興奮したのだ。
 加速は、不自然なほど鋭かった。コーナーはけして速くは思えないから、余計にその後の加速が圧倒的に思えた。
 ターボチャージャーは観客席にも金属質なタービン音を響かせたし、ブローオフバルブがブースト圧を抜く瞬間のピシューという音が印象的だった。レースはパレードでも刺激的だったのである。単独走行でも観客を魅了できるマシンなど、古今東西を見渡しても少ない。

 おそらく、最もミニカー映えするのはスーパーシルエットだろう。スーパーカーブームは同時にミニカーブームでもあったから、子供のハートにぴったりと寄り添うことができたのだ。
 特に、トミカのスポンサーロゴをまとった長谷見スカイラインは、圧倒的な人気を誇った。まさに時代の寵児であろう。
 単独走行でも観客を呼べる最後のマシンだったのかもしれない。

富士スピードウエイのヘアピンを疾走するバイオレット。

富士スピードウエイのヘアピンを疾走するバイオレット。

1983年に木下隆之がドライブしたニスモシルビア。スーパーシルエットの時代をすでに終えていたが、当時をイメージして稲妻カラーに仕上げられたGTマシンだ。

1983年に木下隆之がドライブしたニスモシルビア。スーパーシルエットの時代をすでに終えていたが、当時をイメージして稲妻カラーに仕上げられたGTマシンだ。

キノシタの近況

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 LEXUS AMAZING EXPERIENCEではまたまたトップドライバーに集まってもらった。お客様をエスコートするために最大のも手にしをしたつもりだけど、結局、いちばん喜んでいたのは我々だったような気がするよね。(笑)