306LAP2021.12.22
アスリートの引き際は美しく
2021年は、一時代を築いたビッグネームの引退が続いた。プロ野球西武ライオンズの松坂大輔や大相撲の横綱白鵬。体力面の衰えが引退を決意した理由。一方で、F1ではK・ライコネンが引退を発表。そして、中嶋一貴も引退を宣言。まだまだ一戦で活躍できる体力もスキルもありながら、自らの意思でフィールドを去るアスリートがいる。だが、プロサッカーリーグの三浦知良はいまだに現役にこだわる。引退ってなんなのだ?
引退の理由はスキルダウンにある
大相撲でひとり横綱を守ってきた白鵬が引退を決めた。現役終盤は怪我により休場が続いたものの、復帰した場所では活躍。最後の場所になった7月の名古屋場所で全勝優勝しているというのだから、実力的にはまだまだ一線で活躍はできる。体力的には引退する理由は何もないのである。
だが、相撲界の流儀にならえば、引退もいたしかたないだろう。というのは、横綱には横綱たる品格が求められる。表彰式での万歳三唱は相撲の伝統を汚したとされた。相撲内容も荒くなり張り手やかち上げなどは、勝利への執念だと擁護する意見も少なくはなかったが、古くからのしきたりを重んじると横綱には正々堂々と戦う姿勢が求められる。白鵬の引退は相撲のスキルが落ちたからなのではなく、横綱としての品格という使命感に押しつぶされたからなのではないかと想像する。
およそ日本の国技である相撲界には、門外漢の僕には想像できないしきたりや風習やマナーがあるのだろう。簡単に白鵬の心中を察するには抵抗があるが、おそらくそんなところだろうと思う。
松坂大輔の引退は衝撃的だった。マウンドを降りることが衝撃的だったのではなく、投手として最後のマウンドで体力の衰えを、もっと言えば「今の僕を見てもらいたい」と口にしながらマウンドに立ったことが衝撃的だったのだ。
高校生の時に最速155km/hのストレートを記録。甲子園の決勝でノーヒットノーランを達成した平成の怪物が、最後に投げたのは120km/hに届かぬボール球。「ストライクが取れないかもしれない」と言い残してマウンドに立つ勇気に鳥肌が立った。プロ野球はもとより大リーグで活躍した右腕は、僕らが想像するより痛んでいたのだ。
それでも笑顔でマウンドを降りた姿は感動を誘った。もし選手として絶頂の時に引退するのがスマートだとするのならば、松坂大輔の“最後”は痛々しい。とはいうものの、彼が築いてきた数々の功績が色褪せるものではないし、むしろ記録と記憶のなかに深く刻まれる“最後”だったように思う。そして同時に、また新たな輝かしい野球人としての人生が扉を開いたような気がする。
第二のライフプランのために
K・ライコネンの引退は、いかにも彼らしい。公式に発言した「家族との時間を持ちたかった」という理由。古い日本的な感覚では、そんな~なのだが、欧米のアスリートにとって家族は戦いの碑である。コロナ禍で自由に帰省できない環境は辛かったのだろう。
彼もまだ一線級で戦えるスキルがある。最後のF1シーズンとなった今年も、新進気鋭の若手チームメイトを予選で抑えることも頻繁だった。非力なマシンでありながら、決勝では鮮やかなパッシングシーンを演じている。オープニングラップで7台をゴボウ抜きした。バトルの読みはワールドチャンピオンを獲得したあの頃と変わらない。相手を抜くことがレースの本質であるのならば、彼はまだワールドチャンピオン級だと思える。
僕の勝手な想像は、「レースに飽きちゃったから辞めた」なのではないだろうか。かつてキミは、2007年にワールドチャンピオンを獲得した後、フェラーリの契約満了を待って引退。WRCに戦いの場を求めた。だが2012年には復帰。ふたたびフェラーリに加入するというのだから、最初の引退がスキルダウンでなかったことが明らかになる。だからこそ、いまでも走れるはずなのに、飽きたのではないかと想像するのである。
飽きたという言葉が適切でないのならば、気力の限界であろう。名横綱・千代の富士が引退式で口にした言葉、つまりこれ以上この過酷な世界で戦う気力の欠如であり、キミらしくライトに言うならば飽きたとなるのだ。彼にはまた、新たなハッピーな世界が待ち受けている。
絶頂で引く
中嶋一貴の引退も、スキルの点では早すぎる。まだまだ最前線で活躍ができる。実際に最後のレースになったSUPER FORMULAでは鬼神の走りを披露したばかり。だが、自ら心中期するところがあるに違いない。それは、彼が引退会見で口にした「後進の指導に当たる」である。
モータースポーツ界の寡占化は激しい。プロのシートはわずかであり、その黄金のシートがポッカリと開くことは稀だ。最速マシンは契約ドライバーにしかドライビングのチャンスがなく、つまり、ルーキーが最速マシンに乗るベテランを蹴落とすことは困難なのである。という事情もあり新陳代謝は少ない。だからこそ中嶋一貴は、引退することで後進にシートを明け渡した。
あるいはフロントに籍を置き、走り側から走らせる側に身を置く。将来を見据えたライフプランなのかもしれない。
好きだから続けていく…
キングカズこと、三浦知良が現役でい続けるのは異例だろう。日本のサッカー界を牽引したスーパースターは、高校卒業を待たずブラジルに留学。54歳になったいまでもJ1で活動しているというのだから腰を抜かしかける。国際Aマッチの日本代表最多得点記録を持ちながら、世界最高齢の得点記録を更新中だ。およそ40年、現役としてピッチを駆け回るなど類を見ない。
かつてのように先発で登場する機会はないが、チームにとって欠かせない存在であり、サッカー界にとって、いや国民にとっても憧れの存在である。
身体的な衰えがないとは思えないが、それでも現役という事実。井戸端的な発想で恐縮だが、収入的な不安があろうはずもなく、地位も名声も手にした。引退後もあらゆる可能性がある。チーム監督、タレント、解説者、起業…。成功が確約されているのにキングカズはピッチにこだわる。
僕の勝手な想像だが、サッカーが好きなんだろう。ボールを追いかけ回すことがたまらなく好きなのだろうと思う。だから辞めないのだ。いまだに辞める気のない僕は激しく同感する。
アスリートは異口同音に例外なく、そのスポーツが好きだからこそプロアスリートに駆け上がることができる。つまり、仕事と趣味が一致しているのだ。こんな幸せなことなどないだろう。だが、一方で、仕事を奪われるのは趣味を奪われると同意になる。これほど酷なことはない。
一旦はプロ契約になったものの、志半ばで引退勧告を受けるアスリートも少なくない。というより大半のプロスポーツ選手が、華やかな引退セレモニーはなくフィールドを去るのだ。仕事と趣味を同時に奪われた気持ち、心中察する。
この稿を締めるにあたって、何か結論めいた言葉を残さねばならないとも考えたが、つまらぬコメントは無用だと思えた。優れたアスリートの引退は寂しいが、与えた感動の分だけ美しい。
そして引き際を自分で決められるのも、活躍したアスリートだけの特権なのだ。
キノシタの近況
東京台場のMEGA WEBが閉館する。トヨタの情報発信基地のような趣でありTOYOTA GAZOO Racing参戦発表会やファン感謝デーで、デモンストレーションランなどで、これまで何度も足を運んだ場所だ。僕がニュルブルクリンクを戦ったマシンも展示されている。閉館は寂しいね。