359LAP2024.03.06
「砂漠の中の水素」
次世代の主力燃料として注目されている水素が、モータースポーツを実験開発の場として活躍し始めています。今回ダカールラリーを走った「HySE-X1」もそのひとつです。混沌としたエネルギー論を深く知る木下隆之が、挑戦の意義を語ります。
次世代の燃料は…
100年に一度の変革期と言われている自動車は、さまざまなイノベーションが渦巻いています。動力源が内燃機関だけではなく、電気モーターの台頭も目覚ましい。自動運転の時代も急速に迫っているようです。もはや自動車はガソリンをドバドバと注いで走らせる時代ではなく、ハンドルを握る時代でもない。もっと言うなら、地上を走ることも少なくなるかもしれません。自動車はどこまで変化してしまうのか、ワクワクします。
ですが、イノベーションは駆け足で進んでいるとはいうものの、メディアが騒ぐほど歩みは速くはないような気もしています。すぐにでも内燃機関を駆逐してしまいそうな報道が多いようですが、実際にEVの普及は亀の歩みのようです。脱内燃機関を宣言した先進国も、振りかぶった刀を鞘に収めつつあります。
世間は米国テスラや中国BYDと比較して、トヨタの電動化の遅れを糾弾するような姿勢を見せました。EVの品揃えを急がず、内燃機関の可能性を追求するトヨタを保守的なメーカーとしてレッテルを貼りました。ですが、最近はそのトーンを抑えています。
そもそもハイブリッドのパイオニアであるトヨタは、世界でもっとも早く電動化に舵を切ったメーカーであり、電気モーターには並々ならぬ知見があります。EVを否定してはいない。内燃機関の可能性も捨てていない。全方位的な施策が正解であることは明白ですね。
内燃機関の延命に欠かせない
その象徴が「水素エンジン」だと思います。
すでにトヨタは、GRカローラやGRヤリスの内燃機関に水素をチャージし、レースにも参戦しています。あくまで仮定の話ですが、もしガソリンエンジンが淘汰されEVにシフトするとしても、それまでの過渡期を支える燃料のひとつが水素ではないかと思われます。
ちなみに、水素を燃料とするパワーユニットは、二つに大別されます。トヨタMIRAIのような、搭載する水素と大気中の酸素を化学反応させて電気を生み出すモデル。もうひとつは、ガソリンに代えて水素を内燃機関のシリンダーに注ぎ込むスタイルです。
注目されるのが後者。燃料電池車とは異なり、これまでの内燃機関の技術が流用できる点で現実的なのです。
ピストン運動なので潤滑油が必要ですから、CO2排出量がゼロではありませんが、ほとんど無害と言っていいでしょう。水素の精製にもCO2が発生しますが、走行中には排気ガスを排出しません。現状で考えられる究極の環境車のような気がしますね。
水素エンジン車が砂漠を走りました
そんな水素エンジン車が、2024年のダカールラリーを走りました。競技は、砂漠の中を数日間かけて走破するという過酷なものです。まだ信頼性などが確認できていない水素エンジンカーでエントリーするのは、無謀のような気がします。荒涼とした砂漠でストップするのは、命の危険さえも迫っています。レスキュー隊がすぐに駆けつけることもなさそうです。サポート体制にも不安が残ります。ですが、無事に完走したことは高く評価されるべきでしょうね。
現地では、こんな賛辞が贈られたそうです。
水素エンジンバギーでダカールに挑戦した皆さまへ
“People who are crazy enough to think that they can change the world”
(自分達で世界を変えられると思うほどクレイジーなやつら)という褒め言葉が主催者から皆さんに贈られたと聞きました。
栄誉あるクレイジーですね。
タイヤはトーヨータイヤのオープンカントリーです
参戦クラスは「ミッション1000」です。近未来のモビリティの創造が込められています。
水素エンジンカーはタイヤが剥き出しのバギータイプです。「HySE-X1」がマシンの正式名称です。
このプロジェクトは1メーカーの施策ではなく、本田技研工業、川崎重工業、カワサキモータース、スズキ、トヨタ自動車、ヤマハ発動機が参画する、技術研究組合 水素小型モビリティ・エンジン研究組合(HySE)のプロジェクトです。
タイヤはトーヨータイヤがサポートしました。悪路走行性能や耐久性で評価が高い「オープンカントリー」が足元を支えました。ステージのほとんどは砂漠です。常に足元がすくわれそうな過酷な路面では、高性能なタイヤが不可欠です。そのためにトーヨータイヤが選ばれたのでしょう。
高速走行を強いられながらも、岩場を走ることも少なくないようです。タイヤを切り裂かんばかりの鋭利な突起もあるようですから、タイヤの果たす役割は無視できません。
エンジンはカワサキのバイク用直列4気筒998cc水冷4ストロークスーパーチャージャーエンジンが採用されました。このパワーユニットに、ホンダ、カワサキ、スズキ、ヤマハの4社が改造、適合を行い、ガソリンではなく水素を注ぐことでパワーを引き出しているのです。
パイプフレームのシャシーは軽量ですが、耐久力のある水素タンクを抱えるなどで、車両重量は約1300kgです。ちなみに水素の比重は、空気1に対して0.07です。あらゆる気体の中でもっとも軽いので、満充填しても重くなりません。
高回転化が得意であり、高出力でも定評のあるカワサキのエンジンをベースに日本の誇る二輪メーカーのエンジニアたちが改造したわけですから、出力に不満があろうはずがありません。実際にステアリングを握ったアメリカ出身のJ.キャンベルによると、9000rpmを超えるとサウンドが快感になると語っていました。電気モーターでは臨むべくもない味わいです。
「ミッション1000」クラスは、環境を意識した次世代モデルに限定したクラスですから、速ければいいという他のクラスとは異なり、ステージごとの完走率と基準タイムとの差で得られるポイントを競うものです。未完成の技術であることから、走り切ることでまず評価が得られるわけです。
そんなクラスで「HySE-X1」は、クラス4位に輝きました。技術的なトラブルもほとんどなかったと聞きますし、歩くこともままならない砂漠でも、タイヤがグリップを失うことはなかったようです。HySEの水素エンジンだけではなく、トーヨータイヤのオープンカントリーも完走を支えたのです。
ともあれ、世界的に電動化に舵を切りつつある現在において、近未来のエネルギーとして水素が有効であることを実感させられます。
砂漠の中を突き進む「HySE-X1」の勇姿がそれを物語っているように思えます。
キノシタの近況
今年はニュルブルクリンクのシリーズ戦全戦に挑戦することにしました。日本人初の挑戦です。マシンはGRスープラGT4。そのプロジェクトを有意義なものにするために、クラウドファンディングで、生活費等の支援を募ることにしました。ぜひ心温まるご支援をよろしくお願いします。