レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

195LAP

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「今年はタイチームでニュル24時間レースに参戦!(その1)」

2017.5.9

木下コラム195LAPイメージ写真
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「新たな挑戦が始まる……。」

 4月20日、期待と不安を胸に、今年初めてとなるANAフランクフルト便に乗った。ともにニュルブルクリンク24時間レースを戦う「TOYOTA GAZOO Racing Team Thailand」と初対面を迎えるため、睡眠の浅い機上を過ごしていたのだ。そして、その週末は24時間レースに参戦するチームが事前に集う「24時間QF6時間レース」が控えていた。
 機内へ持ち込んだバッグに、「一夜漬け タイ語」があった。「ぶっつけ本番でも、話せる、通じる」というサブタイトルに目が止まって購入した。彼らに合流するまでには、簡単な挨拶だけでなく、自己紹介くらいはこなせるように仕込んでおこうと思ったからである。
 外国籍の人達と心をひとつにするためには、彼らの言語で話すことが大切だ。これは僕がこれまで多くの外国チームとレースをしてきた経験から学んだ手法なのだ。
 英国ヤンスピードでBTCCマシンを走らせた時にも、そのチームとともにスパ・フランコルシャン24時間やニュルブルクリンク24時間を戦った時も、オランダのラマティンクとGTシリーズに参戦した時もそうだった。ドイツホンダと共にニュルブルクリンク24時間を戦った3年間も、現地の言葉で会話するのが基本だと思っている。にわか仕込みでペラペラになるはずもない。とはいえ、朝の挨拶くらいは話せなければ受け入れてもらえないからだ。だから今回も、タイ語を必死に習得しようと試みたのだ。

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 だが、これが意外に難しい。タイ語の表記は、アラビア語に似たミミズが這うような文字だから、判読は100%不能。どんなに独力したって読める気がしない。だが、せめて発音だけでもと思ったのだが、それも決して簡単ではない。
 持ち込んだテキストは初級編だから、丁寧にカタカナで発音が記されている。だというのに、カタカナですら表現しづらい発音なのだ。
「おはよう=サワッディ」
「ありがとう=コープクン」
 カタカナを鵜呑みにすれば簡単に通じそうなのだが、実は日本語の発音には馴染みのない、鼻の奥を鳴らすような音を語尾につけ加えなければならないし、無声音を挟むのが正式だという。
 無理やり、カタカナに当てはめれば「サワッディ」ではなく「サワッディ(カン)」のようだし、「コープンクン」ではなく、「コップン(クン)」なのだ。4種類の声調があるというから、正式にはイントネーションにも気を配る必要がありそうなのだ。
「初めまして、私は木下隆之です」に挑もうとすると「インディー・ティー・ダイ・ルーチャック・ボム・ティチャン・チュー・タカユキ・キノシタ」となるのである。羽田空港からフランクフルト空港までの11時間のフライト時間を費やしても到底そこまでは到達しないのだろうと、入門書をペラペラっとめくっただけで諦めた。

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「タイの人たちとはウマが合いそうだ」

 かくしてニュルブルクリンク近郊に予約してくれていたホテルで荷物を解いた。そこでメンバーとご対面。実は、既にチームオーナーやマネージャーとは契約締結のやり取りをしていたから面識があった。日本のスーパーGTにも参戦しているから、2名のドライバーとは挨拶を交わしてはいた。だが、こうしてドライバー8名と数名のメカニックと、そしてロジスティックからサポートをしてくれるメンバーが揃うと壮観である。
 そう、我がチームはタイで発売されているトヨタ・アルティスをベースにチューニングした、2台のSP3マシンで戦う。だからドライバーは、日本人の僕をひとり加えて8名である。そして、僕以外はタイ人なのである。だからタイ語が飛び交う。
 仏教式に両手を合わせて顔の前で拝むようにして頭を下げた。そして挑んだ。
「インディー・ティー・ダイ・ルーチャック・ボム・ティチャン・チュー・タカユキ・キノシタ」
 ……全く通じなかった(汗)

 もっとも、雰囲気はいたって穏やかである。日本からやってきた新参者を警戒するような目線は感じなかった。とても心優しい親日家だという。
「いつも笑顔ですよ」
 すでにタイチームと交流がある井口卓人のアドバイスだ。なるほど、「微笑みの国というだけに、表情は常に穏やかだった。
 ちなみに、タイの人たちは人前で怒鳴ることを嫌う民族だという。上下関係にも厳しく、高いスキルを持った人へのリスペクトが強いともいう。人前で侃侃諤諤やりあうことはまずないとのことだった。実際に彼らと合流すると、噂通りのタイ流の穏やかな雰囲気に歓待され、ホッとした。

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 チームの常宿は、サーキット近郊のリゾート風コテージだった。近代的なホテルではなく、ウッドの壁をあしらった小屋のように建屋で、立派なリビングには暖炉があり、フルキッチンも備え付けられていた。
 牛や馬が草を食むような、のどかな丘陵地帯にコテージはある。敷地内には二十数棟のコテージが並んでいる。4部屋の小部屋とバスタブが常備されている。ビジネスのための宿泊施設というより、家族が数ヶ月のリゾートライフを過ごすための施設なのだ。庭先には、子供達が駆け回って遊べるような遊具も充実している。この施設の7棟ほどを借り切っていた。その一棟の中の小部屋ひとつが僕に割り当てられた。
「サーキット前の別のホテルを予約しましたよ。その方が休まるでしょう」
 実は、日本人である僕は特別に、近代的なホテルを選択することもできた。慣れぬタイ人と合同では気疲れするだろうというチームオーナーの気遣いである。
「いえ、できればみんなと一緒に宿泊したいのです」
 だが僕は、あえてコテージを希望した。
 サーキット走行を離れれば、ひとりで食事をしてひとりで休み、指定された時間にまたバドックで合流すればそれは楽かもしれない。業務を淡々と遂行するにはそれがいい。身体と気持ちを休ませられる。
 だが、それでは僕がチームタイランドと戦うことにならない。一つ屋根の下に、同じ釜の飯をたべてこそ,僕がニュルブルクリンク24時間を戦うことなのだと思っているからだ。レースで勝って泣いて、負けて泣くには、僕がチームタイランドのひとりになる必要がある。

 2008年のこと、豊田章男社長がニュルブルクリンク24時間レースに参戦した時のことが頭に蘇った。
 氏は、装備品チェックの長い列に黙って並んでいた。ヘルメットやレーシングスーツが規格に合致しているかを検査するためだ。それは正直言って、面倒な作業だった。できれば、誰かに代行してもらいたい。そんな装備品チェックの列に、あれほどの偉い人が並んでいたのである。
「社長、まだまだ時間がかかりますよ。どなたかに代行してもらったらいかがですか!?
 僕がそう言うと氏はこう言った。
「いや、こうして並ばないとニュルを戦ったことにはならないから……」
 そう言って、僕を驚かせたのである。
 それがTOYOTA GAZOO Racingの精神である。お客様気分でおいしいところだけをつまみ食いするだけでは、参戦する意義が薄い。観光気分では参戦したことにはならない。参加者がすることを同じ目線で体験することが、TOYOTA GAZOO Racingの考え方なのだ。僕はその頃のことを思い出しながら、あえてチームタイランドの宿泊を選んだ。

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「タイのメンバーと合宿しながら、レース参戦」

 チームタイランドは、合宿スタイルだった。各自個室が割り当てられている。だが、食事はリビングで共同である。タイから2名のタイ料理専門のシェフが帯同しており、彼らが朝晩で腕をふるう。
 それは、ドイツでは手に入らない食材や香辛料だけでなく、唐辛子や生ニンニクを砕くためのすりこぎ棒と石鉢を持参すると言う本格派である。
「やっぱり自国の食事じゃないと元気が出ないからね」
「みんなで食べるのは楽しいですね」
「キノシタさんは辛いものは好きですか!?」
「大好きですよ。日本でも月に一度ほどはタイ料理レストランに行きます」
「それは良かった。僕は辛いのは苦手なんですけどね」
 チームオーナーはそう言って笑った。

 雰囲気は合宿スタイルである。だが、体育会のような厳しさも、日本流出張のような堅苦しさもない。翌日のスケジュールが告げられるだけで、各自がそれぞれ自由に過ごすのだから居心地がいい。
 朝、挽肉とバジルを炒めたガパオの香りが敷地のどこから漂ってくる。すると、眠い目をこすりながら、メンバーがダラダラとリビングにやってくる。そしておもむろに冷蔵庫の扉を開けて、ミルクやらコーラやらにゴクゴクと喉を鳴らす。
 早朝からランニングをしてきたメンバーもいた。額に汗を浮かべ、トレーナーに汗染みを作りながら、卵焼きを頬張っていた。
 メニューは本格的な家庭料理といった趣だ。炊いた米とトーストが皿に山盛りであり、目玉焼きやタイ風卵焼きが並んでいる。朝からトムヤムクンもボールに波々だし、鶏肉を茹でて刻んだカオマンガイも選べる。タイ料理には違いないが、日本人の舌にも馴染む味だ。
 汚した皿をそれぞれがシンクで洗って棚に戻していた。スポーツチームの合宿か、大学寮のような雰囲気なのである。

 いつしか僕も、図々しくなっていった。
「ニンニクを強くしてくださいな」
「今晩の料理は何なの?ガパオライスがいいなぁ」
 寮母さんに甘えるようになっていったのだ。それほど居心地がいいということだ。

 チームは基本的に、堅苦しい朝礼もなければ、退屈なミーティングもない。走行の手順だとかスケジュールなどは、LINEで組んだグループで伝えられる。各自がそれを自己判断して行動すればいい。
 各自に撮影した写真も、次々とLINEにアップされる。
 もし、コース上の与えられたパートだけ優れた走りをするのがプロドライバーのこなすべき役割だとするのなら、このチームにはプロフェッショナル感はない。だが、8人のドライバーが2台のマシンを走らせ、力を合わせて24時間後のゴールを目指すというのなら、こうした寝食を共にする合宿スタイルにもいいところがある。タイ語がまったく話せない僕ですら、わずかな時間で気持ちが通じ合って行くのがわかった。

 こうして僕は2017年のニュルブルクリンク24時間を戦うメンバーと、気持ちがひとつになっていくのだろうと心が踊った。
 初走行の朝、バドックに設えられた豪華なラウンジに行くと、LINEに着信メッセージが届いた。
「You will drive at 10:30. OK!?」
 あとは信頼を得るために、僕は正しい走りをするだけだった。

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キノシタの近況

キノシタの近況 キノシタの近況

 ニュルで仲間のチームタイランドは、日本のスーパーGTにも挑戦している。慣れない日本のサーキットに苦戦しているけれど、孤軍奮闘。アウェーでの苦労がわかるだけに、感情移入してしまうのだ。ヘッドセットなんかして、応援してます!

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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