レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

319LAP2022.7.6

魂の作品を撮影するために・・・

漆黒のサーキット。ドライバーを危険から遠ざけるコースオフエリアはミニマムだ。スピンアウトはすなわち、大惨事を意味する。命をかけて挑むニュルブルクリンク戦士。ドライバーは命知らずと例えられる。だが、危険を顧みずにサーキットに挑むのはドライバーだけではない。メディアカメラマンもまた、危険を背負いながら決定的なシャッターチャンスに挑む。ニュルブルクリンクを隅々まで知り尽くした木下隆之が、カメラマンの勇気を讃える。

写欲が抑えられない

世界一過激とされるニュルブルクリンク。難攻不落のノルドシュライフェ(旧コース)は「グリーンヘル」の異名をとる。一周5kmのグランプリコースと、20.8kmのノルドシュライフェを連結させたコースで開催されるニュルブル クリンク24時間は、まさに危険との戦いだ。
特にノルドシュライフェは過激である。路面は荒れ、ジャンプスポットも少なくない。コース幅は狭い。なおかつコースオフエリアも狭い。一瞬の挙動の乱れがガードレールの餌食になる。ともすれば、ガードレールを突き破り、大木が茂る森や藪に転げ落ちることになるのだ。だが、ドライバーはそんな恐怖に打ち勝ち、スロットルペダルを床まで踏み込む。ニュルブルクリンクの勝者が勇者と称えられるのはそれが理由だ。
だがその傍らで、メディアカメラマンも命をかけてファインダーを覗き込む。レースでの決定的な瞬間を捉えるために、カメラマンも危険を覚悟でレースに挑んでいるのだ。その裏側に、興奮のカットが潜んでいることを知っているからなのだろう。

ニュルブルクリンクのコースオフエリアは狭い。わずかばかりの芝生があるだけで、森や林と隔てているのは、頼りないガードレールだけの場所も少なくない。そんなスリリングな場所でカメラマンはカメラを構える。
しかもニュルブルクリンク旧コースのガードレールは、想像を超えるほど華奢だ。F1格式のグランプリコースのように、何枚ものタイヤバリアで囲われるようなコーナーはない。一枚の薄い鉄板が囲っているだけであり、大人の腰の高さほどしかない箇所がほとんどなのだ。路地裏で車道と歩道を隔てるガードレールほどの薄い保護板である。
だから、姿勢を乱してコースオフするマシンが、その頼りないガードレールを突き破ることも少なくない。2022年の今年も、数台のマシンがガードレールを突き破っている。つまり、時にはカメラマンを巻き添えにする可能性も否定できない。だがカメラマンは、そこでシャッターを切るのだ。

2022年の今年、僕はニュルブルクリンク24時間に挑戦した。新たにドイツの名門、シューベルトモータースポーツからの参戦だった。帰国するとすぐに、チーム契約のオフィシャルカメラマンからの写真が届いた。2人のカメラマンに撮影を依頼していた。24時間を通じての数々のデジタル画像が送られてきたのである。
その一枚一枚に目を通しているうちに、僕の心臓はドキドキと鼓動を早めた。記憶が数ヶ月前に遡り、今まさにコースに挑んでいるかのように、生々しく情景が蘇ってきたのだ。動きのないスチール写真なのに、いや、動きがないからこそ写真は雄弁に物語を紡ぐ。リアル映像では得られない興奮を掻き立てた。

スリリングの先に刺激がある

「一番危険な場所から撮影するのが、一番いい写真になるんだよね」
かつて著名なモータースポーツカメラマンが、そう言って僕を驚かせたことがある。
ドライバーがマシンコントロールを誤り、飛び込んでくるかもしれないその着地点で撮影する。それが刺激的な作品になるというのだ。
その言葉が蘇ってきた。ドイツ人のオフィシャルカメラマンの数々の写真の中には、とても危険な場所から撮影していることが想像できるカットが少なくない。薄く頼りないガードレールから身を乗り出してシャッターを押したに違いない写真がある。あるいは、一歩間違えれば、マシンがカメラマンごと薙ぎ倒していくであろう場所でカメラを構えるカメラマンも写っている。彼らも命懸けなのである。
トヨタガズーレーシングが参戦するWRCの映像を見てもそれは明らかだ。200km/hオーバーで横跳びするマシンが掠めるノーズの至近距離で撮影することもあるほどだ。

ただし、無謀な撮影ではない。プロ中のプロだからこそ、身の安全を守る術を知っている。主催者も危険を遠ざけるような安全への配慮を怠らない。安全にこしたことはないのである。

さらに言うならば、ノルドシュライフェは森の中である。一周20.8kmを取り囲む森は、主催者が観戦用に開拓したキャンプエリアがありながら、伐採の手の届かないエリアもある。おそらくカメラマンは緑深い森の中を分け入り、藪をかき分け、土手を登り、足を滑らすことも覚悟しながら歩み寄ったコースサイドから撮影したであろう写真もある。撮影のためにお膳立てされたカメラマンスタンドではなく、未踏のカメラマンエリアである。
月明かりさえ怪しい闇夜に、重たい撮影機材を抱えて這いながら撮影ポイントを目指すカメラマンを想像すると鳥肌が立つ。

誰よりも熟知している

今年で26回目の出場になった僕には、日本人の誰よりもコースを知り尽くしているという自負がある。路面ミューの僅かな違い。段差の大小。ひとたび雨が降れば、コース上に川ができる。その川の水深や流れ。それらを誰よりも熟知しているとの自信がある。

ニュルブルクリンク詣を欠かさないカメラマンにも、誰よりもニュルブルクリンクを熟知しているという自負があるはずだ。藪を分け入った先に広がる、誰も知らない決定的な撮影スポットを自分だけが知っている。それも快感であろう。僕が誰も知らないベストラインを知っているように、だ。

カメラマンの作品は物語である。どのような気持ちでこの撮影に挑んだのかを想像すると、カメラマンの人格が浮かび上がってくるから不思議だ。
どんな気持ちでここまで足を運んだのであろうか。一周25km。僕のラップタイムで9分20秒、闇夜の中、9分20秒後の訪れをどんな気持ちで待っていたのだろうか。9分20秒間をカウントしていたのだろうか。睡眠はとったのだろうか。食事は…?
彼にも家族がいるのだろうか。子供は、女の子なのかな? けして自らは写真に写ることのないカメラマンの姿が、空想の中で輪郭を伴ってくる。

ドイツはオウンリスクの国である。自分の身は自分で守る。自己責任の意識が強いと聞く。けして完全防備ではないフェンスの脇でも、カメラマンの撮影が許されている。それが証拠に、カメラマンの脇にはオフィシャルが控えるポストがある。かつてはレース中のコース横断も許されていたというから腰を抜かしかけたこともある。安全が100%担保されているとは僕には思えないが、それでもコースオフエリアでの撮影がいつものように行われているのである。
だからこそ、ニュルブルクリンクはドライバーにとって刺激的であり、カメラマンにとっても憧れなのだ。

この僕がニュルブルクリンクの刺激が忘れられずに齢62にしてまだ彼の地に挑んでいるように、ニュルブルクリンクに魅せられたカメラマンも少なくない。危険に臆することなく限界に挑み、胸の空くような走りを成功させた瞬間の快感が忘れられないからだ。おそらくニュルブルクリンクに魅せられたカメラマンも同様に、刺激的な写真をとらえた瞬間の快感が忘れられないのであろう。

瞬間的な安堵の表情は、チームスタッフとの信頼関係があってこそだ。

写真 alexandertrienitz
frozenspeed

キノシタの近況

M2CSレーシングで参戦する友人を応援するため、灼熱のモビリティリゾートもてぎに行ってきた。もちろん猛暑日で酷暑です。なので、スターティンググリッドで健闘を祈ってすぐに、そそくさとタワー3階に避難。冷房の効いた部屋からの観戦は最高です。

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