レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

385LAP2025.04.09

「一人で走り抜いた漢、アイアンマン」

過酷な大地を駆け抜ける孤高の戦士。ひとり、砂漠に挑み、誰よりも速く、誰よりも遠くへ。能戸知徳という男は、まるで静かなる哲学者のような佇まいを持ちながら、鉄の意志を貫く究極の挑戦者だった。2024年、彼は「BAJA1000」の歴史に名を刻み、日本人初のアイアンマンとして表彰される。その姿に、人は畏敬の念を抱かずにはいられない――。

一人の青年が手にしたもの

僕が能戸知徳選手と会ったのは、2023年のことだったと思う。僕はこの年、トーヨータイヤとドライバー契約を結んだ。ニュルブルクリンクに参戦するかたわら、様々なイベントにゲスト出演していたのだ。その中の一つのイベントで、彼と一緒になった。
彼は初対面だというのに、その柔和な表情をさらに優しく緩めて、僕に丁寧に挨拶をしてくれた。
第一印象はとてもいい。幼少の頃からおそらくクラスの人気者であり、男子生徒にもことさら女子生徒にも信頼されてきたに違いない。そんな笑顔が印象的だった。

彼はすでに、トーヨータイヤのタイヤを履いて活躍していた。だから筋を通すならば、新人の僕が真っ先に歩み寄って名を告げなければならないのだが、僕はすでに齢63になっていたわけだから、新人というには多分に(とう)が立っていた。その辺りを優先して、彼がはじめに名乗ってくれたのだろう。
その物腰の柔らかさと、相手を慮る優しさを、いまでも鮮やかに記憶している。

実はその時、すでに彼が過酷なデザートラリーで活躍していることは知っていた。ただ、対面するや否や、僕の記憶違いかとたじろいだ。写真をご覧になった方のほとんどが感じるであろう、能戸知徳選手はおよそタフなラリーを戦い抜くようなタイプに見えなかったからなのだ。
あえて言うならば、一人静かに図書館で歴史書を読み耽っているかのような、あるいは草木を愛でる植物園のキュレーターのような雰囲気を湛えている。泥まみれになってダートを駆け抜けるよりも、研究室にこもって三角フラスコやシャーレに液体を注いでいる方が似合うような穏やかさなのである。
過酷な砂漠ラリーを戦うラリーストなのだから、筋骨隆々の屈強な巨漢をイメージしていた。だから2024年に彼が、子供の頃からの憧れだった「BAJA1000」で優勝し、そればかりか「日本人初のアイアンマン」として表彰されたと聞いて腰を抜かしかけたのである。

過激なニュルブルクリンク

僕がニュルブルクリンク24時間に初挑戦したのは1990年だった。日産自動車の特殊車両開発部、通称追浜ワークスが走らせるスカイラインGT-Rをドライブしたのが、ことの始まりである。
ニュルブルクリンクは、ドイツのアイフェル地方の丘に這うようにしてレイアウトされている。高低差300m、平均時速は約200km/hに達する高速コースであり、ほとんどのコーナーがブラインドである。左右の壁が切り立っていることで先の見切りが悪い。しかも丘に大蛇がへばりついているかのように、コースは上下にうねっている。4輪が離陸するジャンプスポットも少なくない。一気に下って一気に登ったかと思えば、峰を渡るように激しい上下動が繰り返される。
ドライバーの体力を蝕むばかりか、マシンをも破壊する。カーブレイクレースとの異名も、けして大袈裟ではない。マシンにとってもドライバーにとっても、尋常ならざる過激なコースなのである。

このような戦いを僕は、かれこれ35年、2025年の今年になっても続けている。すでに年齢は64歳になっていた。
それゆえに僕はこれまで、何度も多くの方から異口同音にこう言われ続けている。
「あのコースで24時間レースって、体力的にキツくないですか?」
その言葉には賛辞も含まれていると信じたいが、確かに激しい上下動に見舞われるニュルブルクリンクを攻め続けることが楽であるはずもない。だが、そうは言ってもサーキットであるから、コーナーとコーナー間は休むことができる。レース経験を重ねてくると、手の抜き方というか、体力を温存する術を身につけたようで、むしろレースが楽になったように感じている。

「夜、見えるんですか?」
確かにニュルブルクリンクのコースは木々に囲まれており、ほとんど照明がない。自車のライトが唯一の光源である。それを頼りにひたすら攻め続けるのだから、夜間の視力が重要には違いない。動体視力の衰えもそろそろ始まる年齢でもある。

「暗視スコープでもつけてるのではないか?」
夜間の戦闘や、防犯や鳥獣監視などに使用されるナイトスコープのことだ。過分な賛辞だが、確かにこの年齢になっても見えている。夜も見えている。
先に引退した先輩ドライバーの体験によるとこうだ。
「見えなくなったら怖くなる。まだ走りたいと希望している限り見えている証拠だよ」
どうやらそうらしいのだが、つまり、僕の体力と視力を多くの人が感心してくれるのである。

ソロドライブ

ただし、これまではそんな褒め言葉が心地良かったけれど、能戸知徳選手が達成したその偉業を目の当たりにすると、ニュルブルクリンク24時間35年挑戦など、軽いものだと感じてしまう。
「アイアンマン」
和訳するならば「鉄のような男」である。
BAJA1000キロのアイアンマンは、全工程をソロドライブした男だけが得られる称号だ。一般的にはナビゲーターと交代で休憩しながら走破するらしいのだが、それを一人で完結したドライバーのみに与えられるものなのである。

BAJA1000のその名は、1,000マイルであることを語っている。とはいうものの、2023年は1,300マイル(2,090km)で戦われた。制限時間は36時間。
「平均時速35マイル(56km/h)で走り切れば25時間でゴールできる計算です」
能戸知徳選手はそう言って笑う。25時間だから余裕でしょ、とでも言いた気なその表情が、むしろ凄みに感じられた。

当然給油も必要だろうし、マシンリペアのための時間もある。だから1,300マイルをずっとアクセル全開で走り続けているのではないだろうが、そうは言ってもこのラリーが易しいことを肯定する材料にはならない。
そもそも25時間連続ドライビングは、尋常ならざる世界である。距離にして1,300マイル以上。大雑把な計算をするならば、東京―福岡を休みなしで突っ走り、福岡で給油とタイヤ交換を済ませて、ふたたび東京までアクセル全開で走り続けるようなものである。
しかも、東名高速から山陽道に乗り継いで…などという甘い環境ではない。足元をすくわんばかりの砂漠である。ルートミスもザラだという。道すらなく、向かうべき方角すら見失うこともある。マシンは激しくジャンプする。横転したマシンが残骸となって砂漠に捨てられている。東京-福岡往復が砂漠だったら…想像するだけで身の毛がよだつ。

ニュルブルクリンク24時間でも、体はボロボロだ。かつて若いドライバーとコンビを組んで挑戦したとき、その後輩ドライバーの人相が一夜にして変化してしまったことを思い出す。
眼球がくぼみ、頬はこそげ落ち、肌はシワだらけになった。全身の水分を失い老けたようになり、それはまるでミイラのようになった。人間は一夜にしてこれほど変化してしまうのだと驚いた記憶がある。

とはいえニュルブルクリンクは、3名から4名のドライバーが襷をつなぐ。110リッターのガソリンが空になったらピットイン、給油をしてまた空になるまで走る。給油のたびにドライバー交代をする。つまり、約1時間15分走行したのちに3時間の休憩があり、ふたたび1時間15分の走行に挑む。それを約5回繰り返すのである。
こうして計算をしていると、ニュルブルクリンク24時間もなかなか過酷ではあるよなとは感じるものの、BAJA1000のアイアンマンと較べれば、易しいと思う。

いやはやそれにしても、そんな過激なアイアンマンの称号を、柔和な能戸知徳選手が獲得したことを誇らしく感じる。そして能戸知徳選手はまだ若い。これからどれほどアイアンマンの盾とトロフィーを持ち帰るのだろうか。いまから楽しみでしかない。

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