酷暑の富士、立川祐路最後の富士戦と雨に翻弄された決勝 ~SUPER GT 第4戦富士スピードウェイ~
モタスポコラム その62 2023.08.22
衝撃的な引退表明から迎えたSUPER GT第4戦。搬入日に設けられた引退記者会見から、ココロを揺さぶられるスタートでした。それは、もちろん私だけではなく関わったレース関係者、またファン、お客様もそうだったかもしれません。予選、決勝と続く2日間は、できるだけいつも通り過ごそうなどと思ってみたりのレースウィーク。もちろん無理でしたけどね。
酷暑に大雨と全身から汗が噴き出る湿気と、観戦には非常に不向きなコンディションの中、5万人の観客を動員しました。先月から続く災害的な暑さでサーキットに来られるのは難しいかと思っておりましたが、真夏のイベントにこれだけの動員があることは逆に素晴らしいと思います。以前よりも確実に暑いので、サーキットで過ごすのは正直大変だと思うのです。
自分はというと、2か月ぶりで張り切りすぎたせいで、せっかくマシンが走り出した土曜の朝、大事な時間だというのにちょっと体調を崩し1時間ほど休んでしまうという今までにない経験をした現場でした。初めてですね、こんなの…。では、振り返ります。
貴重な会見ですので、しっかり残しておきますね。富士スピードウェイクリスタルルーム7で午後1時から約1時間に渡り会見が行われました。SUPER GT公式Youtubeで急遽ライブ配信が決定するなど、反響の大きさがうかがえました。
佐藤恒治トヨタ自動車代表取締役社長、GTA坂東代表、チームメイトの石浦宏明選手、チームスタッフ、TCDスタッフ、共に長きに渡り車両開発に尽力し戦っていた脇阪寿一監督、またドライバー、レース関係者も多数出席しての会見となりました。始まる前に、かつてのチームメイトで一緒にタイトルを獲った平手晃平選手から電話がかかってきました。やっぱり尊敬する先輩の姿は見届けたいですよね。現在、平手選手はメーカーを移籍されましたが、その尊敬の念は変わってないと思ったらうれしくなりました。ありがとね、晃平。
記者会見そのものは、アーカイブを見ていただいて…。大切な瞬間がありましたね。記者からの代表質問に、引退を決めた理由を吐露した瞬間。これがとても刺さりました。文字に起こします。
「プロのドライバーとしてやっている以上、成績だとかそういったものに責任を持たないといけない。昨年成績が残せていない。自分の責任もある。いろいろついてないこと、トラブルがあったりクルマがまとまらないなど、いろんな理由がもちろんあります、あった、あるにせよ、自分の中では前の自分だったら自分でなんとかすることが出来た…。そういう想いがありまして、それができないんだったらもう引退をする、身を引くタイミングかなと。それが自分自身の中で大きかったです」
いろんな理由があった…あったにせよ、ここを語気を荒げておっしゃっていたところ、彼自身の責任感を感じ取れました。どんな理由があったにせよ、成績を出していないことでプロだから責任を取る…。一眼レフを手持ちで動画を撮っていたのですが、腕がカメラの重さでぷるぷる震えながらも涙が出てきちゃってね。ファインダー越しに見る立川選手の目は、絶対涙がにじんでいたんですよ。いつも素敵な瞳がキラキラしているのでわかりにくいのですが、こみ上げた瞬間があったんです。それを見たらもうたまりませんでした。鼻をすすったらとなりに座ってた方が驚き(笑)。泣いたのバレました。
会見後に花束を各出席者が壇上で渡していたのですが、脇阪寿一監督は、このピックアップした上記の言葉をしっかり拾っていました。この自分で何とか出来なくなったという事に関して、それはとても次元の高い段階の話と立川選手をフォロー。脇阪監督の言葉を拾う能力は、相変わらず長けていて素晴らしい。引退を決意した立川選手への想いは、ご自身のSNSにたくさん綴られていましたので、短い挨拶だけで壇上から去っていました。
チームメイトの石浦宏明選手には、スーパーフォーミュラ富士大会の時に打ち明けたそうですが、おまえも(一緒に引退)どうだ?俺より遅かったら引退…と冗談まじり。石浦選手にはまだまだ頑張ってもらわないとね。
会見も終わり、囲み取材を受ける立川選手。平手晃平選手とも話し、名残り惜しい中、1時間を超える会見の時間がとうとうお開きに。来季のシートが獲得できず引退というパターンの多いこの業界。自分から幕引きをした方は数少ないと思います。また、そんな引退を表明する場所を設けてもらったドライバーもいたのかいなかったのか…。
他のプロスポーツみたいに、こういう会見を開くことは、ご自身の力ではなかなかできないかもしれないけれど、プロらしい花道は必要だと思います。モータースポーツももっともっと押し上げメジャーな世界にしていきたいですからね。だから引退は悲しいけれど、きちんとした場を設けてくださったみなさまに私が言うのもおかしな話ですが、感謝です。
そして、会見後、取材を受けていて話せなかった脇阪監督が、メディアセンターに戻ったらちょうど通りかかりました。ここはもう捕まえて話を聞かなくては!と思ってね。「寿一もあれやりたかった?」と冗談まじりで話しかけたものの、やっぱりね、深いのよ深い! 感慨深い会見後だったので、あれこれ思い出を話してくださいました。
立川選手への信頼から生まれる感謝にリスペクトにと一緒に戦ってきた仲間への気持ちは、嫉妬さえあったという2人の関係。脇阪監督、現役時代のSUPER GTの車両開発、またGT500クラスの現場は、お互いの走り方、手の内まで全てデータで共有し隠すことができません。全てをさらけ出し、良いクルマをメーカーの為に開発しレースを戦います。それは今も変わりません。脇阪監督現役時代は開発の立場からチームへ返り、チームの立場としてそこを越えたもっと上の段階で戦わないといけなかったと話してくださいました。過酷ですよね。身内にもライバルは沢山いるし戦いに終わりがないのです。それをずっとやってきた…。立川選手はトヨタ陣営の仲間であり戦友。才能のある人への嫉妬もわかりますね。お互い持っていたことでしょう。プロだからこそ沸いてくる感情とも戦っていたのかな。そんな戦いを他の身内に全て見られている。これもメンタルきついですね。だからこそプロなんだけどね。
そんな関係を続けてきて、先に現役を退かれた脇阪監督。先月、携帯が鳴り「立川祐路」と表示されたとき、胸騒ぎしかしなかったそうです。ここんとこ、チームの調子があまり良くないので、このままで彼を終わらせるわけにはいかないという考えを持っていたところでの電話。私も同じことを思っていました。今じゃない。もうひと花咲かせないとダメだと。ここは脇阪選手のSNSをチェックして気持ちを共有してくださいませ。
2人で話した5分くらいの時間だったけど、お互い「ありがとう」と言って別れたのが何か印象的でした。ありがとね、寿一。そこからはみんなレースウィークの戦いしか頭にないのでね、早いうちに話したかったので良かったです。
搬入日は、ピット周りや38号車のみんなの様子も見に行き、良い意味でのプレッシャーの中でいつも通りに仕事をするスタッフたちにほのぼのしたり、いつもの時間が流れていましたね。あ、いつもよりもかなり暑いサーキットだったではあったけど。
この日が一番暑かったかなあ~。朝のオープンピットから、Bピットまで行ったり来たりしましたが、午前9時の走行開始でバテてました(笑)。張り切りすぎました。初めてかも、ちょっと休もうと思ったのは…。練習走行は撮れ高の無いままピット周りも中断。ごめんなさい。サクセスウェイトの軽いチームは行っとかないと!という時期。39号車は力が入ってましたが、公式練習時にエンジンブロー。エンジンを乗せ換えるということでした。
シーズン2基しか使用できないエンジン。2基目が壊れてしまったのは痛いです。改良版な訳ですから。これを予選まで積み換えできるのか?と思いますよね。GTメカニックたちって、3時間あればやっちゃうんですよ。これはね、みんなに大きな声で言いたいところ。
予選直前に行ったら、バラバラではありましたが、ちょうど目の前でエンジンに火が入りました。あともうちょっとというところで、しっかり間に合わせました。さすがですね。そこからぶっつけ本番の予選で、厳しい予選となりましたが、まずは走れることに感謝ですし、当たり前のようにやってのけるGTメカニックたちのレベルの高さ!ほんと拍手。
リリース読ませていただいたら日産1号車も乗せ換えたようですが、ちゃんと予選走ってましたね。もちろんレースは勝たないと意味ないとおっしゃるかもしれませんが、グリッドにしっかり並ぶことからですからね。
天気良かった!土曜日はこれに尽きました。
38号車ピット前は5万人いたかもね♪暑すぎて心配でしたが、立川選手も出来るだけ出ます!とツイートされていましたので、沢山のお客様。いつも通り大盛況ですがこのときはさらに倍の人だかり!でした。
ポールポジション24回という記録を持つ立川祐路選手。富士マイスターであるのは、みなさんご存じ。いよいよ現役最後の富士アタックが始まる…。そう思ったら緊張してきて…。でもスタッフと話すとみんないつも通りだからいつものモードに自分を戻して…。
Q2を立川選手が担当するということで、絶対Q1を突破しないといけない石浦宏明選手。これかなりプレッシャーだったと思います。終わってみれば、TGR勢は、38号車の1台のみがQ2へ進出。なかなかシビアな予選となりました。下に沈んでいるのは、TGR勢。ここまでというくらいきれいにタイミングモニターの下に並んでおりました。シーズン前半好調だったということでこれは致し方ないけれど。
石浦選手、Q1突破しても無線で誰も何も言ってくれなかったそうで、通過できたのかどうか心配になったみたい。終わったら笑顔で、彼も良い仕事をしました。
軽いし進化も素晴らしい横浜タイヤの日産24号車がポールポジション!前半取りこぼしているHonda8号車と16号車も出番だなと思っていたら、予選2-3。この辺は来そうだなという感じで予想通りでした。38号車は大健闘の7位。花道はあと4回作ってもらわないといけないので、よろしくです!
予選Q1で敗退してしまうとマシンのメンテも早く終わるという訳で、キッズピットウォークに行ったら、メカたちもなんかゆるゆるの時間帯がありました。これ、↑やらないとね。みんな呼びつけました(笑)。36号車も39号車も…。お手伝いに来ていたトヨタ自動車大学校のコたちも。写真載せきれないので、これだけにしておきます。大立エンジニアのファミリーに遭遇。せっかくだから残しておきます。みんなパパと同じお顔だ。他にもいらしてたんだけど、カバーできませんでした…ごめんなさい。パパの職場見学だね。
夜、帰る時めちゃくちゃ湿気がすごくてね。テントのみなさん大丈夫かなと思った訳ですが、楽しそうだったなあ。富士スピードウェイを見ていると、やっぱり観客動員数もありますが、テントが沢山張られるのは、SUPER GTの時ですね。金曜夜にサーキットに入場できるようになったので、2泊3日できますね。お天気と相談だけどね。私のテントデビューはいつかなあ。夜の恐怖を回避できる人がいっぱいのサーキットなら大丈夫かな。そこ大事…。
朝から雨がパラっときてしまいましたが、スタート進行までの沢山の時間を有効に使ってイベント広場へ。TGRブースに立川選手のブースが登場。ミュージアムになっていました。セルモ三澤メカが、ファクトリーにあるトロフィを虫干ししてる的な連絡をくれてたんです。このためだったんだね~。
歴史がいっぱいだったな。今も素敵な立川選手ですが、若い頃もイケメンですねえ~。かわいらしいというかアイドルですね。優勝車両も連れて来てくれました。80スープラとLEXUS SC4 30(動画しか撮らず写真を忘れてしまった)もありました。懐かしいです。これはここだけなのか、残り4戦もやってくれるのかわかりませんが、またあるといいな。
こちら、ドライバーへの応援メッセージを書くフラッグでイベント広場に毎戦あって、自由に書き込みできるのですが、今回は書いても書いても足りないくらいだったみたいです。きっと最終戦まで沢山のメッセージが送られることでしょうね。
こちらのフラッグは、イベント広場で配布していました。私もこちらは頂いてきましたよ。みなさん沢山振ってくれたかな。
グリッドは、あちこち撮りたいものがある賑やかさでしたが、雨も降って来て早々に退散。撮り逃しだらけ…。
トヨタの佐藤社長は、「ZENT」のTシャツを着て走り回ってました。立川祐路選手は、まず表彰台からお客さまへ挨拶してから、チームに戻られてました。ゲートにも富士マイスター立川選手ありがとうの文字が。
レースの方は、表彰台にはTGR勢は誰も乗れず。これはもうね、レースをご覧になった方はおわかりかと思いますが、ピットのタイミングで決まりましたね。決勝前に降った雨でタイヤの選択は同じであれ、刻々と変わっていく路面状況に合わせ、さてどのタイミングでタイヤを換えるのか?モニターのラップタイムとにらめっこです。今回はそこにレースのおもしろさがありましたね。
GT300クラスの車両火災は、絶句でした。かつてGT500クラス・トムス36号車のエースだった土屋武士さん。彼のガレージの土屋エンジニアリングメンテのGT300クラスの25号車と244号車の2台のGR Supraが火災に見舞われました。25号車はガソリン満タンでピットアウトしたあと、大きな炎に包まれました。ドライバーからオーナーに立場を変え、彼がひたむきにレースを戦ってきたのは有名ですね。味方もたくさんいます。お父様の故土屋春雄さんが作ったガレージを引き継ぎ頑張ってきました。尽力してきたことを知らない方はいないはず。このままほっとく訳にはいきません。きっと業界仲間もファンの方も手を差し伸べることでしょう。復活を待っています。
〇レース再開
2度目の火災によりレースが中断したのですが、降雨も影響して遅れはしたもののレースは再開。残り周回はドタバタのレースでしたが、それはそれでおもしろかったです。タイヤ選択と路面状況が左右しましたね。あんな雨で約300キロのスピードで戦える彼らは素晴らしいですよね。最後チェッカーを受けるまで走れて良かったです。また途中で終わってしまうのは悲しかったから。
日産3号車に完敗でした。速すぎ!クルマの調子、土曜の朝モニター見てても、素人の私が速いなと思うほど。飛んで行きそうなくらい速かった。ランキングトップが3号車となりました。それを追うのが、36号車で5ポイント差です。3号車は、燃料リストリクターがしぼられていると思えないくらい速かった。36号車は、予選で最下位。これはランキングトップで臨んだので一番不利な状況であるから当然ではありますが、5位まで挽回し、のちに正式のリザルトで4位フィニッシュとなりました。これもすごいよね。以前どんだけ重くても5位くらいに食い込むってことが当たり前だったトムス。常勝チームの歴史は受け継がれてるなと思いましたね。
〇タイヤメーカーの戦いが顕著に
決勝は、GT500クラスは顕著にタイヤの性能の特徴が出た戦いとなりました。ポールポジションは、日産24号車。ヨコハマタイヤを履いています。昨年は19号車で2位が24号車と夏の富士の一発は任せろ的な流れ。今季は、さらに決勝でのパフォーマンスも高いです。心配なのは雨でした。雨と言えば、開幕戦の戦慄が走るほどの速さを見せたミシュランタイヤ。ちょい濡れ、ヘビーウェット手前くらいが大得意です。雨量が増えるとブリヂストン勢が元気になります。
開幕戦も雨量に翻弄されるGT500クラスのレースを見せていただきましたが、やっぱりGTマシンは精密機器なんだな、と思って見てました。ちゃんとタイヤの得意なとこ、苦手なところがレース中に目に見えてくるから。いまさら?はいはい、そうなんですけど、ほんと良い武器を持ってるかでレースも左右されます。今回は決勝前に降り始めた雨に、成す術のない24号車。あっという間でした、3号車がトップに立つのは。
タイヤのトレッドパターンは、ウェットならウェットが得意なメーカーに他メーカーが寄せてきているようなことを会見でおっしゃるドライバーさんがいました(あくまで噂レベルのお話しです)。もちろん開発テストの時間も必要な訳で、同じにしたところですぐに効果が出るという訳でもないんだと思いますが、さあどうなんでしょうね。
来年は、ミシュランタイヤがGT500クラスからの撤退を表明しておりますので、この水を得た魚のような走りは見られなくなる訳ですが、残り4戦、このタイヤメーカー同士の戦いにも注目して欲しいと思います。勝敗に大きくタイヤが起因するカテゴリーでもありますので、開発陣の汗と努力の戦いも見逃さないように。
〇女性ドライバー登場
GT300クラス50号車の小山美姫選手がデビューしました。第3ドライバーの登録はありましたが、今回初走行となったんです。女性ドライバーとしては、3人目。全日本GT選手権では、大好きな姉御の佐藤久実さん。SUPER GTになってから、2012年にシンディ・アレマン選手がデビューしています。よく覚えてます。一つ山レーシングでアウディを駆ってました。それに続く…ということです。10年に一人のペースかな。頑張り屋さんの彼女。また機会があるといいね。そして、レギュラーシートがいつか獲得できるといいね!がんば!
〇終わりに
2か月ぶりのSUPER GTは、ネタがいっぱいで何をしていたんだか思い出せないくらい。そして、スーパーフォーミュラは天候がドライばかりなのに、SUPER GTはどうしてこうも雨に祟られるのか。悲しくなります。4戦中、3戦がハードな天候下に置かれました。もちろん誰が悪い訳でもないのですが、アクシデントだけが心配でね。
そして、今回5万400人の観客動員数ですが、災害的な暑さで外出を控えるようアナウンスがある中での開催ですので、減るのも当たり前。コロナ禍前はここまで高温じゃなかったかもしれないし。今、ほんと屋外のスポーツ観戦、難しいです。体調と相談の上、考えてくださいね。
ようやくここから残り4戦を駆け抜けます。モータースポーツもこれからがシーズン本番!酷暑が辛いですが、しっかり楽しんで欲しいと思います!では、また!
大谷幸子の近況
ずーっと仕事ばかりで楽しいお知らせ…ないです(笑)。引きこもりのフリーランス。単焦点のレンズ85mmを奮発して購入しました。まつ毛の先までピントが合う。おそろしいレンズです。いろいろ撮りたいのですが、時間がないというね…。花火とか三脚持って撮りに行きたいけど、季節はあっという間に過ぎて行くことでしょう…(涙)。