NEXT GENERATION ラリーで世界の道を切り拓け! ―北欧フィンランドで奮闘する若きアスリートたち―

2人の生い立ち ~サッカー、BMX、父親の存在を糧として~

すごく安っぽい言葉で言えば「クルマの運転が上手な青年」。
それが認められて今があるのが新井と勝田だ。
選ばれた2人のバックグラウンドを少し見ていこう。

新井大輝は元々、サッカー選手だった。小・中・高とサッカーに打ち込み、本庄東高校(埼玉県)の選手として県大会ベスト16チームにまで勝ち進んだことがある。ポジションは主にサイドハーフだった。
父の仕事の関係でイギリスに住んでいた時期がある新井。サッカー大国、イギリスで新井は当時活躍していたスーパースターに憧れて、自然とサッカーにのめり込んでいったという。サッカー選手として培った経験が今のラリー競技に

活かせている部分はあるのだろうか。
「たぶん、ほとんど活きていると思います。フィジカル的な面も、動体視力とか、基本的な体の動かし方っていうのは、どんなスポーツでも同じなんですよね。
クルマの運転も自分が思った通りに動かせるようになった時に、初めていろいろな操作ができるので。
ミリ単位で体を動かしたりするのはクルマの運転もサッカーも同じで、そういう部分は本当に共通していると思います」

そして、勝田貴元は多くのプロレーサーと同じく子どもの頃から「レーシングカート」に打ち込んでいた。
ただ、彼がカートに乗り始めたのは12歳で、それまでは他のスポーツに打ち込んでいた。
現代のプロレーサーは、4歳くらいからカートに乗りはじめるのが一般的であるため、遅いスタートと言える。

「保育園の時代から小学生ぐらい

までは自転車のBMXやサッカーをやっていましたが、
12歳の時にたまたま父からこういうのあるけど、乗ってみないかって言われて、そこから見事にカートにハマりました。明確にドライバーを目指すとかはなかったんですけど、レースで結果が出てくるうちに楽しくなって、もっと上を目指したいと思うようになりました」

彼らの言葉の通り、最初はそれぞれ異なるフィールドで幼少期を過ごした2人だが、実は共通点がある。
「2人の父は有名なラリードライバー」
新井の父・新井敏弘(あらい・としひろ)、勝田の父・勝田範彦(かつた・のりひこ)。ラリーの世界で知らない人は居ない、日本が誇るラリーのトップドライバーだ。この時点で、「ラリードライバーの息子たちが親の七光りでトヨタの枠をもらった」と思った人は多いかもしれない。当然、事実とは違うのだが、親の名前が有名であるからこそ、彼らにこの現実は常について回る。聞きにくいことだが、そう言われることの率直な気持ちを聞いてみると、
2人はこの時ばかりは心の内に秘める感情をむき出しにした。

勝田は、「なんかもう、勝手に言っといてくれって。だって恥じることでもないし、こういう環境で産まれたくなかったって思うことでもないし。僕自身が世界でしっかり結果出して、父を越えるまではそう言われても仕方ないと理解し

ています。逆に父が居なかったら、カートも始めてなかったと思うし、理解のある家族に産まれたことを感謝しています」と真顔で語る。

勝田は父も祖父もラリードライバー。そして、実家はラリー関連

の仕事をする「親子三代ラリー家族」という環境で育った。しかし、ラリーを始めたのは僅か2年前。サーキットのレースとは全くアプローチが異なるラリーに悪戦苦闘の毎日だという。

「ラリーはリスクを負わずに走るのが大事です。父のドライビングはそれが完璧にできているような感じで、タイムを計ると僕のドライビングは負けてないんですけど、父はまだ余裕があるんです。ラリーは砂が出ていたり、水があったり、何かあった時のために余裕を持った走りをしなくちゃいけないので、同じラリーというフィールドに立ってみて、全日本で何度もチャンピオンを獲った父の偉大さを意

識するようになりました」

いくら偉大な父が側にいるとはいえ、サーキットのレースを通じ、攻めに攻め抜いた走りをするという自分の癖を取り除くのは難しい。頭でいくら理解していても、その感覚が体に染み付いているからだ。レース時代、勝田のブレーキング能力の高さはベテランのコーチが舌を巻くほどの一級品だったが、ラリーではその技術の差がポイントとなることはそれほど多くない。フィールドを変えることで培ってきた武器を全て捨て去った今、お手本となる父の走りを見て、勝田貴元は真摯にラリーを学んでいる最中である。

一方、19歳からクルマに乗るという超遅咲きスタートの新井は、世界チャンピオンの父を持つことをどう思っているのだろう?

「ラリーを始めた頃から、ずっと七光りって言われてますよ!(笑)。楽しくてやり始めたことなので、あんまり気にしていないですよ。言いたきゃいっとけーって!ラリーを始めた段階から絶対に意識

してしまうものです。そこは仕方がないなって割り切るしかないかな。だって親父にまで言われてますからね。お前、どうせ七光りなんだからなぁって(笑)」と新井は笑い飛ばす。

「サッカーを始める前は父のラリーを見に行った記憶はあるんですけど、どこのラリーを見に行ったかは全く覚えていないです。小学校

の時は他のスポーツばっかりやってて、ラリーはそこにある映像を見るくらいでした。クラッシュ映像見るのとか好きでしたけどね。父は何をするにも自由にやらせて

くれて、あまり干渉するタイプではなかったので、今本気でラリーをがんばっているからといって、特別何か言ってくることはないですね」

クルマの運転について父から何かを教えてもらっていたわけではない。父の走りを食い入るように見つめ、学校でラリー博士を気取っていたわけでもない。免許を取ってからのゼロスタートで、自分が惹きつけられたものに真っ直ぐに挑戦している。

彼らには彼らにしか持ちえない苦しみがあるが、ラリーの選手である以上、父という存在は、優しく手を差し伸べて、甘やかしてくれる存在ではなく、
大きな壁であり、目標であり、超えるべきライバルなのである。真剣に向き合っている彼らに、周りから聞こえてくるそんな声はもはや雑音でしかない。

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NEXT GENERATION ラリーで世界の道を切り拓け! ―北欧フィンランドで奮闘する若きアスリートたち―

2人の生い立ち ~サッカー、BMX、父親の存在を糧として~

すごく安っぽい言葉で言えば「車の運転が上手な青年」。
それが認められて今があるのが新井と勝田だ。
選ばれた2人のバックグラウンドを少し見ていこう。

新井大輝は元々、サッカー選手だった。小・中・高とサッカーに打ち込み、本庄東高校(埼玉県)の選手として県大会ベスト16チームにまで勝ち進んだことがある。ポジションは主にサイドハーフだった。

父の仕事の関係でイギリスに住んでいた時期がある新井。サッカー大国、イギリスで新井は当時活躍していたスーパースターに憧れて、自然とサッカーにのめり込んでいったという。サッカー選手として培った経験が今のラリー競技に活かせている部分はあるのだろうか。

「たぶん、ほとんど活きていると思います。フィジカル的な面も、動体視力とか、基本的な体の動かし方っていうのは、どんなスポーツでも同じなんですよね。
車の運転も自分が思った通りに動かせるようになった時に、初めていろいろな操作ができるので。
ミリ単位で体を動かしたりするのは車の運転もサッカーも同じで、そういう部分は本当に共通していると思います」

そして、勝田貴元は多くのプロレーサーと同じく子どもの頃から「レーシングカート」に打ち込んでいた。
ただ、彼がカートに乗り始めたのは12歳で、それまでは他のスポーツに打ち込んでいた。
現代のプロレーサーは、4歳くらいからカートに乗りはじめるのが一般的であるため、遅いスタートと言える。

「保育園の時代から小学生ぐらいまでは自転車のBMXやサッカーをやっていましたが、
12歳の時にたまたま父からこういうのあるけど、乗ってみないかって言われて、そこから見事にカートにハマりました。明確にドライバーを目指すとかはなかったんですけど、レースで結果が出てくるうちに楽しくなって、もっと上を目指したいと思うようになりました」

彼らの言葉の通り、最初はそれぞれ異なるフィールドで幼少期を過ごした2人だが、実は共通点がある。
「2人の父は有名なラリードライバー」
新井の父・新井敏弘(あらい・としひろ)、勝田の父・勝田範彦(かつた・のりひこ)。ラリーの世界で知らない人は居ない、日本が誇るラリーのトップドライバーだ。この時点で、「ラリードライバーの息子たちが親の七光りでトヨタの枠をもらった」と思った人は多いかもしれない。当然、事実とは違うのだが、親の名前が有名であるからこそ、彼らにこの現実は常について回る。聞きにくいことだが、そう言われることの率直な気持ちを聞いてみると、
2人はこの時ばかりは心の内に秘める感情をむき出しにした。

勝田は、「なんかもう、勝手に言っといてくれって。だって恥じることでもないし、こういう環境で産まれたくなかったって思うことでもないし。僕自身が世界でしっかり結果出して、父を越えるまではそう言われても仕方ないと理解しています。逆に父が居なかったら、カートも始めてなかったと思うし、理解のある家族に産まれたことを感謝しています」と真顔で語る。

勝田は父も祖父もラリードライバー。そして、実家はラリー関連の仕事をする「親子三代ラリー家族」という環境で育った。しかし、ラリーを始めたのは僅か2年前。サーキットのレースとは全くアプローチが異なるラリーに悪戦苦闘の毎日だという。

「ラリーはリスクを負わずに走るのが大事です。父のドライビングはそれが完璧にできているような感じで、タイムを計ると僕のドライビングは負けてないんですけど、父はまだ余裕があるんです。ラリーは砂が出ていたり、水があったり、何かあった時のために余裕を持った走りをしなくちゃいけないので、同じラリーというフィールドに立ってみて、全日本で何度もチャンピオンを獲った父の偉大さを意識するようになりました。」

いくら偉大な父が側にいるとはいえ、サーキットのレースを通じ、攻めに攻め抜いた走りをするという自分の癖を取り除くのは難しい。頭でいくら理解していても、その感覚が体に染み付いているからだ。レース時代、勝田のブレーキング能力の高さはベテランのコーチが舌を巻くほどの一級品だったが、ラリーではその技術の差がポイントとなることはそれほど多くない。フィールドを変えることで培ってきた武器を全て捨て去った今、お手本となる父の走りを見て、勝田貴元は真摯にラリーを学んでいる最中である。

一方、19歳からクルマに乗るという超遅咲きスタートの新井は、世界チャンピオンの父を持つことをどう思っているのだろう?

「ラリーを始めた頃から、ずっと七光りって言われてますよ!(笑)。楽しくてやり始めたことなので、あんまり気にしていないですよ。言いたきゃいっとけーって!ラリーを始めた段階から絶対に意識してしまうものです。そこは仕方がないなって割り切るしかないかな。だって親父にまで言われてますからね。お前、どうせ七光りなんだからなぁって(笑)」と新井は笑い飛ばす。

「サッカーを始める前は父のラリーを見に行った記憶はあるんですけど、どこのラリーを見に行ったかは全く覚えていないです。小学校の時は他のスポーツばっかりやってて、ラリーはそこにある映像を見るくらいでした。クラッシュ映像見るのとか好きでしたけどね。父は何をするにも自由にやらせてくれて、あまり干渉するタイプではなかったので、今本気でラリーをがんばっているからといって、特別何か言ってくることは無いですね」

クルマの運転について父から何かを教えてもらっていたわけではない。父の走りを食い入るように見つめ、学校でラリー博士を気取っていたわけでもない。免許を取ってからのゼロスタートで、自分が惹きつけられたものに真っ直ぐに挑戦している。

彼らには彼らにしか持ちえない苦しみがあるが、ラリーの選手である以上、父という存在は、優しく手を差し伸べて、甘やかしてくれる存在ではなく、
大きな壁であり、目標であり、超えるべきライバルなのである。真剣に向き合っている彼らに、周りから聞こえてくるそんな声はもはや雑音でしかない。