8月27日(土)28日(日)の両日、三重県の鈴鹿サーキットでFIA-F4の第6大会(第11戦、第12戦)が開催され、トヨタが支援する宮田莉朋が両レース共に6位フィニッシュ。ランキング首位の座を守った。同じくトヨタ支援ドライバーの小高一斗は第11戦7位、第12戦は表彰台を争うも残り2周でコースオフ。リタイアに終わった。
27日(土)は朝方軽く雨がぱらついたもののすぐに止み、晴天の下、気温32度、路面温度41度という蒸し暑いコンディションで午前11時45分から30分間の予選が行われた。
小高、宮田の2名は先陣を切ってコースイン。2周のウォームアップラップの後にアタックを開始したが、他の車両がクラッシュしたため赤旗が出され、途中で断念。6分半ほどの中断の後にセッションが再開されると、各車すぐにアタックラップに入った。
前日までの練習走行ではトップタイムをマークしていた宮田だったが、ライバル勢がこの予選セッションでは更にタイムを更新。
4周目、5周目に各車タイムを更新し、その後も走行を続けたが、タイヤの摩耗によるグリップ低下もあってセッション後半のタイムアップはならず。宮田は第11戦6番手、セカンドベストタイムで決定される第12戦は4番手。小高は第11戦、第12戦ともに4列目8番手からスタートすることとなった。
予選の後、SUPER GTの予選を経て、やや日の傾いた午後4時半から第11戦決勝(10周)が開始された。予選2番手の車両がペナルティで降格となったため、5番手、7番手からスタートを切った宮田と小高は、序盤から激しい攻防戦を展開。
1周目の混乱でダメージを負いペースの上がらない車両の後ろに、宮田、小高を含む多くの車両が団子状態で連なり、コーナー毎に順位を入れ替えるようなバトルが続いた。
小高は2周目に5位にポジションを上げたが、S字で前車をパスしようとして逆にポジションを落とす結果に。スタート直後の混乱で若干順位を落とした宮田はその後追い上げ、小高とのバトルに。
首位の車両が独走で逃げる一方、序盤2位、3位につけた車両がジャンプスタートと裁定されペナルティで後退したことで、2位の後方での集団によるバトルは表彰台を賭けたものとなり、9周目には4位の車両がコースオフ。これで4位へと浮上した小高は、表彰台を狙ってヘアピンで仕掛けたが、逆に宮田を含む後続にかわされる結果となり、最終的には宮田が6位、小高が7位でチェッカーを受けた。宮田は表彰台は逃したものの、タイトルを争う小高らの前でのフィニッシュとなり、ランキング首位の座を守った。
28日(日)は夜半からの雨が残り、完全なウェットコンディションで、午前8時15分にセーフティカー先導で第12戦(10周)の決勝レーススタートが切られた。
2周にわたるセーフティカーランの後に本格戦が開始。水煙を上げての戦いが始まった。4番手スタートの宮田は、予想以上に水量の多いコンディションに苦戦。徐々にポジションを落とすことに。8番手スタートから順位を上げ、この宮田もかわした小高が4位争いを展開した。
後半戦に入ると雨は止み、徐々にコースコンディションは改善。各車ベストラップを更新しながらの周回が続く中、4位につけていた小高だったが、残り2周となった1コーナーで痛恨のコースオフ。グラベルトラップから脱出できず、リタイア、ノーポイントでレースを終えることとなってしまった。
宮田は最後まで前車を追ったが0.348秒及ばず6位でフィニッシュ。苦しんだ週末ながら、2戦共に着実にポイントを稼ぎ、ランキング首位の座を守った。
ノーポイントに終わった小高はランキングで5位へ後退。しかし、首位との差は23ポイント。残る最終大会は3レース制で、最大75ポイントを獲得出来るため、タイトル争いの行方は全く分からない状態で最終大会を迎えることとなった。
次戦は2か月以上のインターバルをおいて、九州大会の代替レースを含む3レース制の最終大会(第6戦、第13戦、第14戦)が11月11日(金)〜13日(日)にツインリンクもてぎで開催される。