モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY10 - トルコに棲む悪魔、その名はチェティベリ

トルコに棲む悪魔、その名はチェティベリ

WRCな日々 DAY10 2020.9.25

チェティベリ、そこは地獄の一丁目。今年ラリー・トルコを戦ったWRC戦士たちは、しばらくその地名を耳にしたくないはずだ。唯一、地獄から天国へと繋がる罠だらけの回廊をすり抜けた、トヨタのエルフィン・エバンスを除いては。

トルコ南西部のダルマン空港と、ビーチリゾートのマルマリスを繋ぐ幹線道路沿いに、その地はある。少し西に走れば蒼きエーゲ海が広がっているが、チェティベリ自体は特に見どころがある場所ではない。しかし、その名が冠せられたスペシャルステージによって、チェティベリはWRCの歴史に名を残す場所になった。

「今年のトルコの山場は、間違いなく日曜日の38kmのステージだ」と、ラリーのスタートを前に多くのトップドライバーが警戒心を高めていた。その38kmのステージこそチェティベリであり、全体的にラフな路面が多いトルコのステージの中でも、特に荒れた区間が多い。トルコ南西部での初WRC開催だった2018年大会から難関ステージとして知られ、自分もラリーが始まる前にステージを下見走行し、その凶暴な路面に驚いたことを覚えている。一部区間は大人の握りこぶしくらいの鋭利な石が道全体に広がり、低速でもそれを全て避けて走ることはまず不可能。そして、所々にアメフトのボール大の石が転がっていた。先の見えないコーナーを抜けた先に、突然現れることもあり、何度も危うく当たりそうになった。時速40キロくらいで走っていても、そうなのだ。その何倍ものスピードで走るWRCドライバー達が、どうやって石を避けているのか理解できない。もちろん、石の存在はペースノートに記されているはずだが、本番までに動くこともあれば、新たに掘り起こされることもある。石の場所を正確に予想して走ることは不可能に違いない。

前を走るクルマが巻き上げるダストも、このステージを難しくする。トルコのようなダストが多いグラベルラリーは、スタート間隔を3分と長めにとることが多いが、トルコでは途中から4分に拡げられた。山中のステージは木々に囲まれ、風が吹き抜けず前走車のダストが滞留しやすいからだ。しかし、今年のチェティベリは4分間隔でも十分ではなかった。トップドライバー達のオンボードカメラには、視界を濃霧のように遮るダストが映し出され、目の前のコーナーはある程度見えても、路面の状態を正確に判断することは困難。暗闇の中で画鋲を踏まずに歩くようなものだ。

そのような厳しい条件が重なったがゆえに、多くのトップドライバーがタイヤやサスペンションに大きな傷を負った。WRカーをドライブする総合上位9選手のうち、ノーダメージでチェティベリの1本目を走り切ったのは僅か2人に過ぎなかった。総合トップ3につけていたティエリー・ヌービル(ヒュンダイ)、セバスチャン・ローブ(ヒュンダイ)、セバスチャン・オジエ(トヨタ)は全員がパンクに見舞われ、1分30秒前後のタイムを失った。そして、無傷で走り切ったドライバーの中で最速だったエバンスが、総合4位から首位へと一気にジャンプアップした。結果論ではあるが、勝敗はこの1本のステージでほぼ決したといえる。

エバンスは、昨年ラリー・トルコを怪我で欠場している。また、ステージの出走順もオジエに次ぐ2番手であり、初日は路面のルーズグラベルをかき分けながらの走行だった。それでも総合3位前後の順位を保ち続けたが、土曜日のステージでタイヤを痛め、首位ヌービルと約1分差の総合4位に留まった。通常ならば、最終日に逆転で優勝を狙えるタイム差ではない。しかし、結果的にエバンスはチェティベリで一発逆転のチャンスを手にした。「パンクをしないように注意して走ったのは事実だが、運に恵まれていたことも事実だと思う」と、彼は優勝後に述べた。今回、エバンスだけでなく多くの選手がロッテリー(lottery)という表現を頻繁に使っていた。クジや運という意であるが、チェティベリの1本目に関する限り、ほとんどが外れクジだった。パンクで遅れた多くの選手が「とても気をつけて石を避けていたのに、なぜパンクをしたのか分からない」と首をかしげていたが、それくらい路面コンディションは悪く、外れクジだらけだったのだ。

チェティベリに棲む悪魔は無慈悲にも大きなカマを振るい、優勝を競う者たちの希望を次々と切り裂いた。しかし、それでも満足できなかったようだ。2本目の再走ステージでは、2位を競っていたオジエに狙いを定めた。オジエは2位のヌービルを4秒差で追っていたが、やがてエンジンの出力が低下し、コースサイドにクルマを止めた。パフォーマンスだけでなく、信頼性の高さでも定評があるヤリスWRCのエンジンが音を上げるのは珍しい。チームの関係者によると、原因は調査中ということだが、補機類ではなくエンジン本体に問題が起った可能性が高いようだ。もし、それが事実であれば、自分が記憶している限り2017年のWRC復帰後初ではないか? 高い気温や強い振動など、エンジンにとって厳しいラリーだったのは間違いない。しかし、同じクルマに乗るエバンスとカッレ・ロバンペラに、同様のトラブルは出なかった。

オジエは、前日の土曜日にも油圧の低下によりギアシフトが思い通りにできなくなり、パンクも重なり大幅にタイムを失った。しかし、動じることなく使えるギヤでなるべく高い速度を維持しようと試みた。その結果、約32kmのロングステージで、遅れをトップと約32秒差に留めたのは流石だ。また、それによって首位から陥落するも激昂することなく、次のステージでは気持ちを切り替え2番手タイムを刻んだ。翌日の最終日には前述のようにパンクとエンジントラブルに見舞われるなど、オジエにとってはまさに悪夢の週末となったが、何度酷い目に遭っても最後まで自暴自棄にならず、現実を受け入れた。その冷静さこそが元世界王者の強さであり、次のラリー・イタリア サルディニアでは、再びタイトル奪還のための戦いに全力で臨むはずだ。首位を明け渡したエバンスとの差は18ポイント、3位オィット・タナックおよび同ポイントで並ぶロバンペラとの差は9ポイント。大荒れの展開となった今回のトルコを経て、ドライバーズタイトル争いはさらに先が読めなくなった。

古賀敬介の近況

WRCラリー・トルコと、ル・マン24時間という、ビッグゲームが同じ週末に開催され、日本でリモート取材を行いました。モニターを全部で5つ用意し、両イベントのライブ映像とライブタイミングを流しっぱなしに。いろいろなことが起きた週末だったので、とにかく情報量が多くヘトヘトになりました。そして、今週末は「リアル」なレース取材。岡山でスーパーフォーミュラ第2戦を取材しています。秋はなんだかんだ毎週末モータースポーツイベントがあり、しばらく忙しい日々が続きそうです。