モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY15 - ラリー・フィンランド「冬の陣」 アークティック・ラリー・フィンランド

ラリー・フィンランド「冬の陣」
アークティック・ラリー・フィンランド

WRCな日々 DAY15 2021.3.5

僕が初めて勝田貴元の海外ラリー出場を取材したのは、2016年1月の「アークティック・ラップランド・ラリー」だった。その頃彼はTOYOTA GAZOO Racingラリーチャレンジプログラムの一員に選ばれ、フィンランドラリー選手権を中心に経験を積んでいた。僕はその挑戦を取材しようと、WRCラリー・モンテカルロが終わると、厳寒期のフィンランド北部ロヴァニエミに飛んだ。まさか、その時はこのイベントが、「WRCアークティック・ラリー・フィンランド」の原型になるとは想像すらしていなかった。なぜなら、WRCにはスノーラリーの王者、ラリー・スウェーデンがドッシリと腰を下ろしていたからだ。

しかし今年、新型コロナウイルスの影響によりラリー・スウェーデンが開催中止になると、その代替としてアークティックに白羽の矢が立った。積雪が確実に保証されていて、スノーラリー開催の実績があり、なおかつWRCに相応しいスケールであること。なるほど、これ以上の代替案はないだろうと、僕は納得した。5年前に取材をした時、アークティックは本当に素晴らしいスノーイベントだと感動したからだ。

アークティック=北極という名は、ロヴァニエミの約8km北側を北極線が通過していることに由来する。広大な森林地帯をうろついても、どこに北極線があるのかは定かではないが、ロヴァニエミを代表するアミューズメント施設「サンタクロース村」に行けば、北極線を示す立派なモニュメントがあり、文字通り北極圏に足を踏み入れることができる。僕もピョンピョン跳ねて北極圏に出たり入ったりを繰り返したが、夕暮れにひとりだったこともあり、さぞかし怪しいオジサンに見えたに違いない。

サンタクロース村があることからも分かるように、ロヴァニエミはサンタクロースの「故郷」とされている。45才を過ぎて訪れてもワクワクしたのは、まだ少年のようなピュアな心を持っているからだと自分に言い聞かせ、いろいろなアクティビティを楽しんだ。もちろん、ラリーの取材が終わってからですよと、一応申し上げておく。

その中でも、1番心が踊ったのは、日本にいる家族宛てにクリスマスカードを書き、サンタクロース村郵便局のポストに投函した瞬間だった。約11ヶ月後のクリスマスに、そのポストカードは無事日本の自宅に届いたが、その時「サンタクロース村からのクリスマスカードだよ〜」と1番はしゃいだのは、幼い娘ではなく、自分だったことをまだ覚えている。

ここしばらく、競技にフォーカスしたマジメな原稿が続いていたので、今回はユルい書き出しにしようとしたが、思いっきり雪壁を突き破りコースアウトしてしまった。話しをコース、ではなく今回のアークティック・ラリー・フィンランドに戻したい。勝田はその後も2回アークティック・ラップランドに出場し、このラリーの特徴をよく理解していた。それだけに、今やフィンランドの住人であり、高速スノーラリーを得意とする彼は、今回のWRCアークティックに勝負をかけていた。経験を積むべく確実なアプローチで臨んだ前戦ラリー・モンテカルロでは総合6位に入り、WRCでの自己ベストリザルトを更新した。そうなれば、勝負をかけるアークティックでは総合5位以上を狙えるはず。事前に具体的な数字こそ口にしなかったが、勝田はかなり自信を持っていたはずだ。

しかし、最終結果はモンテカルロと変わらず総合6位だった。もっとも、最終ステージのフィニッシュ直前でヒュンダイの19才オリバー・ソルベルグがスピンをしなければ、総合7位だったはずだ。ラリー終了後彼にオンラインで取材をしたが、結果にはまったく満足しておらず、その声には悔しさが滲んでいた。それでも僕は、今回のアークティックこそ彼のキャリアベストラリーだと思う。なぜなら、勝田は置かれた状況で非常にコンペティティブな走りを最初から最後まで続けたからだ。

改めて最終リザルトを見ると、勝田は優勝のオィット・タナック(ヒュンダイ)と1分37.8秒差だった。開幕戦ラリー・モンテカルロでは、優勝したセバスチャン・オジエとのタイム差は約7分だったから、差はかなり縮まった。さらに、同じヤリスWRC同士で比較すると、総合2位に入ったカッレ・ロバンペラとは1分20.3秒差、勝田よりひとつ上の順位の総合5位エルフィン・エバンスとは36.3秒差だった。去年、フルスノーイベントのラリー・スウェーデンで優勝したエバンスと36.3秒差というのは、ある意味大健闘である。今回のSSは全部で10本、合計距離は251.08kmだったから、エバンスとの差は1kmあたり0.14秒差。これは、通常なら十分に上位争いをできるレベルのタイム差である。

もっとも、エバンス、そしてデイ2でデイリタイアとなったオジエは、初日の出走順が早く、不利な条件で序盤の約62kmを走ったことを考慮する必要はある。モンテカルロで優勝したオジエは1番手スタート、2位だったエバンスは2番手スタートを強いられ、路面が軟らかい雪に覆われたオープニングステージで「雪かき役」を担うなど、大きなハンデを負って走った。彼らが払った軟らかい雪の下には硬く凍結した氷やグラベルがあり、後続の選手たちは、タイヤの金属製スタッド(スパイク)をしっかりと路面に食い込ませて走ることができた。結果、初日の2本のステージだけでエバンスは32秒、オジエは49.8秒と首位に大きな遅れをとってしまった。初日の出走順が1、2番手でなければ、彼らはもっと楽に、速く走れたに違いない。

それでも、今回ヤリスWRCが十分な戦闘力を備えていなかったことは事実だろう。フィンランドで開発され、雪道もしっかり走り込んで育ってきたヤリスWRCは、これまで夏のラリー・フィンランドや、冬のラリー・スウェーデンといった北欧の超高速ラリーで抜群の強さを発揮してきた。過去ラリー・フィンランドでは3戦3勝、ラリー・スウェーデンでは4戦3勝である。それ故、チームの地元開催である今回のアークティックでも最有力優勝候補であると考えられ、スノーラリーを得意とするロバンペラには、WRC史上最年少優勝記録の更新が期待された。

しかし、ロバンペラは自己ベストである総合2位こそ獲得したが、優勝したタナックと比べるとスピードにやや一貫性がなかった。昨年ラリー・スウェーデンで優勝したエバンスも苦戦し、ラリー・スウェーデンで過去3回勝っているオジエは総合6位まで順位を挽回するのが精一杯であり、デイ2最後のステージのフィニッシュ直前でコントロールを失い雪壁に突っ込んでしまった。

ではなぜ、ヤリスWRCは今回苦戦したのか? チームはラリー中から分析を進めていたようだが、原因のひとつとしてスタッドタイヤの摩耗があるようだ。スノーラリー専用のスタッドタイヤは、タイヤのトレッド面に合計384本の金属製スタッドが埋め込まれていて、そのスタッドを雪や氷に食い込ませてグリップ力を得る。しかし、極度に力が加わったり、砂利を踏んだりするとスパイクが折れたり抜けたりしてしまうのだ。現地にいた知り合いによれば、ヤリスWRCは特に前輪のスタッド抜けが、ライバルのヒュンダイi20クーペWRCよりも顕著で、ステージの終盤や、ループの後半ではどのドライバーもタイヤのグリップ不足に悩まされていたようだ。また、映像からはクルマがコーナーのアウト側に膨らんでいくアンダーステア傾向がやや強いように見えた。前輪のスタッドが抜けてアンダーステアになったのか、それともアンダーステアで前輪に負担がかかりスタッドが抜けていったのは定かではないが、実際多くのステージでロバンペラはアンダーステアをうったえていた。

フィンランドの雪道でテストをしてきたにも関わらず、なぜ今回アンダーステア傾向が強かったのだろうか? テスト時と本番では気温が大きく違ったからかもしれないと、チーム関係者は見ている。テスト時は厳寒でマイナス20〜30度くらいまで冷え込み、路面はキンキンに凍り締まっていた。そのような路面では金属製のスタッドが食い込みにくく、チームは硬い路面に最適なセッティングを見つけた。しかし、ラリーウイークのロヴァニエミ周辺は異例ともいえるほど気温が高く、温度計の目盛りは0度前後まで上昇。その結果路面の雪や氷は緩んで軟らかくなり、20度以上の温度差が生まれたことにより、テストで導き出したセッティングが合わなくなってしまったようだ。

それを、ギリギリで修正したのがヒュンダイ勢だった。特に、タナックは最後の最後でセッティングを大きく変更して本番に臨んだ。結果的にはそれが奏功し、スタッドの摩耗や脱落を比較的少なく抑えることができたようだ。今年からタイヤがピレリのワンメイクとなり、路面のコンディション変化とスタッドタイヤの摩耗の関係についてのデータはどのチームも十分に持っていない。前戦モンテカルロでトヨタはタイヤを上手く運用してライバルに差をつけたが、今回はそれが逆になってしまったともいえる。

そのような状況で、勝田はセッティングに苦労しながらもいくつかのステージでエバンスに匹敵するタイムを刻んだ。ステージとステージの間には、エンジニアの意見を聞きながら自分でセッティングを変えていったという。確かに総合6位というリザルトに驚きはなかったが、エバンスとのトータルでのタイム差、そして厳しい状況でのマネジメントを鑑みると、今回勝田はかなり健闘したといえ、スピードと安定性のバランスは過去1番だったと個人的には思う。結果以上に、充実した良い内容のラリーだった。

このように、勝田は現在持っている力を十分に発揮して戦ったわけだが、同じような厳しい条件でも優勝争いに加わり、総合2位を獲得したロバンペラのパフォーマンスはずば抜けていた。クルマのセッティングが最初からもっと適切で、スタッドタイヤの摩耗が少なければ、史上最年少ウイナーに輝いていた可能性が高い。惜しくも初優勝には少し届かなかったが、最終のパワーステージではトップタイムを記録。20才という史上最年少記録でドライバー選手権のトップに立ち、ホームラリーを終えた。

優勝したタナックはラリー後、土壇場でのセッティング変更がなければロバンペラに負けていたかもしれないと述べていた。それくらい、ロバンペラには勢いがあったのだ。今年の夏に控えているエストニアとフィンランドの高速グラベルラリー2連戦で、ロバンペラの優勝は十分にあり得る。また、勝田も不完全燃焼に終わった今回のリベンジを今から狙っているはずだ。彼ら若獅子の今後が非常に楽しみに思えた、ラリー・フィンランド「冬の陣」だった。

古賀敬介の近況

WRC第2戦がフィンランドのロヴァニエミで開催されることになり、5年前にアークティックを取材をした時のことを思い出しました。夜のステージを撮影するためひとり森の奥深くに入り込んだのですが、撮影が終わりレンタカーに戻ると寒さで電子キーが作動せず、いわゆる普通の金属製のキーがないスマートキーだったので、ドアが開かなくなってしまったのです。気温はマイナス20度以下、真っ暗闇、人里まで20km以上。本当に焦りました。考えた末キーを脇の下に入れ温めること10分以上、何とか作動してくれた時は安堵で全身から力が抜けました。ちなみに、その時のクルマはトヨタ車ではなかったですよ、念のため。そんな思い出も含め、今回のアークティック・ラリー・フィンランドの模様を、藤本えみりさんと一緒にJ SPORTSの番組でお話しさせてもらいました。

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