「顔の見えないスポーツだからこそ…」
モータースポーツは希少な顔の見えないスポーツである。安全のためにヘルメットで顔を保護している。それゆえ、スポーツ観戦にとって大切なプレーヤーの感情が現れづらい。ある意味、モータースポーツが抱えている悩みである。
かつて僕は、透明な素材で作られたヘルメットを提案したことがある。だが、現実にはまだ存在しておらず、これは永遠の課題なのかもしれない。今後のブレイクスルーを期待したいところだ。
ステアリングを握るドライバーはコクピットの中で、相当に激しいスポーツに挑んでいる。だがそれが見えない。バケットシートにきっちり括り付けられているから、体の動きも少ない。屋根のあるツーリングカーでは尚更だ。特に最近のマシンは驚くほど安定しているから、感情が挙動に表れることもない。「レースってそんなに大変なのですか?」 そう聞かれることがあるのは、ただ単に無表情のまま、体も動かさずに椅子に座っているようにしか見えないからだろう。恐怖におののく表情、額から流れ落ちる汗、苦痛に歪む頬、悔しさの滲む瞳、歓喜のむせび、それらがすべて覆われてしまうのが、興行として欠点なのだ。
競技車両からドライバーの表情を垣間見るのは難しい。ヘルメットを装着しているからなおさら…
「戦いに挑む戦士の精神を…」
唯一の表現手段はヘルメットなのかもしれない。レーシングスーツはチームが揃える。個人のキャラクターを表すのは、ヘルメットのデザインだけ。それは個人の識別というより、キャラクターの表現の場である。
今年僕は、新しいデザインを採用した。LEXUSのイベントをきっかけに懇意にしていただいている相澤陽介氏にデザインを依頼したのだ。氏は、国内外で活躍する一流ファッションデザイナーだ。コム・デ・ギャルソンのデザイナーとして活躍した後独立、MONCLERやadidasなど、氏が手掛け成功させたブラントは数えきれない。自らもブラントを発信している。海外でも積極的にコレクションを発表しているのだ。特にスポーツブランドに独特の個性を発揮すると僕は思っている。
そうは言っても氏は、モータースポーツ専門のデザイナーではない。レースを観戦したのは2015年SUPER GT 第7戦 オートポリスだけという白紙の状態。これがいい。既存の先入観に縛られず、自由に個性を発揮してもらったのである。
本コラム167LAPでは、レーシングスーツのデザインでのエピソードに登場いただいている。あわせてご一読を。
「自らのアイデンティティを大切にした」
といっても、僕からの制約があった。これまで30年近く続けてきたブルー&ホワイトの基調は崩さないで欲しい。これは僕の唯一のアイデンティティだからとごねたわけだ。
頻繁にデザインを大幅変更するドライバーも少なくない。特に若いドライバーにその傾向が強い。まず自らのアイデンティティが確立してないことも理由なのだろう。だが、昭和のドライバーのほとんどはデザインを変えないのだ。
影山正彦は、真上から眺めると、正彦の「M」が描かれている。師匠だった故・萩原光のデザインを受け継いだ。佐藤久実もイニシャルがベース。ピンク基調なのは女性だからだろう。僕もイニシャル「K」をモチーフに、爽やかなブルーを突き抜けるラインとコラージュさせた。F3時代までは燃える赤基調だったけれど、ラインはまったく変えてない。
自身のヘルメットを持つ影山選手
佐藤選手はピンク基調のデザインを採用
「マオリ族のタトゥー」
そんな制約の中で完成したのが写真のヘルメットである。どこから見ても木下隆之のデザインであることが分かる。だが、全面にタトゥーのような模様が鏤められている。
デザインのモチーフは、ニュージーランドのマオリ族にある。彼らが伝統的に顔や全身にほどこすタトゥーが発想の源泉だと、相澤陽介氏は言う。
ニュージーランドラグビー代表が試合前に敵を威嚇し自らを鼓舞するための民族舞踏で有名になった。
勇壮な掛け声を口にしながら、敵を前に、踊り威嚇する民族舞踏 “Haka(ハカ)”。
そこで歌いあげられるのは、決死の覚悟、そして勝利への執念と栄光である。
戦い前の精神状態をタトゥーが表現してくれた。
ツーリングカー激戦区ドイツに、日の丸を背負って挑む。ハカに通ずるものがある。
White Mountaineeringが相澤陽介氏のオリジナルブランドだ。
相澤陽介氏デザインのデビューレースがニュルブルクリンク24時間レース。
「命の危険に怯まずに戦いに挑むレーシングドライバーの精神を表現したかった」
かつて氏は、そう言うような言葉で発想を表現してくれた。
ライン一本一本に、異なるタトゥーが彫られている。あまりに緻密なデザインゆえ、実際に塗装を施すペインターは絶句したらしい。だが次第に、デザイナーの思いとレーシングドライバーの精神のコラボに感動し、やる気を漲らせてくれたという。
これまでのヘルメットのデザインは、スポンサー映りだとか目立つ目立たないだけで個人がデザインしていた。だが、ドライバーの精神を深く表現してくれたことが嬉しかった。さすが一流ファッションデザイナーである。発想と表現手法が別格なのである。
僕はできたばかりのヘルメットをかぶってニュルブルクリンク24時間レースに挑んだ。あの恐怖と隣り合わせのグリーンヘルにも、臆することなく挑むことができた。
次の走行に備えてピットでヘルメットを被るとき、このデザインに目を落とす。すると不思議と勇気が沸いてきた。ヘルメットにはそんな力があることに、僕はこのときはじめて気がついた。
いざグリーンヘルへ。力強いデザインとともに。
僕から松井孝允へ襷をつなぐ。
無事に生還してほっと和む。ヘルメットに守られてきた。
青天のニュルもしだいに牙を剥きはじめる。新しいヘルメットと共に挑む。
キノシタの近況
ニュルブルクリンク24時間レースは、駆動系のトラブルに見舞われ、残念ながらリタイヤに終ってしまった。だが、チーム間の絆は、流した涙の数だけ深まったと思う。無益なレースなどない。レースは必ず何かを生んでくれる。
木下 隆之/レーシングドライバー
1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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