レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

198LAP

198LAP

「スポンサーがいるから、僕らはレースができる」

2017.6.27

「日本代表ウェアの個人スポンサーのロゴ掲示を制限する」
 スポーツクライミングの競技団体がそんな通告をした。その報道を知って僕は、やっぱりなぁ〜って。マイナースポーツが突如として脚光を浴びはじめると、たいがいこんな問題が勃発するんだよなぁ〜と。

 朝日新聞に掲載された記事はこんな具合だった。
 7月に閉幕したボルダリングW杯にエントリーした日本選手の多くが、ユニフォームに「KEEP OWN SPONSORES for PRO activity」(プロ活動のために個人スポンサーを守って)という共通のステッカーを貼った。

 発端はこうだ。国際大会で代表選手が着るベストは、2017年からは公式スポンサーに限ると告知した。選手個人のスポンサーロゴが、代表ベストにも掲示禁止になったという。
 代表ベストとは、表彰式や取材ゾーンなどで着ることが多い。レースの世界で言えば、チームジャケットのようなものなのだろう。選手はこれによって、大会中のほとんどの場面で、個人スポンサーの露出機会を失ったことになる。その措置に対して、選手が抗議の意味を込めて貼ったのがそのステッカーというわけだ。
 日本代表の杉本怜主将のコメントも記事にあった。
「ずっとマイナーだった頃から支えてくれた個人スポンサーがいたからここまで続けてこられたのに……」

プロクライマーの杉本怜選手。数々のスポンサーの支援を受けてここまでステップアップしてきた。日本を代表するクライマーだ。

プロクライマーの杉本怜選手。数々のスポンサーの支援を受けてここまでステップアップしてきた。日本を代表するクライマーだ。

ボルダリングはフリークライミングの一種。シューズとチョークだけで壁を登る。

ボルダリングはフリークライミングの一種。シューズとチョークだけで壁を登る。

「レースの世界でも同様の問題が……」

 では、モーターレーシングの世界はどう対処しているのだろうか。
 もともと日本代表という形態が存在しない。似たような形態があるとすれば、代表スポンサーではなく、主催者側の大会スポンサーと、参戦する側のチームやドライバーたちへのスポンサーとの関係がそれに当たるかもしれない。
 運営組織は、数々の協賛企業をつのり、資金的な余裕を得る。チームなりドライバーも同様に企業の援助を受けて運営なり生活が成り立っている。個人を応援してくれた企業へ恩返しをする義務がある。そこに問題が発生する。

 加えていえば「スポンサーがバッティングする」という問題が生じる。運営側が募った企業と同業他社は受け付けないのが基本ルールだからだ。五輪のオフィシャルスポンサー規則にもはっきりと、同業他社の協賛は禁止すると明文化されている。
 ただ、協賛企業への依存度が高く、興行としての長い歴史を持つモーターレーシングでは、そんな問題はあまり耳にしない。お互いが尊重しながら対応しているようである。助かるねぇ〜。

「AUTOBACSスーパーGTシリーズ」
「POKKA 1000km」

 大会の多くは協賛企業が冠の権利を得る。スーパーGTには「GRAN TURISMO」や「EBBRO」や、あるいは「SINGHA」といったスポンサーがロゴを掲げる。だけど、そのレースにライバル企業が参戦できないという規則はないし、むしろ大会を盛り上げるにはどんな企業の参戦も歓迎するような機運が感じられる。「ロレックス」が冠のル・マン24時間に、ライバルの高級時計ブランドを貼ったマシンも走っている。
 もっと言えば、「AUTOBACSスーパーGTシリーズ」には、レクサス、ホンダ、日産、スバル、BMW、ポルシェ、メルセデス、アウディといった自動車メーカーが協賛しているし、ブリヂストンとヨコハマタイヤ、そしてダンロップが名を連ねている。強豪メーカーが共に手を携さえて大会を盛り上げようという姿勢になっているのは気持ちいいものだ。

ル・マン24時間レースには、伝統的にROLEXが冠スポンサーになっている。だが、ポルシェはショパールがサポートしている。勝者には特注のロレックスが贈られる。だが、表彰台のドライバーの腕にはショパールがはめられた。

ル・マン24時間レースには、伝統的にROLEXが冠スポンサーになっている。だが、ポルシェはショパールがサポートしている。勝者には特注のロレックスが贈られる。だが、表彰台のドライバーの腕にはショパールがはめられた

ロレックスが冠のル・マン24時間に、TAGホイヤーの協賛を受けるポルシェ911も戦っていた。

ロレックスが冠のル・マン24時間に、TAGホイヤーの協賛を受けるポルシェ911も戦っていた。

ポルシェLMP1にはショパールが協賛している(リアウイング翼端板)。だが背景にはロレックスのロゴが…。

ポルシェLMP1にはショパールが協賛している(リアウイング翼端板)。だが背景にはロレックスのロゴが…。

「ミシュランを履くファルケンマシンが活躍!?」

 ニュルブルクリンク24時間などはもっと大胆だ。出場する全車に「ファルケン」や「ビルシュタイン」のステッカーを貼らねばならないのだ。ヨコハマタイヤの全面的なサポタイヤを履いてレースをしているのにも関わらず、タイヤの真上のフェンダーの一等地には「FALKEN」のロゴが燦然と輝く。フロントバンパーには、たとえカヤバのダンパーを使用していても「BILSTEIN」である。
 ヨコハマタイヤやカヤバにとってはごっそり美味しいところをさらわれたような気分だろうが、だからといって表面上で大きな問題になったことはないのである。

TOYOTA GAZOO Racing Team Thailand。タイヤ銘柄はどっち!? TOYOTA GAZOO Racing Team Thailand。タイヤ銘柄はどっち!?

TOYOTA GAZOO Racing Team Thailand。タイヤ銘柄はどっち!?

木下コラム198LAPイメージ写真
木下コラム198LAPイメージ写真
木下コラム198LAPイメージ写真
木下コラム198LAPイメージ写真
み〜んな「ビルシュタイン」ユーザー……ではまったくないのだが、大会スポンサーだから全車が貼っている。

み〜んな「ビルシュタイン」ユーザー……ではまったくないのだが、大会スポンサーだから全車が貼っている。

「TAGホイヤーの契約ドライバーなのに……」

 僕はかつて、スポンサー活動中に、顔から火が出るような恥ずかしい失態を演じたことがある。
 FJ1600への挑戦を開始したアマチュア時代、庶民上がりの僕は重篤な金欠病に冒されており、闇雲にスポンサー活動に没頭していた。1シーズンを1セットのタイヤで走っていたほどだから、シーズン初頭はまだしも、レースが進むと溝がなくなり、ほとんどスリック状態で走らざるを得なかった。雨が降ったら一巻の終わり、という緊張感のレースを続けていたのだ。スポンサーを喉から手が出るほど欲していた。
 僕は10円硬貨をズタ袋いっぱいにして公衆電話ボックスにこもるという毎日を繰り返していた。携帯電話などはない時代である。
 そこで電話帳の職業欄の「あ」の行から順番に、ひたすら電話をかけまくった。そして呪文のようなこう言う。
「レースをしています。スポンサーになってください」
 電話の先が受付嬢なのか誰なのかもわからないまま、ひたすら金をせびったのである。今だったら宣伝部なり営業部なりを取り次いでもらうところなのだろうが、そんな知恵もなく世間常識もない。つまりはおバカだったのである。
 そんなだから、相手先の企業を調べる策もなく、のべつまくなしに「あ」から「ん」までかけまくった。そんな日が数ヶ月も続いた。

 だが、下手な鉄砲でも数うちゃあたるもので、奇特な企業との面会が叶ったことがある。
 似合いもしないスーツにネクタイで協賛企業を訪問した僕は、手書きの幼稚な企画書(らしき紙切れ)と、今、戦っているマシンのプリント写真を見せ、いかに僕が可能性を秘めたドライバーであり、スポンサーにとって宣伝効果があるかを恥じも外聞もなく熱く語った。そして数十分。先方の宣伝担当者にこう言われたのである。
「あの〜、木下くんが一生懸命にレースに向かう姿勢はよくわかりました。ですが残念ながらスポンサーはできないのです」
「えっ、どうしてですか!?」
「なぜならば、私どもは時計屋だからです……」
 その瞬間になって僕は、自分がいかにあさはかであるかを知って顔から火が吹いた。協賛を懇願したその場所は、時計ブランド「RADO」の総輸入元だった。一方で僕は、ワールド通商株式会社の支援を受けて「TAGホイヤー」のロゴを貼って、レースをしていた。僕が自慢気に見せたマシンの写真には、「RADO」とはライバル企業である「TAGホイヤー」のロゴが燦然と輝いていたのである。
 無知とは恐ろしい。

 そして最後に僕に告げられた言葉は今でも忘れられない。
「木下くんが一生懸命なことは伝わって来ました。将来、プロドライバーになってください。その時にまだご縁があったら協賛いたしますよ。応援しています」
 ……嬉しいやら恥ずかしいやら。

日産エンジンを積んで、東名自動車から参戦していたF3時代の木下隆之。レーシングスーツの「TAGホイヤー」のワッペンは、なぜか古いロゴ。

日産エンジンを積んで、東名自動車から参戦していたF3時代の木下隆之。レーシングスーツの「TAGホイヤー」のワッペンは、なぜか古いロゴ。

ヘルメットには、唯一のパーソナルスポンサーだった「TAGホイヤー」が貼られている。ストップウォッチ一つから始まった協賛だった。

ヘルメットには、唯一のパーソナルスポンサーだった「TAGホイヤー」が貼られている。ストップウォッチ一つから始まった協賛だった。

「無知なおバカにもご慈悲が……」

「TAGホイヤー」の契約ドライバーというと響きはいいが、懇意にしていただくことになったきっかけは、当時の社長が僕の切実な思いを聞き入れてくれたからである。
「レースをしています。ですが、ストップウォッチを持っておらず、タイムが計測できないのです」
「だったらストップウォッチを一つ差し上げましょう」
 これが「TAGホイヤー」契約となるきっかけだった。

日産エンジン搭載車のF3時代。「TAGホイヤー」以外にスポンサーはない。日産の支援とチームの熱意だけで走っていた。

日産エンジン搭載車のF3時代。「TAGホイヤー」以外にスポンサーはない。日産の支援とチームの熱意だけで走っていた。

 実は、後日談がある。
「RADO」と「TAGホイヤー」はライバルブランドだとはいえ、時計業界であるわけだから、社長同士が接触する機会があった。その場でこんな会話がなされたという。
「先日、ワールドさんが応援しているキノシタというドライバーが、協賛のお願いに来ました。無知だけど、熱い青年でしたね。残念ながらお断りしましたけれど、そちらでどうか応援してあげてくださいね」
 それから、僕はF3にステップアップをし、日産契約になり、全日本ツーリングカー選手権で戦うようになった。ずっと僕は「TAGホイヤー」のロゴを誇らしく貼りながらレースを続けることができたのだ。
 おバカなドライバーを支えてくれる協賛企業との出会いがあったから、今の僕がある。感謝してもし尽くせないのである。

 という話があって、今回のボルダリング大会の代表スポンサーの記事を読んで、にわかに当時の出来事が思い出された。それぞれの選手個人には、決して裏切ることのできないかけがえのないスポンサーがいる。たとえW杯日本代表まで上り詰め、東京五輪選手になろうとも、ここまで支えてくださったスポンサーを裏切る気になれない。代表になった今こそ、恩返しをする時期なのだから……。

「ともに精神は同じなのだ」

 国際大会やプロスポーツに、協賛スポンサーは欠かせない存在である。それなくしてプロスポーツは存在できない。運営側が募った協賛金が大会を盛り上げ、選手の知名度アップや選手育成資金に還流するという恩恵もあるから、可能な限り選手が協力するのも義務だ。
 だが、金銭的な問題の裏には、人と人の縁があり気持ちがある。それを無視してスポーツはあり得ないのも事実なのだ。
 スポーツクライミング競技団体は後日、個人スポンサー掲示の規制を一部緩和したという。競技団体も心温まる組織だった。個人もそれを歓迎した。ともにフリークライミングを盛り立てようという思いは一致しているのである。
 これまで僕はフリークライミングには全くの興味を抱いていなかったが、これをきっかけに好きになりそうである。そして彼らを応援している企業に親近感を抱くことだろう。

キノシタの近況

キノシタの近況 キノシタの近況

 ニュルブルクリンク24時間で燃焼し尽くしたかと思ったら、ル・マン24時間のテレビ解説やパブリックビューイングでまるで抜け殻のようになった。それにしても24時間って、すごいドラマになる。予期せぬ展開、最終ラップの攻防。携わっている人々の人間ドラマが凄すぎるネ。しばらく社会復帰できそうもないよ。

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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