レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

199LAP

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「野球少年から、レーシングドライバーへの転身」

2017.7.11

 僕も一度は「大谷翔平」を目指したことがある。つまり、「二刀流」に挑戦しようとしたことがあるのだ。
 それは、1994年頃のこと。ある新聞に、求人広告のような記事を発見したのがきっかけだった。大谷翔平が生まれたのも1994年だから、僕が大谷翔平を真似しようとしたのではなく、彼が僕を真似しようとしたのである。

 確かに僕は、野球少年だった。小学生時代には上級生を巻き込んでまでして、学内最強チームを組織して、地区大会を制した。そして、そのチームを主将として、三多摩地区大会ベスト8まで育て上げた。野球センスだけではなく、組織論も備えていたのだ(笑)。

 とはいうものの、二刀流を目指したのは野球ではない。体重62kgの貧弱な身体では、二刀流はおろか投手すら務まらないだろうし、打っても内野フライが関の山だろう。その分、ちょっと悪知恵が働く僕は、その62kgの恵まれた身体と運転センスを生かせる世界に興味を持った。そう、「ボブスレーの選手」を目指そうと画策したのである。もっと詳しく言うならば「男子4人乗りボブスレーのパイロット」が僕の目指したターゲットだった。
 そう、僕の目を引いた新聞記事というのは、「ボブスレー選手募集」だったのである。

 男子4人乗りのボブスレーをご存知の方は多かろうと思う。1993年に公開されたコメディ映画「クールランニング」で、雪のない南国ジャマイカのチームが孤軍奮闘した、あのボブスレーである。
 氷で固められたウォータースライダーのような形状のコースを、カプセルのような四人乗りのソリが矢のような速度で滑り降りるのがそれ。ハンドルを握るパイロットを先頭に、屈強のアスリートが縦一列に乗り込む。ひたすら速さを競うもので、氷上のF1とも形容されるものなのだ。
「氷上のF1」、その響きに、既にレースの世界で活動していた僕が興味を示さないわけがない。パイロットはひたすら操縦桿を握り、ラインを整える。後ろのクルーは、ソリを押して勢いをつける。つまり、屈強なのはパイロット以外の要員であり、パイロットは操縦能力が生命線となる。
 スタートダッシュは、パイロット以外のクルーが極めて重要だ。実際に、ラグビー選手や陸上の短距離選手からの転向組が少なくなかったのだと言う。
 ボブスレー協会も同様の考えを持っていたようで、異種のスポーツ選手から才能溢れるアスリートを誘い込み、一流ボブスレー選手に育てようと企てていたのである。
 残念ながら、長野五輪での募集はパイロットではなくブレーカー(後ろから押す選手)だった。なので断念。僕が甘かった。レースで養った操縦技術があれば、突進力などなくても許されるのではないかと甘い気持ちで、レーシングドライバーと長野五輪選手の二刀流を目指したのだが、200kgもあるマシンを押すにはパワーが必要だ。雪を知らぬジャマイカ人にできるものが僕にできないわけがないと。ただ落下するだけでしょ!?という考えていた自分が恥ずかしい。
 ともあれ、今でも挑戦する意思はあるけどね。

「二刀流の彼女に注目している」

 最近、世間は同様の話題で盛り上がっている。
 関東学生対抗選手権の女子100mで優勝した君嶋愛梨沙(21)は、ボブスレー女子2人乗りを初めてわずか4ヶ月だというのに、世界選手権で7位になった。100mを11秒73で駆け抜けることを可能にする実力が、マシンに勢いをつける50mのダッシュに生かせるのであるだけに、夏冬両五輪出場を果たすかもしれない。ぜひ、僕が果たせなかった「二刀流」を実現させてもらいたいものだ。

木下コラム199LAPイメージ写真

右の女性が君嶋愛梨沙だ。彼女にはシーズンオフがない。

木下コラム199LAPイメージ写真

アメリカ人の父と日本人の母を持つ君嶋愛梨沙は、関東学生対校陸上女子100mで優勝した。ダッシュ力は氷上でも力を発揮する。

 「二刀流」と構えていうと、「そんな甘いものじゃあらへんで〜」となる。だけど、身近にも二刀流をきっかけに自らの才能を開花させたスポーツ好きも少なくない。
 小・中学生時代には、運動神経のいい奴が様々な競技に駆り出されて活躍していたものだ。たいがい、足が速ければ使い道に困らない。陸上部のエースなどは人気の的で、今週はラグビー大会、次週はサッカー大会と忙しくグラウンドを駆け回っていた。
「オレ、ラグビーのルール知らんけど」
「いいんだよ、球を抱えたまま、とにかくあっちの陣地まで走ればいいんだよ」
 言われたままに、猛スピードで…。誰しも鬼ごっこの経験くらいはあるだろう。タックルされると強烈に痛いから、暴漢に追われそうな人々のように必死に逃げ回る。気がついたらポイントゲッターに成長していたりするのだ。

 かつて部員が7名しかいない弱小の高校野球部が、陸上部の選手を補強したら、地方大会でアレヨアレヨと勝ち進んで甲子園まで駒を進めたといった話もあった。
「野球はルールが複雑すぎて……」
「コーチが手を回したら、とにかく走れ!」
 それで甲子園球児になったのだから、まさにシンデレラである。
 足の速いやつは応用が利くのである。

 背が高いということも、重宝がられる。あだ名が「のっぽ」なんて奴は小学生時代にはたいがいポートボールのキーパーが定位置だし、バスケットやバレーボールの人数合わせに引く手あまただ。
 ゴールポスト下で待機していれば自然に球が集まってくるし、ネットの前で壁のように手を伸ばしていれば、何球かに一度はブロックポイントが加算される。「高いとこの荷物取ってくれ」って利用され続けるより有益なのである。
 もっとも、太った奴の使い道は、騎馬戦の先頭以外に思い当たらないけれど……。

「そして、次の戦いへ」

 閑話休題。
 6月に華々しく開催された2017年ル・マン24時間耐久レースに挑んだTOYOTA GAZOO Racingの布陣を眺めていて「二刀流」を連想したのだ。
 3台体制で挑んだTOYOTA GAZOO Racingは、3台目のエントリーとなった9号車に特異なドライバーラインナップを構成していた。
 国本雄資をエースに、ニコラス・ラピエールにホセ・マリア・ロペスが9号車のラインナップとなり、マシンを走らせた。なかなかトリッキーな布陣である。
 ラピエールはル・マンの実績は豊富だが、国本とロペスは未知数だった。国本はスーパーフォーミュラのチャンピオンだから、速さに疑う余地はない。ロペスの鮮烈なWTCC世界ツーリングカー選手権デビューを僕は目の当たりにしているし、その後連続で王者に輝いている。F1に並ぶ速さのマシンで王者になった国本と、ル・マン経験のあるラピエールと、そして世界選手権覇者のロペスという布陣は華々しいものだった。
 ただ、二刀流という言葉がよぎったのは、国本とロペスの実績がル・マン24時間耐久レースと結びつかなかったからだ。ある意味、スプリントと耐久の二刀流である。

スーパーフォーミュラー王者国本雄資は、スプリントと耐久の二刀流王者を目指す。

スーパーフォーミュラー王者国本雄資は、スプリントと耐久の二刀流王者を目指す。

マシンが完調なうちはいい。マシンをいたわるテクニックもドライバーの能力のうちだ。

マシンが完調なうちはいい。マシンをいたわるテクニックもドライバーの能力のうちだ。

WECは、ル・マン24時間に代表されるように耐久色の強いレースである。ただ単純に瞬発力を競うのではなく、ゴールまでマシンを導く耐久的ドライビングが求められる。

WECは、ル・マン24時間に代表されるように耐久色の強いレースである。ただ単純に瞬発力を競うのではなく、ゴールまでマシンを導く耐久的ドライビングが求められる。

 僕は長いこと、耐久レースを中心に戦ってきた。もちろん最初は、スプリントレースを戦っていた。F3時代を境に、レース距離が長くなっていった。短距離走があっけなく感じられ、どこか物足りなさを覚えたからだ。気が付いたらニュルブルクリンク24時間に魅せられていた。
 そんな経験から言えば、耐久とスプリントは求められる能力が異なると思う。耐久レースは深夜も走る。そして、ボロボロになったマシンをゴールまで導かなければならない。そもそも、複数のドライバーがドライブするという事情があるから、自分好みのセッティングである保証などないのである。
 また、チームの要求に応えられる引出しの多さも必要だろう。同じタイムを出していたとしても、燃費重視やタイヤ温存優先や、様々な走り方が要求されるのだ。もっと言えば、ドライバー間の調和も必要だろう。そう、耐久レースとスプリントでは、本質が異なるのである。

 陸上100mの短距離スプリンターが42.195kmを走りきるのはアスリートだからと言っても簡単ではないだろう。
 ボルタリング選手がチョモランマに登頂するというのは、きっと畑が違うはずだ。そして、体操選手はおそらく忍者にはなれない。忍者もおそらく、昼間に衆目の前では力を発揮できないはずだ。
 だが、マラソン選手も最初はかけっこから始まったはずだ。いきなりアルプス三大北壁を目指す者もいない。忍者だって、最初はでんぐりがえしから訓練したのだろう(知らないけれど)。

 スプリントレースと耐久レースのドライビングは、投手と打者というほどの違いはない。ましてや、レーシングドライバーとボブスレーパイロットほど隔たるわけでもない。けれど、いずれレーシングドライバーが五輪で活躍する姿を見てみたいと思うのは僕だけではないはずだ。
 と、その前に誰かが一流のスプリンターと一流の耐久ドライバーという「二刀流プレーヤー」として、成功することを期待している。

木下コラム199LAPイメージ写真

キノシタの近況

キノシタの近況 キノシタの近況

 夏の訪れは僕を海へと誘う。撮影のためとはいえ、ボーナム45でのクルージングは快感だ。億越えのクルーザーは快適である。これが仕事でなかったらどれだけ幸せだったか…、という贅沢は言うものじゃないよね。夏がやってきた。

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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