211LAP2018.1.17
前代未聞の4カ国混成チーム。苦悩と喜び
昨年、TOYOTA GAZOO Racingタイランドのチーム構成員となった木下隆之が、視察を兼ねて東南アジアの10時間耐久レースに向かった。今度はTOYOTA GAZOO Racingアジアの活動をつぶさに観察するのだと鼻息も荒く…。さて、何を感じて何を思い、何をしようとしているのか…。
「タイに魅せられて…」
咋年の暮れに、僕はタイのブリーラムサーキットを訪れた。と言っても、SUPER GTのマシン開発テストでも、国際試乗会でもなく、初開催となる「ブリーラム10時間耐久レース」を視察してきたのだ。
というのも、東南アジアのレースが盛り上がろうとしていると耳にしており、それは本当なのか!?真実を知りたかったからなのである。
昨年のニュルブルクリンク24時間に僕はTOYOTA GAZOO Racingタイランドのチームに単身加わってレースに参戦したという縁もあった。その時の東南アジアのチームメイトたちはとても感じが良かったし、歓迎ムードを感じてもいた。僕はモータースポーツに対して吹き出すマグマのような前向きな息吹を感じていたのだ。
そればかりか、アジアでの実情を理解してほしいという切実な思いを感じてもいた。それならば現地のレースを視察し、寝食を共にする中で生の声を聞き、日本に伝える義務があるのではないかとも思った。そんな使命感を抱いていての遠征なのだ。
気になったことは、この目で確認しなければ済まない性分でもある。言葉だけではなく、温度や音と言った感覚を五感で感じ、すべてを体験しないと気が済まない。早速、羽田空港-タイ・スワンナプーム空港往復チケットを握りしめて、「微笑みの国」タイに飛び立ったのである。
SUPER GTも開催されるブリーラムサーキット(タイ)は、地元の資本家が地域振興のために建設した。セパン(マレーシア)に継ぐ、東南アジア屈指のサーキットである。
タイの首都バンコクからは陸路で4時間ほどの距離にある。そんな片田舎に突如として本格的なサーキットをそびえる。サーキットの隣には、やはり巨大なサッカースタジアムが並ぶ。
「東南アジアのモータースポーツの歴史は実は…」
東南アジアには、マレーシア国営のプロトンを除けば、自国の自動車メーカーはない。ただ、世界の自動車工場としての機能を備えている。自動車産業に関しては身近な存在なのだ。
例えばタイへは、古くからトヨタが進出していた。「タイの国民車はトヨタです」と言われるほどシェアが高い。トヨタ初の現地法人はタイなのである。
そういうこともあり、東南アジアのモータースポーツの歴史は決して短くはない。マカオGPは僕がモータースポーツに目覚めた頃には、すでにF3世界一決定戦で有名になっていたし、マレーシアのセパンでは1999年からF1が開催され続けている。僕も何度か、SUPER GTをここで戦っている。
中国・上海インターナショナルサーキットは2004年からF1が開催されており、シンガポール・マリーナベイでは、市街地でF1が行われているほどだ。タイのブリーラムには立派なチャンインターナショナルサーキットが建設され、SUPER GTのシリーズ戦に組み込まれて久しい。東南アジアのモータースポーツは今に始まったわけではないのだ。
一方で、F1やSUPER GTに代表されるような観戦型のモータースポーツイベントの影で、参加型のモータースポーツが火種のように燻り、最近の経済的な刺激によって燃えさかろうとしている。それを肌で感じるのも事実なのである。
僕のチームメイトであるタイのドライバーが日本のSUPER GTに参戦しているのも、東南アジアのレースが盛り上がりつつあることを想像させる。
「いつもサーキットを走っているのかい!?」
ニュルブルクリンク24時間の時、僕がタイチームのドライバーにそう聞くと彼らはこう答えた。
「いつも走っているんだ。来週もレースだし、その次の週はドライビングスクールの講師をしなければならない。その次の週もGTレースがある。この数ヶ月休みはないんだ」
日本のトップドライバー並みの仕事量である。東南アジアの中ではタイが最も成熟しているように感じた。
TOYOTA GAZOO Racingも東南アジアのモータースポーツ振興に力を入れ始めた。その急先鋒として僕がタイチームに単身加わり、橋渡し役を担ったのも、東南アジアに目を向け始めたことの証明だろう。
東南アジア各地では、トヨタ車を使ったワンメイクレースが開催されている。まだ本格的なサーキットも少なく、レーシングドライバー人口も少ないこともあり発展途上ではある。だが、確実にヒートアップしているのである。
今回の視察に先立ち、現地の様々な情報を収集した。すると、シーズンエンドにはTOYOTA GAZOO Racingフェスティバルを超えるほど、華やかなファン感謝イベントが開催されているし、各地では有名なタレントが積極的に参戦していることを知った。多くのマスコミの取材やファンが訪れる。その華やかさに憧れてしまうほどだ。
実際、東南アジア各地の現地のドライバーだけではなく、日本人もわざわざ遠征しているのだという。どこかプロ化し、年々敷居が高くなっていく日本のモータースポーツに疑問を感じたドライバーが、東南アジアにチャンスを求めているというのだ。
「まだまだ荒削りですが…」
今回のブリーラム10時間耐久レースは、日本でいえば、スーパー耐久レースとイメージが近い。マシンはツーリングカー限定であり、改造範囲も市販車の面影を残しつつ、わずかに戦闘力を上げているという点でもスーパー耐久に近似ている。
そして、規則は日本ほど厳格ではなく、車検や出走審査に曖昧な部分がある。巨大なウイングの有る無しのマシンが混走していたり、明らかにエンジン音に違いがあったりもするため、おのずと速さにも違いがある。スーパー耐久と似ていると表現するのが不適切なら、日本のジョイ耐と言えば当たらずとも遠からず。牧歌的な雰囲気もそれに近かった。
マシンは、アジアで販売されている小排気量モデルが主体だ。TOYOTA GAZOO Racingの息のかかったトヨタ系チームは、アルティスやトヨタ86。そのライバルとなるのはホンダ・インテグラやVWゴルフや、あるいはBMW318iあたりである。スイフトの姿も目についた。10時間耐久という負荷の高いレースだったこともあり、ランエボやインプレッサといった複雑な機構を持つマシンの参戦はなかった。
我がTOYOTA GAZOO Racingタイランドは、僕がニュルブルクリンク24時間で走らせたアルティスで挑んでいた。ドライバーもニュルブルクリンクのメンバーで構成されており、レースでは見事に表彰台を獲得した。東南アジアでは、彼らは指導的立場にあり、ヒーローなのだ。残念ながら、日本のSUPER GTでは成績が思うようにならず控えめな印象を受けるけれど、彼らは東南アジアのトップドライバーであり、スターなのである。その風格が感じられたのも新しい発見である。
日本のスーパー耐久に似た車両規則で戦われていた。主力は2リッターFFのアルティス。そのほかスイフトやインテグラなど、やはり日本のコンパクトモデルが一大勢力である。
タイヤはハンコックのワンメイク。大きなトラブルもなく、レースを安定的にサポートしていた。
TOYOTA GAZOO RacingアジアのマシンはTRDアジアなどが全面的にサポートする。技術的にはまだ発展途上にあるから、日本のサポートは不可欠だ。
タイはトヨタのお膝元とはいえ、コストパフォーマンスに優れるホンダ車も少なくない。インテグラやシビックは、どこの国でも存在感を示す。
「宗教的な違いを理解した上で…」
僕が最も興味深く思えたチームは、TOYOTA GAZOO Racingアジアである。2台走らせたアルティスのうち1台は、東南アジア各国で開催されているワンメイクレースで優秀な成績を収めたメンバーがそれぞれ1名ずつ選出され、4名で1チームを組んでいたのだ。
国籍は様々だった。タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン。それぞれの国でチャンピオンを獲得したドライバーへのスカラシップ的な意味合いもある。彼らはワンメイクでトップになってもその先がない。潤沢な資金に恵まれたドライバーならば、欧米のレースを目指すことも可能だろうが、少なくとも東南アジアでレースをするには先がない。それならばとの思いでトヨタの現地法人が手を差し伸べた。現地のディストリビューターが東南アジアのモータースポーツを支えていたのだ。
タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン。各国の優秀なドライバーが集められ、4カ国混成チームが構成された。
人種も異なれば言語も違う。そんな急造チームなのにすぐさまチームワークが整うのは、現地トヨタのサポートがあったからだ。
国籍が違えば習慣も違い、レース経験も異なる。マレーシアには立派なセパンサーキットがあるし、市街地レースも頻繁に行われているという。だが、インドネシアではサーキットはほとんどないに等しく、ジムカーナチャンピオンを鍛え直して招聘したという裏事情もあった。
そういう意味では、経験の濃さは自ずと異なるし、スキルにも差がある。それだけでなく、国民性が異なるのだ。プライドが高い国民もあるだろうし、変革になじまない人もいる。日本から見れば東南アジアというひとつの括りかもしれないけれど、それぞれは独立した国なのだ。
例えば、日本と韓国、あるいは中国には、当事者以外には理解しがたい意識が存在する。欧米人にはそれは理解しがたいことかもしれないけれど、確かに存在する。というようなことが、今回の東南アジア混成チームには起こってしかるべきなのだ。
宗教の違いが壁となるはずだ。だが、今回に関してはそれに起因するトラブルはなかった。モータースポーツに言語や宗教の違いは関係ないのかもしれない。
事前のサーキットトレーニングで顔合わせがあり、レース当日にはすでに良好な関係が出来上がっていた。
タイヤやサスペンションなどに話題が及べば、言語の違いは関係ない。
「現地法人の思いが支える」
特に、僕が心配したのは宗教的な問題である。習慣も含めて、そこには譲れない壁があるはずだ。食事や礼儀だけでなく、信仰が介在してくるとそれはとても厄介な問題になる。
クリスマスパーティの後に初詣に行き、牧師の前で結婚を誓ってから和装でお色直しをする僕らには想像もつかないであろう宗教の問題がある。そのあたりは、東南アジアを取り尽くしたメンバーがマネージャー役となり、チームを完璧にまとめあげられているのが印象的だった。
東南アジアのモータースポーツ振興に積極的なTRDがマシン開発をサポートしている。トヨタの現地法人がモータースポーツをサポートしている。東南アジアには、東南アジアのモータースポーツ振興を愛する人材が集まっている。彼らが現地のドライバーに手を差し伸べ、振興に積極的になっていることを知ったことが、僕の今回の最も大きな収穫だったように思う。
正直に言って、レースのレベルはまだまだ発展途上にある。各国のレースマナーにも隔たりがあり、手取り足取り教えてあげたいことが山ほど散見された。ドライビングのイロハやレース戦略にも一言伝えるだけで済むことがたくさんある。頻繁に通って、レクチャーしてあげる必要がある。
僭越な言い方をすれば、日本の僕らより20年遅れていると考えてもいいかもしれない。彼らが不安に思っていることや、あるいは気づかずに済ませていることなどは、20年前に僕が経験したことばかりなのだ。
ならば、僕にも何かができるのではないかと思った。タイムマシーンに乗って20年後から来た男として、参考になることがあるのではないかと、やや不遜ながら、そんな思いを抱いた。
そして一方で、無宗教の日本人にはわからない問題を解かねばならず、その意味では現地のメンバーと力を合わせる必要もある。
モータースポーツはまだ手探り状態であり、現地のディストリビューターや担当者に意欲に支えられている点は否めない。ヘッドクウォーターが本腰を入れてサポートする必要性も強く感じた。正直いって、伸び代はあるのにもったいないような思いにかられた。
技術的には最先端のモータースポーツと厳格な伝統と規律と、信仰する宗教という複雑に絡み合う糸を、日本の僕らがどこまで解くことができるのかは未知数だが、手を貸す義務があると思った──。
モータースポーツ発展途上にある東南アジアから、しばらく目が離せそうにない。
自撮りは世界共通のコミュニケーション手段のようで、笑顔があれば言葉はいらない。
レース前の晩は、辛くないタイ料理が振る舞われた。一つ屋根の下で同じ釜の飯を食う。これも万国共通。
TOYOTA GAZOO Racingアジアが組み立てたチームは揃って入賞。東南アジアでのトヨタの強さを見せつけた。特にタイはホームグランド。
感謝の気持ちの表現方法一つも異なる。だが、気持ちで全てつながる。
キノシタの近況
今年の初詣は、長野県・善光寺になった。理由は、たまたま友人に誘われたから。「牛に引かれて善光寺」の故事は、「不信心な老婆の布が牛の角に引っかかり、それを追っているうちにたまたま善光寺にたどりついた。それが縁で信仰を深めた」というのが語源だそう。転じて「たまたまの縁によって良いことが起こること」の例えだそうだ。今年の僕もたまたま誘われた縁で、新たなカテゴリーに挑戦する。怖いくらいに因縁めいているなぁ。