356LAP2024.01.24
「誇り高く掲げられるトロフィー」
ポディウムに立つ勝者の手によって掲げられるトロフィーは、陽の光を浴びて煌びやかに輝く。それは勝利の女神の微笑みのようでもある。
自己肯定感の象徴として
古今東西、個人にとってトロフィーは自身の華やかなリザルトを証明するもので、とても誇らしく飾られることが多い。昭和の時代、たいがいどの家も玄関を開けると、そこには丁寧に敷かれた布の上に黒電話とトロフィーがついになって飾られていたものだ。
スポーツなり芸術なり、順位が与えられるイベントで贈呈されるそれは、いかにも家屋の入り口である玄関を飾るに相応しい。威光を笠に着るようにキラキラと豪華絢爛な輝きは天守閣のシャチホコのようでもある。クリスタルであれば、手相占いか風水か、もしくは陰陽師か知らんが占い師がナデナデする水晶のようでもある。ともあれ、どこか神がかっていなくもない。
僕の親父はとりたてて世間に知られるような結果を残していないが、自宅の玄関にはキンキンキラキラのトロフィーが飾ってあった。どこかのゴルフコンペでとったものらしい。優勝して帰宅すると誇らしく、それまでその場の主人であった金魚鉢をズリズリと避けて飾られたそれは、ついぞ新調されることはなく、埃をかぶったまま引っ越しをするその日までそこに飾ってあった。
親父がゴルフをするのをその時に初めて知ったほどだから、ハイレベルなコンペであるはずもなく、したがってそのトロフィーに刻まれた成績も、そもそもその価値も高が知れている。それでも、訝しい顔をせずに、いまにもエッヘンと口上前の咳払いをしそうな親父の自慢したげな表情を見つめた記憶がある。
ことほどさように、個人にとってトロフィーは、自らのアイデンティティをアピールするに都合がいい。
ちなみに。勝者に与えられる勲章としてのトロフィーとカップは同意である。一般的にトロフィーの形が盃状になっているのがカップである。
今はもう手元にはない
不肖この僕も、長い間レースなどを続けてきた甲斐があって、トロフィーを頂戴したことがある。その中のいくつかを保管してはいるのだが、後生大事にガラスの飾り棚に飾っておけばいいものを、根が雑だからそのまま埃をかぶって痛々しい。
晩年に記念館でもこしらえるであろう世間に名の知れた有名な選手ならば、成績を誇るに相応しいトロフィーをコレクションする必要があろう。だが、そんなことはあり得ないと若い頃から確信していた僕は、収集する習慣が芽生えなかった。
レース後に激励に来てくれたファンの方々に、その場でホイッとブレゼントして驚かれたことがある。僕にとってトロフィーはレースでのリザルトの証であり、誇るものではなかった。結果表を額に入れて飾る習慣がないように、トロフィーにことさら思い入れはないのである。
それ以来、トロフィーをコレクションする習慣が消えてしまったのだが、実は後悔したことがある。トロフィーの数で武勇を誇りたくなることが少なからずあった。だが、デビュー当初に得たトロフィーをポイッとしてしまったことで、いまさら収集を開始する気になれなかったのだ。
いわばサンクコストの誤謬である。いまさら開始するとそれまでポイッとしてしまったことが無駄に思えることで、かえってチャンスを逸してしまったというわけだ。
それでもいくつか事務所のガラスケースに保管されているものがある。ひとつはニュルブルクリンクSP10クラスで優勝した時にいただいたもので、クリスタルが美しい。ドイツの著名なアーティストの作品だそうで、成績の価値以上に金銭的にも価値があるという。ドイツ人の友人ドライバーが、僕の残した成績よりもそのクリスタルをたいそう羨ましがっていたので、価値があるのは本当なのだろう。
レース後にホテルのバーで祝杯をあげていると、居合わせたライバルチームのドライバーが何やらサインペンで走り書きをした白い手袋をトロフィーに被せた。字が乱れているから何語なのかすらわからないが、おめでとう的な賛辞であるに違いない。性格の悪い僕は、人が羨むのならば手放したくない。だからいまでも事務所の一番目立つところに飾ってある。
鈴鹿サーキットのトロフィーが個性的なのは、つとに知られている。放牧された牛用のカウベルを鹿が首から提げているのだ。「鈴」に「鹿」。つまりはダジャレである。
トロフィーをコレクションしない性分の僕でも、これだけは事務所に保管してある。
地産地消の芸術品
正月の風物詩ともなった箱根駅伝の往路優勝チームには、箱根寄木細工職人の金指勝悦(かなざし・かつひろ)氏がこしらえたトロフィーが与えられる。その風習は20年にもなり、箱根駅伝にはなくてはならないものになった。
箱根寄木細工とは、さまざまな色味の木材を組み合わせ、それを削ることで断面を幾何学模様のように精緻なデザインにする手法のことだ。木材の風合いが美しい。
しかも、毎年デザインが変化するという。藤井聡太棋士が活躍した年は将棋をイメージしたデザインだそうで、オリンピックイヤーでは五輪がイメージされている。富士山が世界遺産に登録された年はもちろん、富士の山と逆さ富士がデザインされている。というように、後から振り返った時に時代背景を偲べるような造形なのである。いかにも箱根らしいトロフィーである。
ル・マン24時間ともなると、トロフィーはことさら巨大で威光を誇る。大相撲の優勝カップほど巨大ではないが、両手で持ち上げるのもヨッコラショと呟きそうな大きさだ。これまでのアノマリーでは、レースの格式の高さとトロフィーのサイズは比例するような気がする。
それにしてもトロフィーとは、誰が考案したのであろう。
古代ギリシャの五輪で、オリーブの枝やメダルが授与されたという。それがトロフィーのルーツだとされている。
キノシタの近況
NLS(ニュルブルクリンク・ロングディスタンス・シリーズ)に全戦参戦することになりました。それに加え24時間レースにも挑戦します。応援よろしくお願いします。