374LAP2024.10.23
「採点競技の難しさ」
勝敗を決めるのはどんなスポーツでも共通した要件ですが、判定の方法は様々です。デジタルな数値による判定、審判の採点による判定。スポーツの特性によってジャッジメントには個性があるようです。判定の世界で生きている木下隆之が想いを語ってくれました。
判定の難しさ
日本のお家芸とも言える柔道は採点競技です。採点と言うと、フィギュアスケートやアーティステックスイミング(シンクロナイズドスイミング)のような芸術性を採点するように思われますが、審判が選手の技を確定し、それが有効か否かを判定します。
その判定は、実に複雑な要素を含んでいます。相手を投げ倒す、あるいは動けないように固めることが技のひとつではありますが、美しさが必要だと知りませんでした。
背負い投げや大外刈りなどは、頻繁に耳にする技ですね。柔道をテレビ観戦していると、解説者がたびたび口にします。巴投げなども、豪快な技として認知されています。投げ技だけで68種類もあると言いますから、相撲の決まり手のように、様々なのです。これまで耳にしたことも目にしたこともない技もありそうです。
固め技も32種類あるそうです。相手選手を抑え込み、無力化させる技です。投げ技のような派手さや華やかさはありませんが、相手を動けなくするわけですから、どっちが優勢なのかは一目瞭然です。
というように柔道には様々な技があるのですが、ただ決めただけではポイントとはならず、そこに華麗な美しさが求められるというのです。「相手を倒していること」「強さを感じられること」「素早く技を決めたこと」それよも判定要素になるのです。
かつて柔道男子90キロ級の村尾三四郎選手が、誰もが勝利を確信した試合で、負けとなった試合がありました。相手の背中を畳に叩きつけたのですが、そこには美しさが不足していたとの判定だったのです。判定とは難しいものですね。
巷ではそれを誤審だとして、侃侃諤諤議論が重ねられましたが、プロの審判団が決定した判定ですから覆ることはありません。
柔道家の知人は、それをこう表現しました。
「それも含めて勝負なのですよ。異論の余地がない強さが必要なのです」
個人的には、そもそも判定競技では審判が人間である以上誤審はあり得ます。ですが、それを含めて競技だと納得するしかないと思っています。
とても悲しいことですが、平等意識の強い日本からは想像のつかないものです。ですから国際大会では物議を醸すことが少なくありません。世界にはさまざまな考え方の民族がいます。人種差別を意に介さない人たちも少なくありません。五輪は世界のほとんどの民族の戦いであるわけですから、フラットなジャッジなど残念ながらあり得ないのかもしれませんね。
柔道男子100kg超級決勝で、のちに語り継がれることになる判定がありました。篠原信一選手の投げが決まり、勝負あったと誰もが思った瞬間、審判は逆に篠原選手の一本負けを宣言したのです。これは柔道の経験のない僕も「えっ?」と驚かされましたが、負けた篠原選手は、不満を口にしませんでした。
「弱かったから負けた」
そう言い残しただけだったのです。
問答無用の強さを身につけなければならないと、篠原選手は言いたかったのではないでしょうか。篠原信一は、立派な柔道家であり武士ですね。
モータースポーツの判定は
柔道と対極にあるのは、陸上競技やモータースポーツなのかもしれません。もちろん体操やフィギュアスケート、あるいはブレイキングなどとはまったく判定の方法が異なります。
陸上は誰よりも速く走り、誰よりも高く飛び、誰よりも遠くに飛ばすスポーツです。審判団もジャッジに目を光らせていますが、判定はデジタルです。1000分の1秒でタイムがカウントされ、1センチ単位で距離が計測されます。人間の認識を超えた世界ですから、デジタルがすべてなのです。
モータースポーツも、本来はデジタルな世界です。時速350km/hでゴールラインを駆け抜けるマシンを人間の目で判定することはできません。デジタルな計測器が判定のすべてなのです。
ただし、最近は四輪脱輪をしたかしないかの言い争いや、コース外走行でのジャッジなど、人間の主観が判定を左右する場面が増えました。
トップでゴールしても、レース終了後から数時間も経って正式結果が発表されることも少なくありません。マシンは規定に合致していたのか。送路妨害はなかったのか。レースでは、ゴール後に判定に対する抗議書を提出することができます。審判団はそれを受理してから協議します。その上で正式な判定を下すわけですから、時間がかかるのも道理です。
ただ、中断はライブ感を損なうものですから避けたいものです。
記憶に深く刻まれているのは、2021年F1最終戦アブダビGPのセーフティーカー運用に関する判定です。ライバルより先にゴールした者が年間チャンピオンの称号を得るという世紀の決戦でした。最終ラップ、ハミルトンの8度目のチャンピオン確定かと誰もが思った時に、セーフティーカーが介入しました。その運用をレースディレクターが誤り、フェルスタッペンの優勝としてしまったのです。
記憶にも記録にも残る判定ですが、ハミルトンやメルセデスF1チームにとって、笑ってすまされるものではありません。モヤモヤが残る判定でした。
僕は判定競技があまり好きではありません。それが理由で、デジタルに勝敗が決まるモータースポーツを自らの進む道として選んだのです。
僕がトーヨータイヤGRスープラGT4で全戦参戦しているニュルブルクリンク耐久シリーズでは、判定に対する抗議が出されることは滅多にありません。まったくないわけではありませんが、判定はきわめて迅速で公平なものです。
というのは、そもそもニュルブルクリンクには定められたルールが少ないのです。四輪脱輪の概念はありません。コース外を走ろうとも、ショートカットをしようとも、どんな手段を講じても速く走ればそれでいいのです。コースオフエリアは深い草に覆われています。路面は激しい凹凸があります。そこをショートカットして速く走れるならばご自由に、というわけです。
ニュルブルクリンクには、問答無用で速く走った者が勝つという潔い哲学が確立されているように思います。これはこれで理想的だと感じますね。
キノシタの近況
NLSニュルブルクリンク第7戦が終わりました。雨がやったり降ったりのいかにもニュルブルクリンクらしいコンディションでしたが、トーヨータイヤが走らせる2台のGRスープラは優勝と2位。シリーズチャンピオンを獲得し、もう一台もランキング2位につけています。大暴れのレースでした。