• モタスポコラム その12-懐古 全日本GT選手権 ~2000年~
(36、37カストロール・トムス・スープラ 関谷正徳/土屋武士・荒聖治/鈴木利男 組)

懐古 全日本GT選手権 ~2000年~

モタスポコラム その12 2021.1.29

コロナ禍のオフシーズン、緊急事態宣言も出ておりますので、“おうちじかん”、今しか出来ない振り返りをして行こうと思います。写真の関係で、2000年からとなりますがお許しを…。
以前、SUPER GTは、全日本GT選手権という名称で2005年から現在のSUPER GTとなりました。掲載する写真の関係で、2000年からの紹介(まさかの引っ越しでデータを間違えて捨てたり広報写真が2000年以降しかなかったり…)となりますが、この20年をGT500クラス中心となってしまいますが、振り返りたいと思います。
私がまだ突然仕事となったモータースポーツが右も左も前後もさっぱりわからず、サーキットにも通い始めた頃でして、きっとネタ的には全く深みが足りないので盛りだくさんの補足があると思われます。そこは熱くわたくし同様に振り返っていただければと思います。

  • 〇2000年

    モタスポコラム その12-懐古 全日本GT選手権 ~2000年~
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    モタスポコラム その12-懐古 全日本GT選手権 ~2000年~
    (38号車FK/マッシモセルモスープラ 竹内浩典/立川祐路 組)

80スープラがGT500クラスで活躍していた2000年は、スポット参戦も含めGT500クラス22台、GT300クラスは26台、合計48台がエントリーしました。GT500クラスは、今も戦う3メーカーの他に、ランボルギーニディアブロ、マクラーレンGTRなどが走っていました。過去には、三菱ミラージュのエントリーもあったんですよ!
シーズン中スープラ勢は、この38号車FK/マッシモセルモスープラの1勝のみでランキング5位がトヨタ最上位ですね。こちらのクルマ、そうですそうです、今も現役のあの立川祐路選手がバリバリに頑張っていらっしゃったクルマです。メーカー内でも移籍などなくセルモでずーっと今も走られていますね。今年も現役続行となる体制発表はうれしい報告でした。

  • 上記に掲載している3台のほかに参戦していた80スープラは…、こちらになります。

    モタスポコラム その12-懐古 全日本GT選手権 ~2000年~
    (6号車 エッソウルトロンタイガースープラ 野田英樹/ワイン・ガードナー 組)

このカラーリング懐かしい。野田選手は、近年チームサードの監督を務めるなどしていらっしゃいましたね。ワイン・ガードナー選手は、著名なライダーで2輪から4輪へ転向したのち、活動の場を日本にも見出し走ってくれました。

(25号車 エンドレス アドバン スープラ 木下みつひろ/織戸学 組)

25のゼッケンと言えば、ヨコハマタイヤと共に歩むガレージ、土屋エンジニアリングです。土屋武士選手のお父様土屋春雄氏が走らせていました。その後いったんモータースポーツ活動をお辞めになったものの、ご子息の武士さんがガレージを復活させました。お父様は職人という言葉が一番似合う方だと思うのですが、そのDNAは、監督やエンジニアとして頑張る武士氏の仕事っぷりに受け継がれている気がしますね。

(32号車 cdma Oneセルモスープラ 木下隆之/近藤真彦 組)

まずこの携帯電話cdma Oneが懐かしい。2.5Gとは今の半分ですね。のちにauブランドとなり今でもモータースポーツをサポートしてくださっています。ありがたいです。ドライバーのお二人は、その後も超絶モータースポーツを盛り上げてくださった存在、ドライバー、監督として活躍しました。カーナンバー32はHonda陣営のカーナンバーだと思っていたのでちょっと意外です、今見ると。

(35号車 マツモトキヨシ-トムススープラ 山路慎一/ピエール=アンリ・ラファネル 組)

ピエール=アンリ・ラファネル選手は、元F1ドライバー。当時、片山右京選手や鈴木亜久里選手など他にもいらっしゃいますが、F1ドライバーの肩書を持っていた方がサーキットをフツーに歩いているのが不思議でしたねえ。雲の上の方々だったのが雲から降りて来られたかと。
そして、タケヤリ山路!ご存じない方はぜひ検索してくださいね。山路選手は色々とカリスマでした。走り屋からワークスドライバーに昇り詰めた方です。平成10年の富士ラウンドで、フォーメーションラップ中に火災が発生した際、走行していたクルマを降りてオフィシャルよりも先に消火に向かった勇敢な姿は目に焼き付いています。若い頃は、モータースポーツ活動のための資金稼ぎにご苦労された様子。働き詰めだったそうです。残念ながら、2014年にご病気で他界されました。50歳という早すぎる死でした。奥様とはわたくし仲良しなのですがとても明るい女性でして、彼女のために頑張っていたんだろうなと、思い浮かべるとその姿を重ねちゃいます。山路選手の親友の方には、亡くなる前に形見分けをしていたようで、当時その形見としての時計を見せていただきました。いろんな覚悟を感じました。嗚呼、いろいろ思い出しますね。

(39号車 デンソーサードスープラGT 影山正彦/ラルフ・ファーマン 組)

今でもサポートしてくださっているDENSOさんの文字が。ありがとうございます!影山選手、兄い、おにぃ!そう業界では呼ばれておりますが、ご兄弟でプロのレーシングドライバーであるのは皆さまご存じかと思います。実弟の影山正美選手は、NISMOのワークスドライバーでバチバチのライバルでしたね。ファーマン選手も元F1ドライバーで1年だけトヨタで走られてから、Hondaへ移籍し9年間活躍、タイトルも獲っていらっしゃいましたね。

当時のライバル陣営はというと、ピックアップすると前年のチャンピオンのNISMOの2台、ロックタイト・ゼクセルGT-Rエリック・コマス/影山正美 組、カストロール・ニスモGT-R 片山右京/ミハエル・クルム 組、ユニシア・ザナヴィスカイライン長谷見昌弘/田中哲也 組。カルソニックスカイラインは星野一義/本山哲 組、こちらもスカイラインです。
鈴木亜久里/土屋圭市 組のARTA NSX! TAKATA 童夢 NSXは脇阪寿一/金石勝智 組! RAYBRIG NSXは、飯田章/服部尚貴組! 伊藤大輔監督もHonda陣営でライバルでした。今も現役のNISMOの松田次生選手がスポットでデビュー、当時はHonda陣営でしたね。この年のタイトルは、道上龍選手が相棒が2人ほど変わりましたが、16号車 Castrol無限NSXで獲得しました。無限×童夢 プロジェクトというチーム名も輝かしい歴史を感じます。

GT300クラスでは、RACING PROJECT BANDOHがセリカを、トレノもいましたし、MR-Sも走っていましたね。プライベーター戦国時代でおもしろかったです。欧州車、国産車、互角に戦う様は今でも変わりはないのですね。ポルシェが8台参戦と多かったです。またトヨタ車だけでごめんなさいね写真がないもので。ピックアップします。

ウェッズスポーツセリカ脇阪薫一/原貴彦 組。脇阪選手は脇阪寿一監督の実弟です。のちにGT500クラスへステップアップして来ます。原選手はごめんなさい、あまり存じ上げないのですがこの年でSUPER GTの活動を休止しているようですね。
チームはGT300クラスの強豪チームで、この年1勝を挙げていますね。現在の19号車のRACING PROJECT BANDOHの坂東正敬監督のお父様で現GTアソシエーション坂東正明代表が立ち上げたチームで監督をされていました。こちらも時間をかけてGT500クラスへあがって参ります。

BP・KRAFT・トレノ田中実/松田晃司 組。カーナンバーは、86!ハチロクですね!このKRAFT(クラフト)というチームは今はなくなってしまいましたが、ユニークで楽しいことにトライするチームでしたねえ。こちらもGT500クラスへ上がって来ます。そのうち紹介しましょう。

スーパーオートバックス アペックスMR-S 新田守男/高木真一 組。高木選手は、シーズン後半のみでしたが、二人が長く歩む歴史の一部がここにありますね。

その他トピックとしては、この年で、関谷正徳選手、日産の長谷見昌弘選手が現役を退かれ、最終戦で引退セレモニーが行われました。花束のプレゼンターは、チームクニミツの高橋国光監督ですね。前年に現役を引退され監督業一年目の年でした。現在80歳ですが、サーキットで元気な姿を見せてくれていますし、昨年はチャンピオンを獲得とHonda陣営のエースチームの監督となり20年以上が経過していますね。
そして関谷選手の花道を飾るクルマを運転するのは、当時のチームメイト土屋武士選手です。お子様たちも参加しての現役最後の晴れ姿となりました。

  • モタスポコラム その12-懐古 全日本GT選手権 ~2000年~
    (関谷選手とTRD松井氏、トムス東條エンジニア)
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やはり当時の80スープラは、今でも大人気の名車ですね。かっこいい!他メーカーにもたくさんの名車があり、写真があればなあ…という感じですが、たくさん振り返るつもりが、1シーズンだけとなってしまいました。次はもう少しテンポ良く行きたいな。

続く!

(写真 トヨタ自動車)