言葉を失うという表現は、物書きとしてはどうかと思うが、そういう事態もあるのだということを突きつけられた今年のル・マン24時間レースだった。
例えは悪いかもしれないが、今の今まで健康だった人が突然不治の病を宣告されたような、脱力感に雁字搦めにされたような、そんな今年のル・マン24時間レースの幕切れだった。
だれも手を出せない、無力感に囚われながら見守るだけの終焉。涙を流す気力さえない瞬間。
どんなスポーツでも終わるまで結果は分からない。予想は出来るが、ことがそのように運ぶとは限らない。そこに醍醐味があると言えるが、当事者はそんなことは言っていられない。彼らは万全の体制で勝ちに行く。勝負は、勝てるときに勝っておかないと後が続かない。
TOYOTA GAZOO Racingの第84回ル・マン24時間レースへの参戦は、おおよそ考えられるベストの体制で臨んだといえる。
昨季から全面的に改良されたマシンで万全の態勢。
今年のFIA WEC(世界耐久選手権)参戦車両であるTS050 HYBRIDは、昨年のTS040 HYBRIDから全面的に見直しを行った新車両で、パワートレーン、蓄電装置、空力デザインをはじめとして車両のほとんどの部分で新しく開発を行った。その結果、燃費率は向上し、回生エネルギー容量は大きくなり、空力性能は向上し、運転はドライバーにかかる負担が減少した。
TOYOTA GAZOO RacingはそのTS050 HYBRIDを持って今年のWECに臨み、開幕2戦(シルバーストン、スパ)、そして8回にわたるテストを通して実力を確認した。開幕2戦のレースでは思わぬトラブルも出たが、それらはル・マンに向けて膿を出す作業であり、その目的は果たせたと言える。そして6月、ル・マンのテストデーで車両の成熟度合いを確認し、本番に臨んだのだ。
天候不順に見舞われながら、トヨタが最速タイムを。
予選はポルシェ2台が最前列を獲得し、TS050 HYBRIDの2台は3、4番手。
予選は6月15、16日の2日間にわたって行われたが、2日目は不順な天候に翻弄されたため予選順位は1日目のタイムで決定した。そんな中、TS050 HYBRID#6号車に乗る小林可夢偉が2日目の夜の悪天候下で最速タイムをたたき出し、TOYOTA GAZOO Racingにとって力強い結果を残した。小林がLMP1-Hマシンでル・マンを走るのは初めてだが、F1で上位入賞を果たすドライバーの実力はさすがだった。
トヨタのハイブリッドユニット開発の責任者であるトヨタ東富士研究所の村田久武モータースポーツユニット開発部部長は、「有意義に予選を戦えた。ドライ、ウエットの状況下でクルマの動きを確認出来たし、ダウンフォースの増減によるクルマの挙動、タイヤの状態も確認出来た」と、満足そうだった。
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小さなミスひとつで脱落してしまうシビアなレース。
決勝レースは18日午後3時にスタートを切った。
トヨタの2台は、決勝レースに向けて予選終了後に主要コンポーネントを新品に交換。朝のウォームアップでそのチェックを行い、決勝レースに臨んだ。しかし、スタートの午後3時前からサルト・サーキットは激しい雨に見舞われ、序盤の1時間ほどはセイフティカーが先導。実際のレースが始まったのは午後4時近くだった。
実質23時間になった今年のレースは、序盤からポルシェとトヨタの争いになった。レースが始まって暫くすると、セバスチャン・ブエミの乗るトヨタ5号車が遅れた。エンジン制御に関係するセンサーの1つに一時的な出力異常が発生し、パワーが出ない。ピットからの指示でブエミがそれを修復してペースを取り戻したときには5番手だった。そこから上位に上がってくるが、アンソニー・デビッドソンに交代してすぐに前輪に異常振動が出てピットイン、タイヤ交換を行い再び5位に落ちた。
この目まぐるしい順位変動が表すように、トップグループを形成するトヨタ、ポルシェ、アウディの戦いは激しい接近戦の三つ巴となった。小さなミスひとつ、トラブルひとつでポジションはたちまち下がってしまう。それだけにドライバーには慎重な運転が要求された。とはいえ、クルマの性能は常に100%引き出しての走行が求められる。1人のドライバーが交代までの3時間近くを走りきる。ドライバーにとってもまさに耐久レースと言えた。
優勝争いはトヨタとポルシェの一騎討ちに!
レースが終盤を迎えると、2台のトヨタ、1台のポルシェのトップ争いになった。
アウディは序盤に1台がターボチャージャーのトラブルで遅れ、ポルシェも1台がウォーターポンプの交換で大きく遅れた。トヨタは夜の間に6号車がLM-GTと接触して修理に時間を取られ、またコースアウトしてグラベルからの脱出に時間がかかってヒヤリとするも、終盤の挽回でトップ争いに加わって来た。
レースも残り4時間となる頃、印象的なシーンが見られた。ピットインのタイミングで一旦はトップの座をポルシェ2号車に明け渡していたトヨタ5号車だったが、長い直線のユノディエールでスリップ・ストリームに入ると一気に抜き去り、トップの座を奪い返したのだ。
レースはそのまま、トヨタ5号車とポルシェ2号車が僅差でトップを争う形で最終盤までもつれ込んだ。ゴールまであと約15分、トヨタに追いすがっていたポルシェが突然のピットイン。後輪を交換してレースに復帰するも、その差は1分半に開き、この時点でトヨタの優勝はほぼ確実と見られた。30年に及ぶル・マン挑戦の歴史で、ようやく栄光の勝利を手中に出来る瞬間が訪れようとしていた。
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「まったくパワーがでない」という悲痛な声。
トップを走るトヨタ5号車の中嶋一貴から、「まったくパワーがでない」という無線連絡がピットに入ってきたのは、ゴールまで1周と少しを残した時だった。
突然スピードの落ちたクルマの運転席で、中嶋は出来る限りの緊急修復作業をトライしたが、その労はついに報われることなく、メインストレートで停止してしまった。その横をポルシェ2号車が駆け抜けて行く。トヨタが99.9%手にしていた勝利を逃した瞬間だった。
その瞬間、トヨタのピットではチームスタッフ全員が嘆きの声を上げ、泣き崩れる者もいた。
トヨタ5号車がスピードを落としたとき、後ろにいた同6号車を運転していたステファン・サラザンは、「ゴールラインを一緒に横切るために待っていてくれているのかと思った」そうだ。ところが無線で「抜いていけ」の指示。その時5号車にトラブルが発生したことを知ったという。
レース後、ポルシェ陣営から「勝者はトヨタだ」と。
中嶋一貴は一度止まった5号車をエンジンだけでゆっくりとスタートさせ、最後の1周を走ってきたが、「最後の周は6分以内に走りきらねばならない」というルールを満たせず、結局失格になった。TS050 HYBRID#5号車の23時間57分の戦いは、こうして幕を降ろした。
優勝はポルシェ2号車、トヨタ6号車が2位に入り、3位はアウディ8号車。後日、トヨタは5号車のトラブルの原因を「ターボチャージャーとインタークーラーを繋ぐ吸気ダクト回りの不具合」と発表した。
レースが終了して村田久武はポルシェにモーターホームに招待された。
建物に入ると、ポルシェのスタッフが「今日のレースの勝者は君たちトヨタだ」と強く抱きしめてきた。その瞬間、村田はレースをやっていて良かったと思った。激しい戦いを通してしか通じあえない気持ちが、村田とポルシェのスタッフの間に生まれた。村田はそのポルシェのスタッフにこう言った。
「来年は我々が招待します」。
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