Vol.05

成瀬からモリゾウへ(1/2)

マスタードライバーはこれからも
ニュルを走り続ける

豊田章男は若い頃から運転好きでレーサーになるのが夢だったが、環境が許さず一人で山道を黙々と走ることが唯一の楽しみだったという。

その数十年後に成瀬氏と出会い、そしてあの「運転のことも分からない人に、クルマのことをああだこうだと言われたくない」という言葉をきっかけに師弟関係が誕生する。二人三脚でスタートした運転訓練にカリキュラムはなかった。

「訓練と言っても、成瀬さんのクルマを追いかけるだけで、何かを教えてもらったわけではありませんでした。唯一言われたのは『ブレーキランプが点灯したところでブレーキを踏め』と『クルマの距離が開きすぎたら、アクセルが踏めていない』の二つだけ。私はただ、テールライトを追って必死についていくだけでした」。

運転訓練の相棒は80(ハチマル)と呼ばれた4代目スープラだった。このモデルは2002年に生産を終了している。

「ニュルを走った時、とても悔しい思いもしました。他のメーカーは将来出す予定であろう開発中のクルマを走らせていました。しかし、トヨタにはニュルで鍛えられた現役のスポーツカーがなく、ここで通用するクルマは生産が終わった中古のスープラのみ。コース上で他メーカーの開発車両に追い抜かれる時、私はそのクルマからこんな声が聞こえてきました。『トヨタさんには、こんなクルマはつくれないでしょ?』と。この時の悔しさは今でも鮮明に覚えています」。

そんな運転訓練を5年ほど続けたある日、成瀬氏より「ニュル24時間に出ませんか」と声をかけられた。

その後、成瀬氏と共に2007年にニュルブルクリンク24時間レース(以下ニュル24時間)に参戦することを決意する。成瀬氏は当時を次のように語っている。

「運転訓練を5年ほど続けてきたので、『ニュルのレースに出てみませんか?』と聞いてみました。最初は立場上悩んでいましたが、しばらくして『やりたいので、お願いします』と言ってくれました。とはいえ、すぐに参戦ではなく、そこからさらに3年猛特訓を続けました」。

そんな中で挑んだ始めてのニュル24時間は見事に完走を果たす。

「ただ、この年は雨で10時間くらいレースがストップしていました。成瀬さんの後ろでついていくことに集中し、とにかくバックミラーをずっと見ながら走りました。後ろから来たクルマには全部抜かせる、そんなレースでした。今思えば、よく成瀬さんは僕を走らせたし、僕も何事もなく帰ってこられたと思います」。

過酷なニュルを走り切ったことは、後に大きな意味を持つようになる。2009年に社長に就任した矢先、レクサスES350が高速走行中に制御不能となる事故が発生。すると、その直後から電子スロットルやプリウスのABSに問題があるのではないかという憶測が広がり、豊田氏はアメリカ議会下院の公聴会に出席することになる。最終的にはクルマに欠陥はないと判断されたが、このピンチを乗り切れたのは成瀬氏の「公聴会では命まで取られない」という一言があったからだという。

「ニュルを走っていた時、『果たして生きて帰ってこられるのか?』と絶えず恐怖と戦っていたことを思い出します。このような経験があったからこそ、あの公聴会を乗り切ることができたと思っています。そういう意味では、ニュルはドライバー・モリゾウの原点であると同時に、経営者・豊田章男の原点でもあります」。

その後は2009年に開発途中のレクサスLF-A、2014年にレクサスLFAでクラス優勝を果たし、2016年にはレクサスRC、2019年には17年ぶりに復活したGRスープラのドライバーとして自らステアリングを握りニュルを走った。もちろん成瀬氏から受け継いだマスタードライバーとして……である。

  • 80スープラで訓練の日々
    「ニュルでのトレーニング中「生産中止になったスープラで走る悔しさ」を嫌というほど味わったが、その“悔しさ”がモリゾウのすべての原動力になっている
  • 2007年
    アルテッツァで参戦
    「とにかく何事もなく無事に帰ってくることができました。運転中は『成瀬さんの後をついていくこと』、そして、『バックミラーを見る』だけで、とにかく必死でした」
  • 2019年
    GRスープラで参戦
    「いろいろなクルマでニュルを走ってきましたが、新型スープラはそのどれよりも安心して走ることが可能で、何周かはニュルを楽しむこともできました」

ちなみに2019年のニュル24時間の決勝は偶然にも成瀬氏の命日だった。豊田氏は当初ドライバーとしての参戦予定はなかったのだが、成瀬氏の愛弟子の一人で、GRスープラの評価を担当した矢吹久氏から「乗りませんか?」と提案を受け、走ることを決意した。

豊田氏はニュルに来ると、サーキットから少し離れた郊外にある2本の桜が植えられた広場を訪れ、安全を祈願する。その場所は成瀬氏が事故で亡くなった現場である

2019年のレース後に豊田氏はこのように語っている。

「今日は成瀬さんの命日です。3回目のスティントは10時半。この時間はまさに成瀬さんの事故が起きて亡くなった時刻でした。成瀬さんの亡くなった時刻にハンドルを握る、いろいろな思いが頭の中を駆け巡り、正直運転するどころではなかったのが素直な感想です。もし、この日ではなかったら、『矢吹が乗りなさい』と言うつもりでした。ただ、6月23日/スープラ/ニュルというキーワードから、成瀬さんが『いやいやお前が乗れ、一緒に乗ろう‼』と言ってくれたような気がしています。そして、復活したスープラで成瀬さんが育てたメンバーと共に戦う姿を見せることができて良かった」。

  • 2007年のモリゾウ
    「初めてのニュル24時間、完走できたのは奇跡だと思います」
  • 2009年のモリゾウ
    「走りにこだわるクルマはニュルで鍛え、育てないとダメです」
  • 2014年のモリゾウ
    「全車両が完走し、クラス優勝。人とクルマが強くなったことを実感しました」
  • 2019年のモリゾウ
    「成瀬さんの亡くなった時刻にハンドルを握る、非常に緊張しました」

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